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ゾンビの幻と冒険譚 後編

 前編はこちらだ。

 これまでのあらすじ:イタリアに滞在中、市内循環と勘違いしてバスに乗ったら隣の街にいってしまい、宿への帰り方がわからなくなったが、人に聞いた。

 ああ、うん、前編を書いている途中でもう思ったのだが、これは冒険譚ではなく外国で迷子になったアホの話である。後編も変わらず外国で迷子になったアホの話の続きです。

 だが、当時の私にとってはそこは死の砂漠や絶海の孤島に等しかった。果てない草原風がビュンビュンと一人ぼっちだった。今は暖かい自室でPCをカタカタしているが、私の精神テンションはもはや流離う旅人で、心象風景はあの時の無人の町だ。読者諸氏も心に荒野をマインドセットされたし。よろしく。


 さて、親切な人に教えてもらったとおり、停留所に来たバスに乗った。よかったよかった、これで帰れる。昼は元の街で食べられるだろう。なんて、安心した心持ちでいたのだ。

 しかし、てっきり行きで来た道と同じ山を通って帰るものだと思ったのだが、そこへ向かう道の途中でバスは左に曲がった。「あれ?」とは思った。進行方向はどうやら街の中である。民家や商店、畑なんかが目に付く。帰りたい街の方角とは違うような気が……いや、街は街だ。乗降者も多い。きっと別の街を経由してから、あの街に戻る路線なのだろう。

 そうやって自分の都合のいい希望に添った予測はやめたがいい。それは予測ではない、夢想である。そして、たいがいの場合、間違っている。

 宿のある街からはどんどん遠ざかり、市街地から抜け、幹線道路に乗ったところで頭を抱えた。時折見える道路標識には別の観光地の名前が矢印とともに書いてある。ヤベエ。行ったことのある観光地だが、たしかけっこう遠いぞ、そこは。完全に別の街だ。そんなところまで行って、迷子の日本人ということで警察に保護されたりしたらどうすればいいんだ。学校の関係者に迎えに来てもらうのか? アホか……。

 バスは一度道路を降りて、ショッピングモールに停車した。慌てて降りた。


 幹線道路沿いのショッピングモール。

 人は、多かった。日本のものと比べて圧倒的に規模の大きい食品売り場や、服屋、靴屋、ゲーム屋、いろんなテナントでそれぞれ買い物をしている。利用者の大半は自家用車に乗ってやってくるらしく、広大な駐車場はさまざまな色の自動車が停まっている。駐車場の外側は、何もなかった。……畑と、道路と……遥か遠くに街が見えた。

 努めて自制したので、パニックにはならなかったが、もし私が腰抜けだったら間違いなく失神して失禁して号泣していただろう。よほどのショックだったのか写真も撮っていなかった。


 ショッピングモールにひとり……間違いない、これはもうバイオ的なハザードが起こるかなにかして、ゾンビに取り囲まれて立てこもる展開になるのだ。というかもはや起こっているのか? モールの外ではゾンビの群れが勢力を広げているのでは? まずい……私は特殊訓練も受けていないしハンドガンもショットガンもロケットランチャーも持っていないぞ…………。


 しかして、バイオハザードは起きていなかった。そんなことになったら大人しく爆弾をくくりつけてゾンビの群れに飛び込んで死ぬが、その時ではなかった。

 さすがにもう歩いて帰れる距離ではない。バス停の時刻表を見たらなんかさらに路線が増えていて、どれに乗れば戻れるのかさっぱりわからない。買い物客たちはみな楽しそうだ。ヒッチハイクして街へ乗せて行ってもらう……? 無理だ。私には無理だ。そんな大魔法を撃てるMPなどない。バイオハザードが起こったとしたら勝手に借りてゾンビを轢き殺しながら逃げるが、平常時はダメだ。

 劇場版ドラえもんの冒頭だったら「ドラえも────ん!!」と叫べば地球が映ってOPが始まるところだが、私に未来の世界のネコ型ロボットはいない。泣き叫んでも事態は好転しそうになかった。


 お昼どきだったので、中にあるピザの店でマルガリータを買って食べた。イタリアのピザ屋では大きいやつを四角く切ってオヤツのようにお手軽に売っている。トマトとチーズが乗っているだけのやつでも熱々でうまい。ミニトマトの切ったやつを一面に乗せまくってるやつもめちゃくちゃうまい。トマトソースにキノコがたっぷり乗ったやつなんか超うまい。

 腹ごしらえもできて、いくぶん落ち着いた。また道を聞けばいいのだ。なんとかなるはずだ。


 モールで手当たり次第に声を掛けてみたが、相手をしてくれる人はいなかった。まいったぜ、と思ったが、モールにはだいたいインフォメイションセンターがある。ここにもあった。ふくよかなおばちゃんと小柄なキツいおばちゃんがいた。バディっぽさがすごい。数多の迷える客を二人でさばいてきたに違いない。もしゾンビに襲われても、ショットガンをカウンターの裏からスッと出して迎撃しそうだ。

 さて、これこれという街に帰りたい、と尋ねたら「あの街だってさ?」「バスに乗ればいいよ」「そうよね」「バス停あるから」といった具合の返答をされた。いや、どのバスに乗ればいいんだよ……!と詳しく聞こうと思ったのだが、他にもインフォメイションを求める人々は並んでいたので、退散した。


 とりあえずバスの時刻表をもう一度確認することにした。時間をかけてじっくり調べれば、何かわかるかもしれない。

 バス停には女性がひとり、スマートフォンを操作しながら座ってバスを待っていた。ふわっとしたダークブラウンの髪で、目がぱっちりと美しく、もしバイオハザードだったらきっと頼れるヒロインである。

 ……時刻表を見直してもやはり路線がわからなかった私は、彼女に尋ねてみたのだった。


「すみません。✖✖✖という街に行きたいのですが、どのバスに乗ればいいのでしょうか」

「✖✖✖? 待って、地図を見るから……」彼女は地図のアプリを見せてくれた。「ええと、ここからバスに乗って、この駅に行ってね。そこから電車に乗れば帰れるはず」

 とてもわかりやすい説明だった。彼女はつまりヒーローだった。少ししてやって来たバスに、これ?と目線で尋ねると、優しく微笑んで頷いてくれた。グラッツェ、タンテグラッツェ、何度もお礼を行って別れた。私を死の荒野から救い出してくれたのは名も知らぬ美女であった。


 言われたとおり、鉄道の駅で降りる。町の中にある小さな駅だった。地図のアプリで見れば、帰る街からもういくらも離れていないところだとわかった。あとはもう、電車に乗ればいいのだ。

 ホームでしばらく待っていると、やがて黒くて長い電車がホームへすべりこんでくる。乗車口がずいぶん高いうえ、ホームから距離が離れているので、ちゃんと下を確認して乗る。発車のベルとアナウンスが流れた。


 ふと、そこで、雷光の速さで思考がよぎった。

 …………街があるのは進行方向と逆じゃないか?


 ベルが鳴り止むより早く、乗車口から飛び出した。ホームに降りた私の背後でドアが閉じる。黒い電車はゆっくりと速度を上げながら、線路の彼方へと消えていった。

 もう一度地図のアプリを開いて確認すると、やはり逆の方角へ行く電車だったようだ。つまりあれに乗っていたら、また知らない街へ行き、打ちひしがれ、ゾンビに囲まれて爆死自決する羽目になっていたのだ。


 ああ、私は成長した! 「ま、来た奴に乗ればいいだろう」の呪いから解放されたのだ!! きちんと行く先を見据えて、正しい道を選ぶことができたのだ!! ありがとう、ありがとうメーテル!!!


 そうして、無事に次の電車に乗り、あの山の上の街へ帰ってくることができたのであった。その日の講義は完全に遅刻どころか、もう終わっていた。だが、私は命をかけた冒険を乗り越え、ひとまわり成長して帰ってきたのである。


おわり


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 記憶を頼りにグーグルマップで調べてみたら、モールの位置はこんなところだった。()

 地図で見れば、それほどたいした死の荒野ではない。こんなものか、と思う。

 だが外国で迷子になると、本当に参る。参るのだ。私は日頃からよく迷子にはなるが、だいたい徒歩か自転車で移動しているし、ネットも通じるので帰ってこられる。しかし、人の力を超えた移動力に頼り、自力で帰ることのできない場所へ行ってしまうと、ダメだ。それは本当におそろしい。

 だから、劇場版ドラえもんでのび太くんやその友人たちが、どこでもドアで遠くの地へ赴いたり道具を使って異世界を訪れたあと、ドラえもんから離れて行動するのを見ると、めちゃくちゃに不安になるようになってしまった。案の定彼らは道に迷い、帰る手段を失い、「ドラえもーん!!」「かあちゃーん!」「ママー!」と叫ぶ。とてもよくわかる。家に帰ることができないのは、本当に、心細いのである。

 我々にドラえもんはいない。自力で帰ってくるのだ。とにかく、来たバスに適当に乗ってはいけないということを、私は学んだ。

 旅行そのものは本当に楽しかったので、4回目もいつか行きたいものである。

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