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苦言中毒

Twitterアカウントが8つある。
イーロン・マスク事変により凍結してしまったアカウントを含めると9つ(もう使うこともなかろうと氷漬けにしている)。Twitterをはじめたばかりのユーザーが徐々に『わるいついったらー』になっていくさまを幾度となく目にしてきたわけであります。
あの、楽しそうだった人はどこにもいない。もう「廃墟」である。
切ない。とても切ない。
けれど、自らの心の平穏のためにも、そういう「廃墟」はそっとミュートないしブロック。普段生息しているアカウントでは、そうしている。

Twitterアカウントが急速に「廃墟化」するにあたって、もっとも多いきっかけは「苦言やご意見、あるいは他者への糾弾の小バズ」です。自分が主に生息している界隈だと、過激な創作論などがそれにあたります。

時事問題や界隈のもめ事に対してご意見番じみたツイートやらちょいと過激な創作論など、反応が多くつきやすいんですね。悲しいことに。
自分であえて発信はしないことを他人のツイートへの「いいね」や「リツイート」で表明することもあるでしょう。そういう人たちに、承認された気分になってしまうのです。

「あえてツイートしちゃう、歯に衣着せぬ私!」
「間違っているヤツを『刺して』やった鋭いツイート!」
「うおーー、最強!!」

そんな風にね。
あんなに嫌っていた「物騒なアカウント」とか「老害ムーブ」とか、そういうものになっていってしまう。今まで、小さな日常や小さな感情を綴っていたアカウントにとって、10の「いいね」や20の「リツイート」が麻薬になるのだと思います。(会社に勤めているときに、かなしき「老害」の誕生過程を目撃してしまったことについては、また別の機会に)。

かくいう私も、「あーあ、体調も悪いし気分もすぐれないし、いっちょバズって気分晴らすか~~」という浅はかなツイートが想定の2万倍(3万リツイート着地だろうと思っていたのが7万リツイート)下調べが甘く、匿名ツールにバカスカと正義の鉄槌マンたちからの投稿が投げ込まれたこともあります。ああ黒歴史。疲れているときにTwitterなんかするもんじゃないし、本質的にTwitterなんてやるもんじゃないってわけです。

趣味のアカウント、好きなんですよ。
情報発信や交流、思いを140字にして呟いている初期状態が、特に。
当然、思いのままに書いているわけではなく、さまざまな気持ちをごっくんと呑み込んで140字にして発信しているのでしょう。

でも、そういう「素敵な状態」は長くは続かないのです。
メディア欄は、ラーメンや焼き肉による飯テロに。
ツイートは、尖ったご意見や斜に構えた皮肉に。
そりゃ、ご意見番ツイートのほうがたくさん反応があったら、「最強のきもちだ!」「もっとやれ!」ってなっちゃいますよね。わかりますよ。

でも、時事ネタや創作論への「苦言」に溢れたアカウントを、「あの人の廃墟」を見ては思うのです。

あなたの書く、あの文章が、本当に好きだったのに。
あなたの楽しそうな姿が、好きだったのに。

Twitterアカウントが8つある。
一番はじめに作ったアカウントの、数十人しかいないフォロイー。
彼らが作り出すタイムラインには、もう「廃墟」しか並んでいない。