お布施をすれば幸せになれるのか
安倍元首相が亡くなった。
国内では
今年に入ってからの衝撃的なニュース。
さて、犯行に及んだ理由が
特定宗教に家族がみぐるみをはがされた恨みつらみ・・
お布施が足りないから幸せになれない。
お布施をもっとしないといけない。
金品を積むことで幸せになれる。
そうしないと幸せになれない。
特定宗教で多額の寄付をして
幸せだと言っている人は
最初から幸せだと思っているからで
多額の寄付をしたわけではない。
ただ理由づけに
「あなたの施しがあなたの幸せに繋がったのだ」と言われて腑に落ちただけだ。あなたの大切なお金を上納したから代わりに幸せがやってきたと。
で、その金額によってステータスとやらが上がるんだと思う。
人が幸せかどうかって誰が決めるかって他でもない自分自身だと思う。
まずここだと思う。
~をしないと幸せになれないというのはたぶん自分で呪いをかけてしまっているだけだと思う。
宇宙規模で考えてみたらわかるかもしれない。
宇宙の中のちっぽけな自分。
そんな自分が何かによって
幸せが左右されることなんてあるだろうか。
病気になったことを思い出してみよう。
頭がいたい、熱がある。よくならないと思ったとき、その原因がハッキリわかればほっとする。
しかし理由がわからずにただひたすら
辛いのは不安になる。
お金がない、仕事がない、恋愛もうまくいかない。そんなものを全部ひっくるめて「あなたには信仰が足りない」
と、言われたら?
すがりつきたくなるかもしれない。
一筋のヒカリのようにら思えるかもしれない。 なぜなら理由がわかった、気がするから。
信仰をし続けても、よくいかないとなると更に「もっと信仰が足りない。」と言われ、負のループにハマっていくんじゃないだろうか。
信仰は自由だ。
否定はしない。
ただ本質的に人の幸せ云々は
外でもない自分の意志だ。
不謹慎な話だけど
大竹しのぶさんの元ご主人が亡くなったとき。大竹さんは
「こんなに悲しいのに、ご飯が美味いと思った」とおっしゃってた。
悲しみにくれていても、体や脳はご飯が美味しいと思える喜びを携えている。
私はそれでいいと思う。だって人間だもの。
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