ベランダ飲酒のすゝめ

ここでいう「ベランダ飲酒」とは、読んだそのままベランダでの飲酒行為を示す。筆者の最近のマイブームを言葉にした、ただの造語である。

正直ベランダでなくてもお酒は美味しく飲める。(酒好きであれば)


ならばどうして「ベランダ」での飲酒がそんなに魅力的なのか。


答えは単純明快で、「地上を見下ろす形」で「自分だけの世界に浸ることができるから」である。

狭いベランダの一角で、深夜になっても蠢く人々の様子をぼーっと眺めていると、自分も他者もそのたったほんのすこしの一部であるということに気づくことができる。つまり、「物事を客観的に見る」ことができるのである。加えて飲酒をすることによって思考を鈍らせ、余計なことでクヨクヨする自分、つまり「他者や自分への失望」を一時的に忘れることができる。ただ夜の空気の一要素となった気分になれる心地がなんとも言えず、感傷に浸ることができる。

他者の言動や行動に一喜一憂したり、自分を肯定することができなくなったりしてしまう時、人は無意識に他者や自分に「こうあって欲しい」という願望を抱き、そうあることを期待している。また、そうだとわかっていても、日々を懸命に、真剣に生きれば生きるほど客観的に物事を見る余裕がなくなって、知らぬ間に「期待」してしまっている。

飲酒をした状態で、高所から景色を見ることで、強制的に肩の力を抜くことができ、物事を客観的に見ることができる。

「ベランダ飲酒」は体に力が入りすぎてしまう筆者なりの一つの休息の形である。同じように、日々繊細になりすぎて傷つきやすい自覚がある人(そしてお酒がある程度飲める人)は、一度試してもらえたら幸いである、ということを伝えたいがための日記のような推奨記事である。

今日の筆者のお供は、大定番梅酒ロック。そろそろ誰かとお酒が飲みたい、この日この頃。



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