障害者の傷、介助者の痛み

『障害者の傷、介助者の痛み/渡邉琢』を、読みきりました。

あらすじとしては、介護・介助労働における障害者・健常者の抱える諸事情のうち、一般的には目をそむけられがちなところに焦点を当てていてるもの。

当本にも記載されているが、介助に携わる人の様相は様々であり一枚岩ではない。

まず、私自身のこれまでの立ち方を振り返ってみると、関わる目の前の人がやりたいとすることを応援するスタイルでの関わりであった。運動の活性化や介助当事者としての介護保障のための運動はあまりしていない。署名するくらいだ。

本の内容に関しては、関係者同士で話す悩みや愚痴、支援者としての揺らぎポイントの話が多く、あー皆さん、似たようなもやもやを抱えながら、日々つながりに惑い、つながりをリコネクションしたりしなかったり、あるいはできなかったりしていることに、安心感のようなものも覚えた。

安心感と同時に、今関わり方を変えようとしている自分は、どうつながり方を変えたいのかを考えた。

章のひとつに、ベーシックインカムがあれば介護を続けるかどうかという試論があった。私の答えとしては、今の職場で働いている限りはほぼ同ペースで続けるだろうし、介助自体やめる気はない。

自分がペースを減らして、他の人が無理なく入ってくれる可能性が高いのであれば、減らすと思う。

障害者に対して暴力的な思考が自分のうちに沸き起こることにも触れられていた。

それは個人の負える領域にあるのではなく、社会から得た傷が痛むからである。そこからリカバリーすることは「戻る」ではなく、「こうありたい」と自然に思う状態に「なる」ということだ。

リカバリーがすんなりいくことはほぼない。

これは健常者/障害者という立場を越えて共通するで痛みとの向き合い方であろう。

その向き合い方を通じて「共に」を実感できるのではないか、そんなことを思ったのであった。

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