祭り前夜
取り憑かれたように盆踊りを始めて早5年。
いろんな方の踊りを見てきて、「踊ってる人」と「舞ってる人」と分かれるように思えてきた。踊ってる人は、ただ純粋に踊りを楽しんでる人。
舞ってる人は、指先にまで神経が行き届き、所作が美しいのである。だいたい日舞を嗜んでる方が多い。日舞習ったら、あんなにきれいに踊れるんか・・ええなあ、と心の中にぽっと小さな灯りがともる。その灯りは消さずに胸の奥にしまっておいた。
去年の秋、踊りの発表会が終わったあと、盆踊りの先生から一本の電話。
「観にきてた人がなあ、あんたきれいに踊ってたでえって言ってたから、あんたに伝えておこうおもてな」
わざわざそのためだけに電話してくださったのである。お礼のあと世間話は続き、ふとした瞬間に、先生がこう言った。
「わてが習ってるお稽古場にあんたもいっぺん来てみるか?」と。
胸にしまった灯りを先生は気づいておられたのだろうか、びっくりすると同時に二つ返事でお誘いにのり、のこのことついて行った。
その練習では歌謡曲中心に振りをつけていて、「ううん、なんか違う、どっちか言うたら古典やりたいんやけどなあ」と思いながら見学させてもらった。一週間後、先生からまた一言。
「あんた、しっかりした古典やりたいんと違うか?」また胸の内がバレている。
以降、先生と一緒に日舞に関しての講演会を観に行き、近所で教えておられる先生を紹介してもらい、何度か足を運ぶ。80代の生徒さんが、「私ね、75歳の時に習いだしてん。もう85やで。なんでも始めるのに遅い早いはないッ」と爽快な笑顔で語ってくださった。
いよいよ、始める時が来たのかと、胸の奥の方で鐘が鳴る。人生は待った無しである。すぐに「やります」と腹を決めた。
お稽古には着物か浴衣で行かないといけない。浴衣ですら、いつも誰かに着付けてもらっていた他力本願なわたしであるが、今回はそのようにはいかない気がする・・と察知し、ネットであがっている着付けの動画を必死のパッチで観ながら練習した。人間追い込まれたらなんでもできるのである。
後日盆踊りの先生から稽古用の浴衣や扇子をどっさりいただいた。
「いよいよ、楽しみになってきたなあ!」と、先生はいつものように豪快に笑う。先生が本格的に踊りを始めたのは、丁度わたしの年(40代)くらいの時からだそうだ。
先生はわたしの姿を通して、若き日の踊りの情熱に燃え上がった自分の姿を見ているのだと思う。盆踊りの保存会の他の方達も、「いよいよ、始まったんやなあ!」と笑顔で喜んでくれる。なぜだからわからないが、たくさんの人に応援されながら、日舞のお稽古の幕が上がったのである。
それが祭り前夜という気がしてならない。
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