東京と私と。-諫早勾留記69-
昼休み、気持ちよく文章を書いていた。テーマも流れもあって結構うまく行っていた気がする。しかし突然エディターの自動更新が止まり、下書き保存も、投稿すらもできなくなった。私はそっとnoteを閉じ、下書きは闇に葬られた。
多分これ関連だろう。
一応スクショは取っておいたが、もう一度同じ文章を書くのはただの作業でしかなくつまらないのでやめておく。
最近、鹿児島以外の九州の言葉に違和感を覚える。九州に住んでいるのに違和感を感じるというのは重症だと自覚している。それは私が鹿児島出身であるというのと鹿児島の言葉が九州の中でも異質であることが理由であろう。
鹿児島の言葉はいわゆる九州の言葉とは正直イントネーションと一部の言葉ぐらいしか共通点はない気がする。特に熊本以北とは。
博多弁と言われるような言葉は全く別の言葉だ。語尾などは全く違う。
こんなに語っている割には具体的にどういう違いがあって、どういう共通点があるかなどは理解していない。まあそんなもんだ。
九州は捨てた、とずっと豪語しているが、こういうところにも影響が出ているらしい。社内はもちろん九州の言葉が飛び交う。たまにいる関西人の関西弁はほっとする。実家で今は亡き祖父母の鹿児島弁を耳にしたときの気分である。
同じ九州とはいえ、この街には親近感など一切ない。それは多分大分も熊本もそうだ。宮崎だってそうだし福岡だってそうだろう。
1つ忘れている気がするがこの議論の中ではどうでもいい。
鹿児島でも本土と島では言葉も文化も違う。なんなら薩摩と大隈、海と山、鹿児島、川内、もっと北、国分、鹿屋、指宿とか枕崎と街ごとに文化も人も違う。スポーツの県大会などではその違いが明確に表れていた。
人柄もそうだし、物事への取り組み方も全く違った。
京都でいえばあっち側に行けば行くほど人柄が変わるとか都の中と外とかそういうのか。ぼかしまくってるがわかるやろ。
東京でいう新宿は豪雨とか歌舞伎町の女王とか頬を刺す朝の山手通りとか終電で帰るってば池袋とかそういうのだ。違うか。
東京ではなぜかincidentしたくなるしappleをかじりたくなる。東京にはよく行ったが人はたくさん、心は孤独、そんな街だった。
虎ノ門の駅前でひたすら感じた孤独感は忘れない。
表参道ですぐそこに雷が落ちたことも忘れない。
渋谷と後楽園はよく行った。
真夜中、赤門を乗り越えたっけ。
翌朝食べた家系ラーメンの店は潰れていた。
赤坂のファーストキャビンはよく泊まった。
それにしても赤坂にはよく行った。
浅草の飲み屋も門前仲町の飲み屋も良かった。
もちろん巣鴨のやきとん屋も。
上野公園でいかやきを食べたのもいい思い出だ。
その後上野のどっかのSABONに行ったっけ。
あのときの店員さんの優しさは未だに覚えている。
白山のココイチの前で柄本明とすれ違ったこともあった。
横断歩道を渡る人が皆、目を見合わせていて面白かった。
神田の辺りはよく歩いた。秋葉原とか神保町とかあの辺もよく歩いた。神田の日高屋の前で自己紹介動画を撮ろうとしたけど恥ずかしすぎてやめたこともあった。神田のルノアールもいい思い出がある。
新橋とかわくわくした。
浜松町では推しに会った。
なんで東京タワーに行ったかは忘れてしまった。
スカイツリーはスカイツリーのためには行かなかった。
千駄ヶ谷の将棋会館も行った。友人にその話をすると少しわからなそうだった。
新宿から中野まで歩いたっけ。
あの日の最終目的地がわからない。
夜行バスを降りた池袋は汚かった。でもそこには誰かの生き様があった。
夜の池袋も誰かの生き様があった。どの店に行ったかはもう忘れた。天一に行ったこともあったかな。わざわざ池袋で。
そういえばサンシャインシティに泊まったことがあった。学生にしては少しリッチだったかもしれない。まだまだ世の中のことを知らなかった。
あの時は水道橋の餃子の王将が戦場と化したのだったと思う。
六本木でふらっと入ったラーメン屋が美味しかったなと思っていたらAFURIだった。
ミッドタウンにはよく行った。暇つぶしだった。
市ヶ谷の悲劇とか馬喰町に振り回されたあの日とか東銀座の蕎麦屋とか田端から歩いたあの道とかそういうのは多分忘れるのだろう。
東京は思い出ばかり。
でも東京に行くのはあと5回くらいでいいと思っている。
そんなこと言ってたら住むことになるのかもしれない。
東京は逆に行きたくない。
たまに行ってこうやって1つ1つの街が特別な思い出になってくれればそれがもうincidentだ。
ふといろいろなことを思い出したくなってgoogleマップと共に東京を旅した。
また日が変わる。雨がやってくる。
また明日。
にゃーん。