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団欒にいなくていい子

 先日、帰省した折に一家全員で食卓を囲んでいて、はたと気がついたことがあった。私などいなくてもよかったのだと。


 私は家族が好きだ。詳しい家族構成は書かないが、核家族ではなく三世代にまたがった一家である。思春期にはいろいろと諍いもあったが、今は全員のことが好きだ。

 ただし個人に限ってだ。

 1対1での会話やお出かけならば私はとても楽しい。一緒に遊びに行ったり、食事に行ったり、飲みに行ったり、そういったことならばまったく問題ない。好きだ。

 だが、一家が食卓を囲むと、とたんにつらい。とてもつらい。別に冷戦が繰り広げられているわけではないし、敵意を持った者が暴れ散らかしていたりすることはないのだが、楽しい食事にはなかなかならない。家族の中には若干仲が良くない者がいるのだ。立場の問題もあるんだろうが、それにしたってツンケンしている。普段は用事がないかぎり会話なんてしないが、食卓には全員で並ばねばならぬ。無茶なシステムだと思う。美味しいごはんを掻き込みながら、なんてことない会話をし、和気藹々とした空気を作ろうとしているなかで、なにかのはずみで喧嘩未満の諍いが起こる。

 彼らだって人間だし、その2人には血縁がないので、仲睦まじくないのも仕方がないのかもしれない。しかし、私にとって両者は血のつながった家族である。傍から見るに、ほんの少しの不理解と意固地が作っている不仲にしか思えなかった彼らを、取り持ってあげたかった。子は鎹というし、私が雰囲気を保てば和やかな食卓になるのでは、と思っていたのだ。いや、せねばならぬと。その件に関して私は全責任を負っている。私が成さねば、この家族はもっと酷い空気に満ちてしまうのではないか。最後はみんな出て行ってしまうのではないか。ああ、これは幼い頃に家庭内で喧嘩が起こったときに「もうこんな家は出て行く」と車を出してその人がどこかへ行ってしまったという思い出がトゲになっているからなのだけれど(泣き崩れていたら数時間後に買い物袋を提げて帰ってきた)。

 思春期の私がめそめそ泣く原因の上位は「また彼らを不機嫌にさせてしまった」であった。


 それから、私は上京してひとり家を出た。新生活でワタワタし、自分のことで精一杯な暮らしが続いているが、故郷の家族はどうしているのだろうか。私の抜けた食卓は、会話はどうなっているのだろう。ひょっとして瓦解したりしていないのか。なんて思うことも、たまにあった。

 とはいえ、一家離散などという報せはまったく来ないし、個々人とやりとりするぶんには皆うまくやっているようである。

 盆暮れや彼岸に帰れば、家族は概ね変わりなく、それぞれ楽しく暮らし、食卓ではまた不和を私が取り持った。……つもりでいた。


 先日、帰省した折に、また一家全員で食卓を囲んだ。いつもの諍いが起こって、私はなだめようとした。「なぜそんな曲解をするんだい、もっと穏やかに考えなよ」とは、面と向かっては言えない。ナントカ両者にやわらかく相槌を打って、話の矛先をずらさねば。しかし、やはり効果は薄く、いつもどおりちくちくとして会話は途切れるのだった。はあ、私の話術がまずいせいだ。もっと慮った言動をせなばならなかった。

 ……はたと気がついたことがあった。

 私のこうした努力は、このとおり何の実も結んでいない。さらに、私が上京している間だって、こんなやりとりはきっと何度もあったのだ。だが、そうした諍いがあろうが彼らは家族を続けている。

 つまり、私が毎度毎度心を砕いて場を鎮めようとしていた行動にも、そうしようとした配慮にも、一切意味などなかったのだ。

 ということに、とうとう気がついてしまった。先々月。

 ああ、しなくてよかった、悲しまなくてよかったのだ! 私が自分の役目だと信じて必死に演じてきたものは必要なかった! 私が心配することなんて何もなかった! どうして自分の責任だなんて感じていたのか!? 彼らだって家族とはいえ一人一人の人間なのだから、彼らが何を言おうが何を思おうがそんなの全然私の責任じゃない! 知ったこっちゃないんだ!

 私なんていなくてもよかったのだ!


 団欒たりえぬ我が家の食卓にまつわるそうした思春期の屈折について、若干家族を恨みつつ、一番恨めしいのは当時の自分である。どうして自らそんなアホみたいな気苦労を背負い込みにいっていたのだろう。とはいえ、こういったことに気が付けたのは一度家族から離れたからなのだろう。


 一人でなんの会話もなく食べる食事のなんと気楽なことか。今日もラーメン食べます。おいしい!!!!!

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