ティーンは短し旅せよ乙女 ~19歳グラサポ女子クロニクル~
みなさん、はじめまして!
名古屋グランパスサポーターの福島愛海(あみ)と申します。
「勝ち点3が欲しい!」が口癖の19歳です。
ホームもアウェイも行ける試合は全て現地に行くをモットーに、8歳の時からグランパスを応援し続けて12年目になります。
現在は、新潟県のJAPANサッカーカレッジでスポーツビジネスを学んでいて、「ある夢」に近づくために奮闘中です。
夢については、この文章を通じてじっくり語らせて頂きたいと思っています。
夢を実現させるために、最近は現地で応援できないことも増えていますが、テレビの前からグランパスに応援パワーを送り続けています。
ところで今月から、OWL magazineスタッフとして参加させていただくことになりました。
これまでは、読者として記事を楽しみにしていました。
峰麻美さんの文章に「その気持ち、わかる!わかりすぎます!」と共感していたり、OWL magazineの記事を読み終わるたびに「私もまた早く旅に出たいなー!」とワクワクして、次の旅を脳内妄想していたり。
そんな大好きでやまないOWL magazineに携わらせていただけることが、本当に嬉しく光栄です。
どうぞよろしくお願いします。
◇ Twitter https://twitter.com/ami_gram6
スタジアムはいつだってワンダーランド
まず、これまでの私のサッカーライフを振り返ってみようと思います。
私は、生まれも育ちも愛知県です。
地元クラブの名古屋グランパスを好きになったきっかけは、父の影響でした。
父は、サッカー経験者でJリーグ開幕当初からグランパスの試合をたびたび観に行っていたそうです。1998年に開催されたフランスW杯では、ツアーに参加して一人で現地へ行ったというエピソードを持つアクティブな人です。
全く記憶に残っていませんが、初観戦は私が1歳半の頃でした。
豊田スタジアム(以下、豊スタ)で行われた「2001年JリーグたらみオールスターサッカーJ-WEST vs J-EAST」の試合とのことです。
得点者に中山雅史さんがいることに、ちょっぴり歴史を感じます。
ただ、この頃からサッカーに夢中だったわけではなく、定期的にスタジアムに通うようになったのは私が小学3年生、2008年のシーズンからでした。
“ピクシー”の愛称で親しまれているドラガン・ストイコビッチ氏が、名古屋グランパスの監督として帰ってきたシーズンです。
スタジアムでの観戦エリアは常にゴール裏で、両親、私、3歳年下の弟の家族4人で観に行っていました。
最初は、ルールもわからないし、何でここに連れてこられているのかもわかない状態で、途中からDSでゲームをすることもしばしば……。
あとは弟と一緒にスタジアムを冒険してみたり……。
コンコースで鬼ごっこをすることもありました。
そんな中でも、ゴール裏に通ううちに、グランパスのサッカーも楽しみの一つとして加わるようになっていきました。
ただ、小学3年生の私には試合を観ることよりも、周りの大人たちが歌っているチャントを一緒に歌うことが好きでした。
大きな声を出して歌って飛び跳ねることって、日常生活の中にはほとんどないことだと思うのです。
それが物凄く新鮮だったし、ゴールのときにスタジアム中が歓喜に包まれる高揚感や、勝利後にサポーターと選手が一緒に万歳をしたりする一体感が病みつきになりました。
ルールは相変わらずよくわからないけど、ゴールが入ったら家族はもちろん、前後左右の知らない人たちともハイタッチをして一緒に喜べる!
屋台の美味しいご飯(スタジアムグルメ)が食べられる!
時には、豊スタの4階席まで行って冒険するのも楽しい!
なんか黒くて大きなマスコット(グランパスくん)にも会える!
「スタジアムってお祭りみたいな場所だなー!」と思っていました。
グランパスはここ数シーズンの間で、「グランパスワンダーランド」という企画をゴールデンウィークあたりに行っていますが、それよりもずっと前から豊スタと瑞穂は私にとって、この上なく楽しい「夢の国」でした。
スタジアムの非日常感は、他ではなかなか体験できません。
スタジアムへ通い続けるうちに、グランパスの試合が私の生活に一部になっていきました。
イケメン選手、マスコット、スタジアムイベント……。
サッカーを好きになる入り口は十人十色だと思うのですが、それが私の場合はゴール裏での応援でした。
そこからどんどん派生していって、「イケメン!」という理由から山口慶選手が大好きになり、母が手作りのゲーフラを作ってくれて、小学4年生でゲーフラデビューしました。
ただ、思い出のゲーフラなのですが、どこかに置いてきてしまったらしく、今は手元にありません……。
写真もないし、記憶の中だけで残っています。
愛着のあるゲーフラなので、今はどこにあるのかわからないけど、もう一度手元に戻ってきてほしいな、と思います。
またしばらくすると、今度はサンフレッチェ広島の青山敏弘選手のトリコになり、グランパスだけでなく他クラブにも興味を持ち始めました。
スタジアムに通い始めて数年後、小学5年生の頃の愛読書は、Jリーグ選手名鑑。
好きなテレビ番組は、やべっちFCとJリーグマッチデーハイライト。
好きな審判は、八木あかねさん。
冬休みの宿題だった縄跳びは、ゴール裏で飛び跳ねる持久力がオフシーズンで落ちないようにというモチベーションで飛んでいました。
そして勉強するときは、スカパーで再放送されていた試合をテレビで流して、解説・実況・サポーターのチャントをBGMにすることが定番です。
今考えてみると、なかなか「カオスな小学生」に仕上がっていました――。
ちなみに現在は、グランパス在籍6年目の青木亮太選手を激推ししています。
ポジションはMFで、宇宙人のようなボールタッチやドリブルが持ち味の選手です。
J2を戦った2017年には、クラブ歴代記録タイの5試合連続ゴールやシーズン13得点を挙げて、チームを支えました。
今は怪我のリハビリを終え、復帰を今か今かと待っていて、今シーズンピッチに立つ姿を見れる日が来るといいなと思っています。
アウェイ旅の楽しさに目覚める
これはサッカーに限らないのですが、私は「ハマったらとことん一途に貪欲に!」という性格です。ひたすらのめり込みます。
グランパスもその一つでした。
好きな選手が出来たり、だんだんサッカーのルールを理解してきたり、何よりも2010年にはJ1リーグ初優勝を現地で体験したことにより、私のグランパス熱は強くなってホームのみならず、アウェイの試合にも足を運ぶようになりました。
とはいっても、まだ小学生だったので、アウェイ旅に行くのはシーズンに2、3回ほどでした。
東は鹿島、柏、東京、横浜。
西は大阪、京都、広島へ。
家族4人、時にはペットのわんちゃん(ラムネくん、トイプードル&ミニチュアダックスフンドのミックス犬)も連れて、日本各地へとアウェイ旅に行ってきました。
家族みんなでアウェイに行くときの交通手段は、ほとんど自家用車のハイエースです。
金曜日。
小学校から帰ってきたらハイエースに布団を積み込んで、夜中の2時頃に家を出発!
両親が運転する中、私と弟はアウェイ旅用にレンタルしたDVDを観ながら寝落ちして、目が覚めたら……、目の前はスタジアム!というワクワクする週末でした。
鹿島では、試合後に「お風呂に入ってから帰ろう」ということで、カーナビで銭湯を探したのですが行くところ行くところ閉まっていて、なかなか辿り着けなかったのも良い思い出です。
柏に行ったときには、土曜日に試合観戦をして夜は車中泊。
次の日曜日にはディスニーランドに寄り道しました。
広島では、試合で散々ボコボコにされた挙句、大好きなダニルソン選手の退場だけでもしんどいのに、トゥーさん(田中マルクス闘莉王選手)とグラサポのゴール裏一触即発事件を目の前で見て、その迫力に半泣きになったり……。
けれど次の日は、愛しの青山選手に会うために、両親が吉田サッカー公園(サンフレッチェ広島の練習場)に連れて行ってくれて、念願のファンサービスをして頂きました。
天国と地獄のギャップが大きすぎて、忘れられないアウェイ旅となりました……。
目的地にもよりますが、1泊2日のアウェイ旅が多かったです。
スタジアムでグランパスを応援した次の日もしくは前日には、その土地の観光地に寄って帰ってくるというのが、私たち家族のアウェイ旅スタイルでした。
「サッカーと旅って、最高に楽しいじゃん!」
私が今まで訪れた土地は、35都道府県です。
そのうちの14都道府県は、グランパスが目的で足を運び、今のところアウェイ旅でしか訪れたことがありません。
「また行きたい!」と思う場所は沢山ありますが、私の人生にグランパスがなければ、知ることのできなかったものが沢山あります。
その土地の町並み、景色、文化などなど。
そしてアウェイ旅をするまでは、ホームでしか試合観戦をしたことがなかったので、他のスタジアムの雰囲気は想像ができませんでした。
今と違って、Twitterなどは使っていなかったので……。
なので、グランパスが私の中の当たり前になっていました。
しかし、アウェイに行くと各クラブごとに、街の雰囲気やスタジアム演出が異なります。
サンフレッチェ広島は、得点が決まったらサポーターが揃って選手の名前をコール(呼ぶに近い感覚)をしたり、ファンサービスの面に関しても選手との距離が近かった印象があります。
各クラブに個性があって、アウェイ旅で訪れるたびに新しい発見や楽しみが生まれるのです。
また、飲食店や公共施設で、その街のクラブのポスターや応援旗を見かけることも好きです。
街にクラブが溶け込んでいて、上手く言葉にできませんが「こういうところがJリーグの良いところだなー。やっぱりJリーグが好きだな。」と思います。
もちろん試合に負けたら気分はブルーで帰りの車内はお通夜状態でしたが、
「家族みんなで旅行ができる」
それは子供の頃の私にとって、十分にスペシャルな思い出でした。
両親のもとに生まれてこなければ、グランパスを好きになることはなかったかもしれません。
サッカーや旅の楽しさも知らなかったし、グランパスを通じて出会えた大好きな人たちとも出会えなかったかもしれません。
きっかけをくれた両親には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
この場を借りて、お礼をしたいと思います。
ありがとうございます。
たとえそれが女子高生の一人旅だとしても
中学生、高校生になっても、相変わらずグランパスにどっぷりな生活を送っていました。
アウェイにも変わらず足を運んでいましたが、私も弟も年を重ねていく中で部活動や習い事があったりして、それぞれのスケジュールが合わなくなっていきました。
なので、家族4人が揃ってアウェイに行けることが少なくなり始めたのです。
けれど、私は行きたい場所(アウェイ)が山ほどある!!
むしろリーグ戦、カップ戦、天皇杯だって、行けるものなら全部現地に行きたい!!
高校入学時には、サッカー部のマネージャーに憧れて、やってみようかと一度考えましたが、「待って。マネージャーしたら土日が部活動で埋まる……。グランパスの試合に行けない……?それは無理だわ!」を気が付いて諦めたくらいです。
この時点での問題は大きく二つありました。
1. 家族のスケジュールが合わない
2. 金銭面での問題
家族のスケジュールが合わないのなら、もう一人で行くしかないわ!
案外結論は早く出ました。
一人アウェイか……。
スタジアムに行けば知り合いはいるだろうけど、道中は楽しいのかな?
でもやっぱり行きたいな……。
天秤にかけてみました。
一人の不安 <アウェイに行きたい
はい、後者の圧勝です!
後からテレビ観戦をして「あ~、やっぱり行けばよかった!!!」と後悔したくないのです。
当たり前ですが、サッカーやスポーツに同じシチュエーションや内容の試合は二度とありません。
後悔することが何よりも嫌いな人間なので、何とかなるだろう精神を発揮して強行突破すると決めました。
金銭面の問題に関しては、お金が必要なら自分で稼ぐことにしました。
私の通う高校はアルバイトOKだったので、勤務中に日本代表のユニフォームを着れるという驚くほど単純な理由から、某スポーツショップでアルバイトを始めました。
アウェイ旅の資金調達という理由で始めたアルバイトでしたが、スポーツショップというだけあって札幌サポーターの方がいたり、他競技について知識を得ることが出来たり、振り返ってみると楽しい思い出ばかりで、今に活きる経験にもなりました。
素敵な人たちとの出会いも沢山あったので、この選択をした過去の自分を褒めてあげたいと思っています。
少しでも充実したアウェイ旅をするために、試合当日も午前中にアルバイトをしてから、更衣室でユニフォームに着替えてそのままスタジアムに向かうことも結構ありました。
こうして着々と準備を整えていき、女子高生の一人アウェイ旅スタート!
時には父と二人だったり、グラサポ仲間に相乗りさせてもらったり、同い年の友達と一緒に出掛けたり、スタイルは様々です。
グランパスがJ2の舞台で戦うことになった2017シーズンは、「J2で戦うことになったからには未上陸のアウェイにも行かなきゃ損だな。1シーズンしかJ2にいないから(予定)、アウェイもとことん楽しんでやる!」という強い思いを胸に、それまで行ったことのなかった四国や九州にも足を運びました。
私は日記を書くことが好きなので、アウェイ旅ノートというものをコツコツ書いているのですが、今見返すと2017シーズンは本当に頑張りました。
「今回の試合は絶対に落とせないぞ……」と緊張感を毎試合抱きながら応援し続け、惜しくもプレーオフに参戦することになったときには思わず涙しました。
今までプレーオフは他サポ目線から見ている第三者側でしたが、その厳しさや恐ろしさはテレビ画面からも十分に伝わってきていたからです。
“夢と絶望の90分”というキャッチフレーズは、まさにその通りだと思います。
負けてしまったらそこで終わり、というプレッシャーと、もしものときの瞬間を想像すると、サポーターながらも怖くて仕方ありませんでした。
なので、プレーオフ決勝でアビスパ福岡に引き分けてJ1昇格が決まった瞬間には感極まって泣き崩れました。
選手、スタッフ、サポーターが一丸となって目指してきたJ1昇格が、ちゃんと形になって実ったことが本当に本当に嬉しかったです。
そして、高校3年生の冬には、長年狙っていたシーズン前の沖縄キャンプにも行きました。
「人生初の沖縄が一人って流石に寂しすぎないか……?」と自分でも思いましたし、両親にも珍しく考え直すよう言われましたが、やっぱり行きたい気持ちは止められません。
はじめまして、沖縄県!
気になるページに玉田圭司選手の付箋を貼って、ガイドブックの予習も準備万端!
せっかく沖縄に来たので、美ら海水族館やガンガラーの谷など沖縄観光もばっちり楽しみました!
海が大好きなので本当はダイビングもしたかったのですが、スケジュール的な都合でそれはまたの機会に。
2020年夏は沖縄に行ってダイビングをすることが密かな野望です。
旅の計画をしている時間は、すごく楽しい。
どの電車に乗って、いつスタジアムに着いて、観光はどこに行って、夜はどこに泊まろうか――。
そんなことを考えているだけでワクワクします!
旅系の雑誌やテレビ番組などを観ていると、「あ、ここの観光地は来シーズン行ってみよう!」と思い、行きたい場所リストがどんどん蓄積されていきます。何なら旅の計画している時間が一番楽しいかもしれません。
また、私は自宅からユニフォームを着てスタジアムに向かいます。
それは、「名古屋グランパスの試合が今日あるんですよ!」という宣伝になるからです。
ユニフォームを着ていると嫌でも目立つので、電車に乗っているときなどにすれ違う人から注目されて、最初は少し恥ずかしいような気持ちもありました。
しかし、私自身が歩く看板になることによって、数百人の街の人たちにグランパスを認知してもらえるし、いつも夢や希望、勇気をもらってるぶん、大好きなクラブに少しでも恩返しや貢献ができたらいいなという気持ちで、これを私のマイルールにしています。
以前、名古屋駅で新幹線に乗る前にスタバへ寄ったら、店員さんからこんなメッセージを頂いたこともありました。
「グランパス勝つといいですね!」
とても心がほっこりしたのを覚えています。
オフザピッチで、サッカーはいいなと思える瞬間でした。
サッカーと旅の魅力を伝えるにはどうしたらいいのか
こんなグランパスライフを送る中で、中学生の頃に芽生えた気持ちがあります。
「将来Jリーグクラブのフロントスタッフになりたい!」
スタジアムでしか味わうことのできない、選手とサポーターの一体感やゴールの時の盛り上がり、爆発的な喜び。
この非日常な魅力を、より沢山の人たちに知ってほしい。伝えたい。
そのために、クラブのフロントスタッフになりたいと考えました。
ただ、フロントスタッフという職業はなかなか特殊で、どうすればその職に就くことができるのかさっぱりわかりませんでした。
そこで、「サッカー フロントスタッフ なるには」とWeb検索して出てきたのが、現在通っている新潟県のサッカー専門学校JAPANサッカーカレッジです。
その頃は、サッカー以外の他のスポーツにあまり興味や関心がありませんでした。
専門学校ではなく大学という選択肢もありましたが、「スポーツ経営学部」などのサッカーではなくスポーツという大きなくくりのプログラムであることがほとんどだったため、サッカーに特化しているこの学校に魅力を感じて入学を決意しました。
今まで住んできた愛知県とは違って、新潟県は雪国だし知っている人は誰もいない。
けど、チャレンジしてみようと思いました。
幸いにも、両親は「あみが目標に向かってチャレンジするのなら」と前向きに送り出してくれました。本当に恵まれています。
この学校の面白いところは、全国各地からサッカー好きが集まっていること。つまり、各クラブのサポーターが沢山!
きっと、全校生徒で見たら、Jリーグ全55クラブの各サポーターが全員揃うと思います。
小学校から高校には、グランパスやJリーグの話題でクラスメイトと盛り上がれることはありませんでしたが、この学校ではそれが日常です。
時々みんなでサッカーをしたりするのですが、記念写真を撮るととてもカラフルで圧巻!
なかなかこんな機会ってないですよね。
Jリーグのある週末になると、いろんなところでバチバチしていてそれもまた楽しいです。
ときには、仲間の相手サポーターと一緒に新潟を出発して、試合中はそれぞれのゴール裏でのどを嗄らし、また一緒に新潟に帰る、なんてこともあります。
よく考えると一緒に旅する友人は「仲間だけど敵」なわけで、矛盾しているような気もしてきます。でも、その矛盾を心から楽しみました。
今シーズンのグランパス最終戦の鹿島アントラーズ戦も、鹿島サポーターの友人と旅をする予定です。
勝ちたい。そして来シーズンもJ1で戦いたい……。
この2年間という短い時間ではありましたが、サッカービジネス界の第一線で活躍されている方々を招いての講義で貴重なお話を聞いたり、実際にスタジアムでの実習を行ったり、この学校に来なければできなかった様々な経験をさせていただいています。
気が付けば、1年半以上が経って卒業まで残りあと数か月です。
入学当初はフロントスタッフになりたいという一心でしたが、学んでいく中でサッカーの魅力を伝える仕事はフロントスタッフだけではないと気づかされました。
クラブと提携を結ぶ企業や施設管理、サッカー雑誌編集者、ライター、カメラマン、さらに視野を広げればピッチリポーターだって、サッカーの魅力を伝える素敵な仕事です。
「私はどんな形でサッカーの魅力を伝えていこう……。」
自問自答してもなかなか答えは出ず、悩み続ける日々が続きました。
今だってはっきりとこれといった答えが出ているわけではありません。
ただ、グランパスと共にしてきた数年間をこうして振り返ってみると、やっぱり私の原点は「サッカーと旅の楽しさ」なんじゃないかな、と最近思うのです。
応援の楽しさはもちろん、今まで知らなかった土地の文化を学んだり、そこには初めて見る景色があったり、初めての経験が出来たり。
そして、何よりも純粋に旅が楽しい。
サッカーと旅の魅力を伝える仕事は、どんなものがあるのだろう。
旅行会社でサッカー観戦ツアーを企画することなのかもしれないし、SNSでサッカーと旅の楽しさを発信していくことなのかもしれない。
これまた選択肢は沢山ありますが、現在模索している最中です。
OWL magazineは、まさにサッカーと旅という私的にドンピシャなWeb雑誌でした。
最初は読者として記事を読むことを楽しみにしていましたが、次第に「私もOWL magazineの仲間になってサッカーと旅の魅力を沢山の方々に伝えたい!」と思い、念願が叶ってこうして文章を書かせていただいています。
また、嬉しいことに、今後はOWL magazineのSNS投稿も担当することになりました。
新着記事の紹介や予告、その他OWL magazineに関わるワクワクするような情報をアップしていきたいと思いますので、宜しければみなさんぜひフォローをお願いします。
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現在19歳、もうすぐ20歳になる私はまだまだ知らない世界だらけです。
これからもアウェイ旅を楽しみつつ、その魅力を発信していければ、理想とする夢に近づけるのかな、と思っています。
いつかは日本全国47都道府県を制覇して、海外への旅も挑戦したい!
そして、グランパスを追いかけて楽しい旅をしたい!
いつまでも、旅を続けていきたいです。
以下、有料部分では、私の新潟でのグランパスライフについて書いています。
ご購読いただけると、月額700円で毎月15~20記事が読み放題になります。
サッカーと旅の様々な記事があり、個人的には「これって本当に月額700円で良いのかな?お得すぎなのでは?」と思いながら読んでいます。
是非ご購読よろしくお願いします。
続きをみるには
OWL magazine 旅とサッカーを紡ぐWeb雑誌
サポーターはあくまでも応援者であり、言ってしまえばサッカー界の脇役といえます。しかしながら、スポーツツーリズムという文脈においては、サポー…
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