天国の日々①
温泉日記vol.0【ポルダー潟の湯】
たしか5月3日のことだったかと思います。
青森県に住んでいる古い友人から連絡が入り、秋田市に遊びに来ているということでした。
旧交を温めようと思い、秋田市川反の居酒屋を予約したのですが、約束の時間まではだいぶ余裕がありました。
そこで友人に会う前に大潟村の温泉に入り、時間を潰そうと思い立ったんですね。
改元を祝うかのような素晴らしい陽気で、車庫で眠っていた中古のボルボもどこか拗ねているように見えましたので。
大潟村は秋田県の西部に位置する人口3千人ほどの小さな農村です。
秋田県はタツノオトシゴの頭のような形をしているのですが、男鹿半島を鼻に例えるとちょうど目ン玉の部分にあたります。
もともとは湖だったのですが、戦後に干拓工事が行われ、今の村の形になったわけです。干拓が行われる前は滋賀県の琵琶湖に次ぐ日本第2位の大きさを誇る湖だったようですから、それを「埋め立てちゃおう!」と思い立った発想がすごいですね。国道の道端にコンビニを作るのとは規模が全く違うわけですから。
そして、やはりというか、そこには大物政治家の影響力が介在していたんですね。
「和製チャーチル」と呼ばれた吉田茂の大号令の下、戦後の食糧不足の克服を目的として、大規模な干拓事業が計画されました。
しかし、当時の日本各地で行われていた干拓工事は規模も小さく、また技術も不足しており、軟らかい地盤の上に堤防を築くことは至難とされていたようです。そこでオランダに協力を求め、その道の権威であったヤンセン教授の指導の下、ようやく現在の大潟村の原型が作られたとのことです。
そのため、今でも大潟村の住民たちはオランダの人々に敬意を払い、第二公用語としてオランダ語が話されています…
というのは、まぁもちろん嘘ですが。
結局はその工事の前後もいろいろ大変だったようです。もちろん、その湖で生計を立てていた漁師たちもいましたから、その人たちへの補償の問題があったり、完成したのも束の間、今度は減反政策がはじまって、入植者の方々が自殺したりなど、政治に翻弄された市井の人々の悲しい歴史があるんですね。
でも、まぁその5月3日の大潟村はそのような辛い過去の片鱗は見せず、その肥沃な大地を気前よく、晴れ渡った空の下にさらけ出しておりました。
広い農道を車で走りながら、窓を開け放つと草木の匂いを含んだ清涼な風が頬を撫で、進路にはスティーブン・ショアの写真のような、透明な光が溢れておりました。
(つづく)
(参照:大潟村ホームページ「大潟村百科事典」)