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ヨシダマガジン

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吉田アミが書きました。
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2014年4月の記事一覧

エイフェックスツインつーのは死んだ彼の兄を思って付けた名前でリチャード(兄)とリチャード・D(弟)を合わせた名前。

死んだ「兄」をそこに何でも代入できるXと仮定してみました。死んだ世界=現在みたいな?

以下、原稿。

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骨折日記

2014年1月4日、わたしは骨折した。

ちょっとした階段の段差につまずき、転んだのだが、着地がいけなかった。たいしたことはないよ、というわりには足が痛かった。これまで経験したことのないような痛みである。これは折れたな、と納得できる痛みであった。家人2人と友だちが家まで連れて行ってくれた。三軒茶屋の駅から家が遠かった。痛みはテンションをあげるものである。わけのわからないメールや電話を人にした形跡が

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『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(押井守監督)についてレビュー/批評

 ラムは美しい夢をみたのでしょうか。

 ふと、そんな疑問が頭をかすめた。劇場版アニメ『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で描かれる「繰り返される学園祭の前日」とは、「今日と変わらぬ楽しい日が永遠に続いてほしい」という祈りに他ならない。楽しい日を過ごしたあとに、そんな望みを抱いてしまった経験は誰にでも心当たりがあるだろう。それが叶わぬ願いだと分かっていても。現実では無理だとしても、フィク

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サマースプリング (吉田アミ) 書評 (想定媒体 個人Webサイト) 字数(1406文字)

サマースプリング (吉田アミ) 書評 (想定媒体 個人Webサイト) 字数(1406文字)

 この人はなんて嘘つきなんだろう。

 読みはじめた瞬間に思った。

 こんな出来すぎた話があるわけがない。これは流行の自伝的小説の仮面をかぶったフィクションだろうと思ってしまった。そう確信したのは舞台となっているのが、1989年の名古屋で中学生という設定だ。何を隠そう、この僕もまた1989年に名古屋で中学をすごしていたから。

 しかも、どうも舞台となった中学校は、僕が通っていた中学と同じ(森山

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飛び落ちるのか、飛び立つのか

 誰もが未熟なのである。この狭い町の中で。数メートルの関係だけが切実で、世界は曖昧に映されている。世界と僕らの境界線は淡く、ゆらゆらとただただ不確かである。

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いつかあなたとはお別れしなくてはなりません

 死は誰の元にも平等に訪れる。これは宿命である。

 日本人の平均寿命、約80年。

 猫の平均寿命、約16年。

 猫が人よりずいぶん先に逝く。猫がマンガに現れるとき、ほんの少し身構えるのは、いずれ訪れる別れを予感させるからだ。

 猫マンガというジャンルがある。

 猫を擬人化し、主人公としたり、猫と飼い主(=作者)の生活をエッセイ風に描いたりするものだ。そのパイオニアとして、まず思い浮かべる

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幻想を映す、夏の終わりに。

アナログなテクスチャーとデジタルの逢瀬、めまぐるしく変わる視点、死んでいるモノが息を吹き返す魔法、音と画のシンクロ、非道くグロテスクな悪い夢、曖昧に溶け出す現実と絵空事、無数の物語が生成され同じレイヤー配置される無常と崩壊する非日常、どこか安心できる狂気のゆりかご。

私たちが知るのは、あらゆる限界を越えてきたアニメーションの「現在」。不死身のタフなあいつは、うかうかしてる間にアップデートされ続け

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