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140字小説(2019.1~)

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甘酒が飲めるようになったのは、大人になってからだった。個人的に考えた作法はこうである。あたたかい湯飲みを両手で持ち、かじかむ指をあたためる。窓を開けて、空から落ちて来る雪のひとかけらを浮かべる。立ち上る湯気を空に帰す。それから、こたつに戻って、初めて一口。

雪の降る国では、長い間光を見ることができない。人々は、お互いの身体に降り積もった雪を払いあう。すれちがう時、細い雪道を譲り合う。雪に埋もれ動けなくなった者を助け合う。ストーブのぬくもりを分けあう。光に目が眩み、奪い合い、争い、傷つけあう国にも、どうか雪が降りますように。

もう何年も何も建たない空き地。今はただ雪に埋もれ、そこに何があったのか、誰もが忘れていた。皆が寝静まった真夜中、月明かりに照らされた雪が陽炎のような幻影を生む。例えば、あの公園。そして、あの日、置き忘れた大切なもの。迷子になりそうな時、拾いに行くつもり。

雪道を歩いて家に帰る。積もったばかりの雪は、羽毛のように柔らかいので、転んでも痛くない。月明かりで輝いているので、迷うこともない。虚だった僕に、雪で浄化された空気が注がれてゆく。家に到着し、僕は雪だらけのブーツを脱ぐ。星屑みたいに雪が零れ落ちた。 #140字小説 #イラスト

穏やかな寝息のように星が瞬いている。間を縫って落ちて来た雪は寝ぼけたまま、凍った湖に着地した。寝ぐせだらけの雪達は、互いに絡み合い、幾重にも重なっていく。やがて朝陽が雪達を天へと帰し、凍り付いた湖を透明にした。湖底に届く朝陽のカーテンがゆらゆら揺れる。

樹の枝に小鳥が音符のように並んでいる。僕が窓を開けた瞬間、小鳥たちは飛び立ち、揺れた枝から雪の花弁が舞った。僕の後ろ手に隠し持ったずるさに気付いたのかもしれない。雪の降った後の世界はあまりにも浄化されているので、隠し事はすぐに見透かされてしまうのだろう。

翼を失った僕は飛び立つことが出来ずに、冬に置き去りにされてしまった。地の果てからひたひたと押し寄せる冷気が、世界を凍てつかせる。世界が静止し圧倒的な静寂が訪れた瞬間、それは空から落ちて来た。白い羽根。僕の失った翼を覆うように、幾重にも降り積もる。

僕のかかとには魂のきれはしが引っかかっている。雪道には、きれはしを引きずった跡が轍となっていた。無表情な月の光が轍に流れると、水面が涙のように悲しく波打つ。ひやりと足首をつかむ月のせせらぎ。またひとつ足かせが増えた。僕は、振り払うことなく、歩みを進める。

薄汚れた雪の上に、新雪が降り積もる。幾重にも降り積もる雪が、嘘や妬みや嫉みを隠してくれるのだろう。ただの欺きだというのに。それでもいい。世界を浄化させようと降り続ける雪はあまりにも健気だ。降り続けた雪が地上をきしませる時、春がやって来て、代わりに世界を浄化する。