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アメリカの大学で教えてみないか(13):印象に残った同僚や学生の話

今回は、これまでアメリカの大学で30年近く教えて来て、印象に残っている学生、院生、同僚たちについて書いてみます。

まずは二人の大学院生ですね。今は二人とも偉くなってます。どちらも僕の大学で博士号を取り、2年連続して隣の州のそこそこいい大学に助教授として赴任していきました。そこでどちらも優れた業績をあげたので、僕の大学に戻ってきました。

そのうちの一人、マークは大学院1年目に、統計のクラスで落第しました。これは教えてた教員も悪くて、クラスの半数以上が落第したほどです。大学院生をそんなに全員辞めさせるわけには行かないので、当時の学部長が困っちゃって、僕に「やり直しクラス」を教えてくれって言ってきました。しょうがないので、僕が秋学期の授業を春に、春学期の授業を翌年の秋に教えてことなきを得ました。

前にも書きましたが、僕が易しい訳じゃなくて、前任者の教え方があまりにもひどかった、ってことです。で、このマーク、僕の大学に戻ってきてから、「社会学やってても将来が見えた。管理職に移る」ってんで大学の管理部門に移り、今では副学長とかで、大学のNo.3かNo.4のポジションにいます。はい、すごく偉いです。

このマーク、唯一の弱点が「飛行機嫌い」なこと。もともとニューヨークの出身なんですが、どうやら乗ったことがない。スイスの大学と提携するって話があったんですが、本人がパスポートすら持ってない。将来、どこかの大学の学長になるはずですが、飛行機乗れないと面接にも行けないよねえ。どうするんだ?

もう一人、トッドは僕の統計のクラスを学部で1つ、大学院で2つ取った多分唯一の卒業生です。仕事をもらった隣の州の大学で、心臓病で本人曰く「首の皮一枚で繋がったけど、本来なら死んでた」そうな。

古巣の僕の大学に戻って来て、しばらくはがんがん研究してたんですが、3、4年前からやはり管理職コースに乗って、今や、社会学部、心理学部、政治学部、外国語学部、英語学部など10以上を含む「カレッジ」のディーン(適当な訳語がないんですが、日本の「学部長」よりもう少し上でしょうか)です。

つまり、学部長である僕の直接の「上司」です。もともと僕の学生だし、年下なので、無理がきくのでかえってやりやすかったりします。毎日のように連絡を取り合う必要があるし。

トッドは4、5年前に大学全体の優秀教官賞をもらったのですが、僕はそのパーティに招待されてたのを忘れてて、当日慌てて行きました。授業がなかったので、その時に着てたのが胸に「LSU」なんて書いてある着古したヨットパーカーとヨレヨレのジーンズ。

他の人はそれなりの格好をしてるので、ひたすら目立たないようにと思って一番後ろに座ったつもりが、なんと表彰台が後から設置されてそのすぐ横。「あちゃー、まずい」と思ったらなんとトッドがスピーチで僕を名指しで感謝してきた。「やめて〜」と思ったけど、お客さんに顔を見せない訳には行かず、相当恥ずかしかった。見出し画像の右端がトッドです。

やはり同僚のウィル。ずっと独身だったのですが、その昔付き合っていた女性が離婚したのを機に、50を過ぎて再婚。このプロポーズがふるってました。中庭に白いクロスを敷いたテーブルを設置して、元ウェイターの院生に給仕をしてもらいました。

見物人が集まってきて、ディナーが終わったと思ったら、周りの見物人に「おーい、これからプロポーズするから手伝って〜」100人近い見物人の前で「Will you marry me?(結婚してもらえますか)」ってやりました。もちろん返事はイエス。社会学的な出来事を映画に撮って記録するっていう「ビデオ民俗学」の権威だけあって、まるで映画の1コマみたいでした。

これは僕の大学の学生ではありませんが、ある日突然、電話をしてきた日本人の女子学生がいました。「私カナと言います。先生の大学の後輩なんですが、〇〇大学の社会学系の院にいます。近いうちに遊びに行ってもいいでしょうか?」

「はあ?」大学の後輩ってったって、学生は何万人といるし、共通の知り合いもいません。断る理由もないので、「どうぞ」って言ったら飛行機に乗って本当に来た。よくわかんないうちに、家に泊めて、一緒にニューオーリンズ観光しました。

このちょっと変な院生(本人は「行動力のあるって書いて下さいよ〜」言ってますけど)、ちゃんと博士号取ってカナダでポスドク(博士号を取った学生が助教授に収まる前につく研究職。理系ではこれを経由して助教授になることがほとんど。文系でも最近は増えてます)やってからアメリカで助教授になり、テニュアも楽勝で取りました。今では僕みたいなヘタレじゃなくて、バリバリの家族社会学者です。

このシリーズを書き始めた時も「私と先生って同業者ですよね?生活が全然違うんですけど」とか言ってました。だ〜か〜ら〜、僕はヘタレなんだってば。ただ、このシリーズが始まってから言うには、僕の意図である「別に勉強が好きな学究肌タイプじゃなくてもいい加減な気持ちでも学者になれるんじゃね」っていうメッセージを受け取った第1号かも、って。

実はもともと、このシリーズを書こうと思ったきっかけの一つが、2016年の夏に講師として参加した、「大学院留学を目指す学生への説明会」だったんです。僕が学部生だった頃はそんな説明会なんて皆無で、僕はたまたま「3人の先生」に出会ったおかげで大学で教えたりしてますが、そういうチャンスがない学部生が多いと思います。

なので、こういう説明会や、夏休みに毎年呼ばれている大学の総合講座なんかでも、チャンスがあれば留学を勧めてます。なので、上のカナさんが僕に触発されて学界に残ろうとしたってのは、素直に嬉しいわけです。

他にも、3回前のエントリーで書いたオリンピックの金メダリストや、日本からバスケット留学でやって来てバスケも勉強も頑張ってたヒル理奈さんなど、印象に残った学生は多いです。

教え子がその後でビッグになったり、幸せな人生を送ってるのを見ることができるってのは、大学でせんせやってる醍醐味です。

見出し画像に継いて:何年か前の卒業式です。右端が今の僕のボス、トッド。真ん中の3人は博士課程の卒業生。左から、台湾からの留学生(僕が指導教官)、ニューヨークから来た白人、アメリカ生まれの中国系(一緒に論文書いた)。みんないい奴です。

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