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つくるひと、計画する人、何年ごしのオチ

今日は久しぶりに(もしかしたら1年ぶりかもしれない)家で楽しそうになにかに取り組んでいるのを見た。
ものを生み出したり、アイデアを積み上げたり、叩いたり継ぎ足したりして直しているときが一番楽しそうだ。子供のように幸せそうに熱中しているのを見て、いつもこんな風にしていてもらいたいなあと思う。

私は踊ったり舞台作品をつくったり時々写真を撮ったりしてはいるけれど、まったくのゼロから自分の世界を視覚化して立ち上げるタイプではない。
体が触れたその場所、そのものごとから何かを語るようなことならなんとかできて、そこにあるものの間の微妙な関係性の隙間で呼吸を構成するようなことでなら作品と呼べるものができるかもしれない。
でも彼は彼のなかにだけある世界のどこでもない世界を、あらゆる部門で自らの手をかけつつ作ることができる。視覚的なこともできるし、実際の立体も手作りできるし、当然ながら音も作れるし、人を演出することもできる。できるというより、何がどこにどうしてあればいいかということが全部わかっている。
そうしてできたものすべては、彼から生まれたとしか言いようのない香りと手触りが漂う。

そういうつくり手に、ないものねだりとは知りつつも、憧れがある。
わたしには何かを媒介するような、受け取って色づくような、現在と過去のある点を繋げてそこに触覚を与えるような、そんなことはできるかもしれないけれど、ゼロから世界を創造するつくり手ではないという自覚がずっとあって、そのことは時々自分の胸をきりっと射抜く。

ほんとは私がばりばり働くべきなんだ。
私のほうが、どこでなにをしていたって体と一緒に在れて、まだその場から遠ざからないでいられるのだから。

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どうにも私は客観的になれなくなる部分というか分野というのがあって、今日はアドバイスをもらいながらストレッチの再開の方法を考えてみた。
自分が大切に思っていることと、実際的なことが切り離せないというか、いつも自分にとって大事なことを芯にしてやっていきたいなんて甘えたことを考えているから、色々ぶれてしまう。

いい加減なことはしたくないから真剣に考えているけれど、でもあまり思い詰めると5年くらい石みたいに固まってしまうので、完璧を求めずに投げかけてみよう。
できることしかできない。
やりたいようにしかできない。

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それから今日は自分がどうして全然パンを膨らますことができないのかようやく分かった。
私がドライイーストだと思っていたものはベーキングパウダーだった。
箱にパンの絵が描いてあるからこれがパンをふくらませる役割をするに違いないと考えたのだけど、よく見たらこれはパウンドケーキだった(右下)。
そりゃあ発酵しないはずだよ。ふくらしこだもの。でもふくらまなかったけどね。

エエッ?と絶句するようなミスを度々起こすのは私のデフォルトなんだけど、まだまだこれからも発見がありそうだな。ふふふ…(涙)

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