見出し画像

ブルーピリオド 八虎と世田介について

二人が美術の才能の面で対になっている件について考えてみた。

最近ブルーピリオドを読み返していたのですが、至る所で八虎と世田介くんが対になっていると気が付いので備忘録的に記します。

ではどのように対になっているのか……

そもそもこの二人、がっつり絵を描き始めたのは同時期!!


二人とも高二から真面目に絵を描き始めた天才なわけですね。

1巻1話目


9巻35話目

幼少期から才能の片鱗を見せていた世田介は勿論天才ですが、美術に欠片も触れてこなかったにも関わらず高二から描き始め、その持ち前の思考力を武器に東京藝術大学に合格した八虎も、また天才なんですね。

で、二人のアーティストとしてのポテンシャルを

・画力(絵を上手に描く力)
・知識力(持っている知識の量)
・思考力(出された課題に対し自身の『知識力』を通し自分なりの答えを導く力)

で考えた時(ブルピ読んでいるとだいたいこの三種に分類される気がする)

八虎
画力1知識力3思考力5

世田介くん
画力5知識力5思考力1 

みたいなバランスで書かれていると思うんですよね。

八虎くんは思考力が高いので二次試験受かったんでしょうね。

つまり『画力』と『思考力』が対になっているわけです。
(八雲や橋田の知識力は6)


これは、作品に己の全てを捧げねばならない、というスタンスの猫屋敷さんの両者に対する対応に現れており、


作品に全てを捧げる猫屋敷嬢 9巻37話目
ガンギマリ猫屋敷嬢 9巻37話目

思考力が高く、持てる技術(画力や知識力)をフル活用し必死で足掻く八虎には甘くて

8巻32話目

思考力が低く、持ち前の高い技術(画力や知識力)を持て余す世田介くんには厳しい。


9巻36話目

そして両者はお互いの武器に憧れをもっています。
八虎は世田助くんの画力に。
世田介くんは八虎の思考力に。
(世田介くんの言葉では、思考力は、『努力』する力→『努力』力となります)

世田介くんの思考力が低いのは、様々な要因があると思いますが

・母親が気にいる絵を適当に描いていたこともあり、こんなとこで良いだろ? 的なやっつけ仕事で絵を描いていたので思考力が鈍っている。

・世田助くんは他人とは異なる感性をした人間であり、これまで何度も何度もコミュニケーションで失敗してきたため、『自分の意思を伝達する』点において自己評価が恐ろしく低く(もしくは諦めてしまってる)、他人と真剣に関わる際(つまり絵画。絵は言葉に出来ない感情を伝達するコミュニケーションツールであり他人に評価されるものであるため。下記参照)

1巻第2話

それにおいて『自分の心や想い』を晒せない。傷つかないために他人の言葉を借りるため(自分の思考力を使わないため)表面的になる。

・自己評価が低いために、お題に対し自分なりの解釈を入れられない(これに関しても下で掘り下げます)

などがあるのかなと思います。

10巻第42話
事実、自分の心を消してたと言う世田介くん

では、世田介くんよく言う絵画の『本質』とは――

10巻第40話

自分なりの考察ですが、絵画はかつてただただ上手くあれば良いものでしたが写真の登場により、様々な方向に価値を分散しました。

絵画の持つ力の、どの側面を重視するか?

中でもブルーピリオドは『伝達力』に重きを置いていると思います。
(上記『画力』『知識力』『思考力』といった『個人』のパラメータではなく、その個人が作り上げた『作品』が持つパラメータの一つ)

つまり絵は言葉を介さないコミュニケーション手段であるために、言葉に出来ない感情を伝達する機能があると。

上に貼った一巻での描写や、犬飼先生の言葉でも上記内容は言われています。

10巻第42話

つまり作者の山口つばささん(そして世田介くん)は、美術のこの『伝達力』の価値を見出しているのかなと。(少なくとも藝大一年生編ではこの価値観に重きを置いていたように見える)

とはいえ絵を描く以上画力は必要なので、

『アーティスト』が持つ『画力』『知識力』『思考力』や、アーティストの総合力の発露たる『作品』の『伝達力』などを評価軸において、この物語を描いている。

そしてもうお気づきだとは思いますが、物語を展開するにおいて、
世田介くんには『画力』が、八虎には(八虎の作品には)『伝達力』が作者から授けられています。

(『思考力』の賜物として『伝達力』が備わるのか、八虎の天性の素質によるところかは不明ですが……。少なくとも一話の時点で八虎は絵を通して渋谷の朝を『伝達』しています)

1巻第1話

世田介くんは八虎の伝達力に憧れを持っているのでしょう。

そんな伝達力に美術の本質を見出してる可能性のある世田介くんですが、これがなかなかややこしい状態にある子でして

世田介くんは人とは異なる人間であり、自分の思いを自分なりの言葉で表現しようにも、自分なりの絵で表現しようにも、相手に伝わらない。そこに大きなコンプレックスがあったのかなと思います。もしくは自己評価の低さ故に自分の思いを籠められないというジレンマがあったのかなと思います。

だというのに、周囲は彼の悩みには気づかず、『絵が上手』である側面だけを切り取り、自分を評価することに不満を持ち、(やさぐれ)攻撃的になっていた。誰も自分の苦しみや憧れに無頓着であることに腹を立てていた。

まぁ、自分が持っていない才能は眩しく見えますものね。

だから、予てより『伝達力』のある絵を描ける八虎の絵を評価していて、

そんな八虎が世田介くんの絵に潜む要素をあっさりと読み解いたことで、初めてコミュニケーションが出来て涙した、と。

10巻第40話
10巻第40話

世田介くんにとってウサギの絵は自身とウサギとの愛情を(こんなにウサギに好かれてるぞ。または俺はこんなにウサギが好きだぞ)こめた絵だったんでしょうね。だからそれが汲み取られて自分の想いを作品にのせて良いと思えた、ということだと思います。


10巻第41話

(なお犬飼先生も世田介くんの作品から瞬時に意図を汲み取っています)

10巻第42話
流石の犬飼先生(怖い)

世田介くんとのコミュニケーションの最適解は?


これ、自分も整理できていないのですが、何が最適解なのでしょう?

世田介は周囲と異なる人間であるが、周囲との関りを求めている。ここは確定。

第10巻41話
第10巻41話

で、あるならば、傷つく覚悟で話しかけに行くしかないが、それは出来ない。でも誘っては欲しい(まぁ分かる)

第10巻41話
誘われればホイホイついていく世田介くん

だから(教室とかで)絵を描く
(絵はコミュニケーションだから)
(とはいえ他人との関わりを求めるために絵を描く事は正しい解なのかは不明)

第10巻39話

そして絵が上手いと褒められるとご機嫌斜め(?! なら教室で書かなきゃ良くない?!)

第10巻39話

これってつまり、上手とかじゃなくて、

強そうだな! とか言って欲しかった? なのにうまいと表面的な絵の巧さを褒められて荒んだ?

もしかして、絵を描くことで、自分のどうしようもない性格を肯定してくれるミューズ(男女問わない)が来ることを望んでいた?(流石にそれは考えすぎか)

絵を描く世田介くんを見て、そのまま世田介くんの性格含め全てを肯定してくれる人を待っていた? もしくは全肯定でないにしても、普通に友達してくれる人を待っていた? 絵を描きつつも、絵よりも自分を見てくれる人を待っていた?

だとしたらそもそも絵をかいてる時点で無理あるよ~って気もしますが、矛盾したり最適解でない行動をしてしまうのが人間なので、それはそれで愛らしいなと思います。

それにしても今後はどうなっていくんでしょうねぇ。
大学進学後、八虎(vs槻木)→世田介(vs猫屋敷)→橋田(with小枝)→八虎(vs犬飼)→八雲(in広島)の順でそれぞれに気づきを得て作家として成長してるので、今度は龍二か桑名さんか?それともまた八虎ですかね?(単行本派なので展開を知らない)

物語がどんな純文学的テイストな結末を迎えるのか楽しみでなりません。
ほんと、作家としての成長や葛藤が描かれてて最高の物語やで。

以上です。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?