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訓練について、noteをはじめました

あることがらについて、何とか言葉を探しながら話す。
最初はぴたっとくる語彙が見つからなかったり、話しているうちに中心から離れてしまったり、考えの足りなさに気づきながらも口だけが進んでしまう。
わたしはあの時どう話せばよかったんだろう、と逡巡する。
生活のふとした時にそのヒントを見つけたりする。
本を読みながらこういうことを私は言いたかったのかもしれない、と引き戻されてまた考える。
自分にとって大事なことがらであればあるほど、そんなふうに行きつ戻りつしながら、少しずつ感覚や言葉を肉付けしたり、捨てたりして、確かなものにしてゆく。
そしていつのまにか、そのことについて問われても淀みなく話せるようになる。

完結な説明が上手じゃない自分をと常々面映ゆく思っている私なので、こうしてすらすらと言葉が出てくる状態までこぎつけつことはまず嬉しいことではある。
いちいち体中の感覚を辿り直して鉛の海のなかからそれを掘り起こしてこなくても、用意されているいくつかの言葉を頼りに会話を紡いでゆける。
相手を待たせないで済む。

しかしいずれ、私は「すらすらと言える」という状態に対してまた立ち止まることになる。
言葉は諸刃の剣だ。
言葉にしたとたんに置き去りにされてしまうもののことを、実はいっときも忘れてはいけない。
言葉はいくらでも先走りするし、複雑なまま機が熟すのを待つべきこともすぐ単純にして、わかったような気にさせてしまう。
言葉をうまく操っているという陶酔は、自分を盲目にする。

この状態は、芸ごとの習得でも同じことが言える気がする。
技工とか技術はより細かい感覚を掬い上げ、自分を遠くまで羽ばたかせるために不可欠なものだ。
ある感触を身体で表そうとしたときに、自分のからだをイメージ通りに操作できなければ外から見ている観客をその感触に至らせることはできない。
けれど、自動的にそのことができるようになると陥りやすいのは、すでに習得しているなにかを引っ張ってきて単純に当てはめてしまったり、得意な動きでお茶を濁してしまうこと。
私は即興でいつまでも踊ることができるが、この「得意な動き」を多様してしまう自分を発見すると辟易する。
訓練しているから身体は動く。
動くけど、ほんとうにその動きなのか?
わたしはいまどこにいて、何を聞いて、何を感じて、どういう景色があって、どういう時間があるから、じゃあこう動こう。そういう一瞬いっしゅんの考え直し、感じ直しをしたい。
それこそがが、表現の色気というものじゃないのか。

実際にはテクニックの習得の過程で絶えず「それに至る自分」の間を行き来する、自分の本質に耳を傾け続けるはずなのだけれど、よほどきちんと意識し続けないと、ただ敷かれた(あるいは自分が敷いたがすでに古びた)道を歩むことになる。
本質の滲みのないものは、ことばにせよ芸ごとにせよ、長い時間わたしのなかにとどまらない。
飲み込みやすく、わかりやすく心を打つことはあっても、5年後にきいてくる、というようなことはない。
わたしは、そういうものをことばにも、芸術にも、見たい。

Mさんが遊びに来てくれた。
ヨーロッパに来たから、といったってそこから国境を超えて電車に揺られて会いにきてくれるなんて、ほんとうに嬉しいことだ。
自分の時間を使って、ひとになにかをするということは、尊いことだな。
それをうんと自然にできるひともいる。
自分の喜びとしてそれをできるひとがいる。
私は、つい自分のやりたいことばかりに時間を費やしてしまう。
そのことが遠くで誰かのためになればいいな、ともちろん思っているのだけれど。

そういうわけで、noteを始めることにしました。
今までのブログは写真も綺麗に載せられるし文字も小さくて外見も美しいので良かったのだけれど、noteは書く方同士/書く方と読む方との繋がりもありそうでいいなと思ったので。
それから、しばらく自信を喪失していた「書くこと」を、もう一度見つめ直す機会にもしたいと思っています。

私が書くのは単なる日記なので、無料で読んでいただけるようにしようと思います。
でももしその日記が好きだな、と思ったら投げ銭してくださったら嬉しいです。
いただいた投げ銭は、良いものを読んだり、見に行ったり、体験するためのことに当てさせていただきます。
そのことでまた作品を作ったり、ここに何かを書いたり、したいと思っています。

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(25.1.2019追記)
この日記に関連して「守破離」という言葉を思い出したので、以前読んだコラムを追記します。

ドミニク・チェンさんは私も最近急に興味を持ち始めた発酵についてもここで語っていらっしゃる。インタビュー全体を読むと面白いと思います。

ブログを読んでくださって、嬉しいです!頂いたサポートはこれからも考え続けたり、つくりつづけたりする基盤となるようなことにあてさせていただきます。