ぐらしあすの「下着泥棒」

以前からちょくちょくとニュースでそんな事件を見ていた。
先日も同様のニュースが流れ、映像を見たら、下着があるある。
どうやってこれだけ集めることができたのかが解せない。
女性は基本的に自分の下着は部屋干しするか、外に干しても、周りに覆いをして見えなくするものだとうらしあすは勝手に解釈している。
このようなニュースを聞いていつも思うことは「女性は男性の下着を盗まない」ということ。ぐらしあすが知らないだけかもしれなけど、たとえあったとしても極めて低いパーセンテージではないだろうか。
ではなぜ、下着を盗もうとするのか、いや盗むのか。
そういった性癖だといえばそれまでだけど。盗んだ下着をいったいどうしているのだろうか。眺めているのか、身に着けてみたりしているのか、香りに酔いしれっているのか、想像ができない。中学生が興味本位で、女子生徒のスカート捲りをしているのとはわけが違う。
ぐらしあすの解釈だけど、そのような行為に性的興奮を感じ、危険を犯してまでその行為をせざるを得ないのは、ある意味これまでの人生で、愛する女性を人間として尊く抱きしめたことはあるのだろうか。また、失恋があっても、「あなたのことが好きだ」と正面切って言ったことがあるのだろうか。
人はみな、LGBTも含めて相手がいて、その相手の全てを包み込みたいという欲望にかられ、抱きしめ愛し合う。頻度は個人差があるにせよ、この繰り返しだと思う。下着泥棒はそのような経験を積み重ねてきたのだろうか。
①積み重ねてきた場合
②積み重ねられなかった場合

①の場合は、ある意味、他国を例にすると、性体験の年齢が低く、そのまま性体験を続けるうちに、同性に興味がシフトする場合。
②の場合は、人間同士の恋愛体験が極めて薄く、仮にバーチャルの世界ではあったにせよ、相手が生身の人間でないというコンプレックスが故、性に対する欲望がゆがんでしまった場合。

②の場合が多いのではないかと思う。つまり、次から次へと同じような下着(人は異なるが)を盗むことで、自らのコンプレックスを強引にへしまげるように、ある意味「征服」をしたという錯覚が、現実と重なり合った時に性的満足を得ることができるのではないだろうか。しかし、根っこにあるコンプレックスは完全になくなるわけでもなく、そのコンプレックスの芽が出そうになるたびに「征服」という行為で自分自身を守り、正当化しているのかもしれない。

ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。