アパートメントに公式な説明と謝罪文が掲載されました

友人であるマスナリジュンさんがウェブマガジンアパートメントに謝罪を求めていた件で、アパートメントより公式な説明と謝罪が発表されましたのでお知らせいたします。

アパートメントから発表された公式な説明と謝罪文は以下です👇

私自身はクラウドファンディング終了後、2019年1月にすでにアパートメントの主催から退いています。
そのため現在は管理にも携わっておらず、クラウドファンディングおよびリニューアルには関わっていません。
しかし今回の問題は、私が主催である時に行ったクラウドファンディングに発端があります。
クラウドファンディングの際にはFacebookでもみなさんにたくさんの応援を頂き、助けて頂きましたため、その結果に起こったことについても説明をする責任があると考えました。
また、今回マスナリさんにご迷惑をおかけしたことには私個人も深く関わっているので、沈黙しておくわけにはいかないと思い、投稿しました。


○問題の発端を以下に記します。
クラウドファンディングを行った際、私がウェブマガジンを立ち上げるきっかけとなったエピソードをウェブに掲載しました。
それは、2011年の震災直後のまだ電車が止まっている時期に、マスナリさんが自転車で私に会いに来てくれた思い出でした。
👇「アパートメントの始まり」として書いた記事はこちらです

今回問題となったのは、リニューアル時に公開された「アパートメントの物語」というページに、このマスナリさんと私の思い出が事前に断りなく、“女の子の友達が会いに来てくれた“という改ざんを加えて掲載されたことに始まりました。

その内容は「踊るのが大好きな女の子」がある日地震にみまわれ、「自転車に乗った女の子」が訪ねて来てくれ、鳥にはげまされ、通りかかった人が住み着き…ついに女の子は自分の家を大きく改装して、森からくまさんも来てくれて、パーティで踊り、末永くみんなで仲良くくらしました。
というものでした。

私にとってウェブマガジンを始めるきっかけともなったこの震災後の時期のマスナリさんとの思い出を、子供じみた物語にされてしまったことはショックでした。
私も自分を「庭師」と自称したり、少しファンタジックなイメージであったことは承知です。
しかし、アパートメントの始まりである東北大震災後の、悩み、失い、これからどう生きてゆけばいいかを真剣に考えた時期に関わることを、ファンタジー仕立ての可愛らしい物語にする扱いには違和感がありました。
初期のアパートメント住人さんの中には、あの震災について語りづらいことをなんとか言葉にしてくださった方もたくさんいらした、そういうことを考えると、当時の記憶をわかりやすいお話にデフォルメしてそれを「アパートメントの物語」としてしまうのは、ずいぶんと安っぽく、無神経なのではないかと感じました。
マスナリさんが自転車で会いに来てくれた日のことは、私がウェブマガジンを創立するにあたって根っことなるような大事な出来事でした。プライベートな思い出でもあるため、私自身それを書くときにはマスナリさんに確認を取り、考え抜いて書いたことを覚えています。
それを他の方が断りもなく別の物語に仕立てるなど、もし事前の確認があったなら掲載をお断りしていたと思います。
しかし、実際は連絡なく掲載された。
また、掲載後にも一切の連絡はありませんでした。
(※現在「アパートメントの物語」はマスナリさんと私の希望でサイトから削除されています)

私自身もそのことにショックをうけましたが、しかしなによりマスナリさんに対して大変申し訳なく、アパートメントに対しそのことを確認しました。


○その後の経緯として、
アパートメントからすぐにマスナリさんに「謝罪」が届きました。
しかしその内容は殆どが経緯の説明や管理人の立場の説明であり、少なくとも私にとっては謝罪とは呼べない内容に思われました。(このやりとりは全てTwitter上で行われていますのでここにもリンクさせていただきます)

「マスナリさんとアパートメントとの繋がりを朝弘から共有されていなかった」
「「権利」論で言えば、(略)管理人執筆の「物語」等は、運営側に帰属するものであり、個々のエピソード・アイデアは法的な保護対象とはならないことは、前提として踏まえる必要があると思います。」
(※私が書いた記事の著作権利が私に無いということについては、元主催者である私も初耳ですが)
その後のやりとりの中でも、「アパートメントの物語」はフィクションのつもりだった、という言葉もありました。
私はこの「謝罪」を読んで、今回アパートメントがおかしてしまった間違いが何だったのか、本質のところでは理解してもらえていないのではないかと感じました。

当然(と私には感じられました)マスナリさんはこれに憤慨し、強い態度でアパートメントに迫りました。
すると、アパートメントは弁護士を立ててマスナリさんと直接話すことをやめました。
解決に至った今も、マスナリさんはアパートメントの管理人と直接話すことができていません。

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昨今では、言葉は安易に生み出され、いとも簡単に「わかりやすい」物語として消化され、そしてすぐ忘れられてしまう。
アパートメントはそういう風潮にあらがって、ひとりひとりの物語をほんとうの質感で、ほんとうの価値を見つめて取り戻し、それを大事にお預かりし、必要などなたかに手渡せるような場所なのではないかと思います。
そういった、アパートメントをアパートメントたらしめている大事なことを忘れなければ、記事を無断で使用し、改ざん、フィクション化するなど本来起こり得ないことだったのではないかと私は思います。
そういう意味では、いくら思い出を無断で使用したそのこと自体を謝罪されても、それは本質とは離れているのです。

今回の問題について、アパートメントにはマスナリさんと直接対話をしてみてほしいと何度か頼みました。
何故マスナリさんが納得しないのか考えてほしい、と。
それは、これからのアパートメントがどうあるべきなのか、アパートメントに記事を寄せてくださるかたや読者のかたとどう接するべきなのか、根本のところから考え直すことにもつながるからです。
人が書いたものを預かるとは、どういうことなのか。
ついそれを改ざんして、フィクション化して発表してしまったことの根には何があるのか。
これからのアパートメントのためにも、そういうことに向き合ってほしかったです。

マスナリさんは、クラウドファンディングの際には支援も寄せて下さり、クラウドファンディング最終日にはアパートメントのために動画配信を企画し、司会をして盛り上げて下さいました。
アパートメントにとってもリニューアルの恩人のおひとりでもあると私は思っています。
侮辱を受けてひとが怒るのは当然のことではないか。
その怒りを受け止めず、何故怒っているのかを理解せず、対話をしてみる態度も見せずに早々に代理人を立て直接の会話を避けたことを、私は非常に残念に思っています。

また、今回マスナリさんはアパートメント側から弁護士を通して今回の件について発言しないように求められています。
謝罪を受けた側のマスナリさんは自分の考えを述べられず、アパートメントは公式の場で発表ができるのは理不尽で不公平なことだと思いました。
そういう理由もあって、少々細かく事情を書きました。

マスナリさんは私の数少ない、長い古い友だちです。
その友達を侮辱されたことを、私はとても怒っています。
アパートメントを退いた以上自分が口を出す立場にはなく、中立の立場を通すつもりでしたが、自分が強く信じているものを共有する友だちの尊厳を守れないのは私は嫌です。

ひとの尊厳を守るということは、アパートメントにとってもまた大事なことであると思ったので、今回私が感じたことを書きました。

これからもアパートメントを外部から見守るつもりでいましたが、ここまで自分の信じる本質から離れた以上、今後はアパートメントに関わらないことに決めました。

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追記です。
私が書いたこともまた、私には知り得ぬ事情を知らぬまま、私の視界から見えた範囲の中だけで考えて書いたことです。もちろん精一杯想像力を働かせようとはしましたが。
それぞれの気持ちや理由があるはずなので、私だけの言葉を鵜呑みにし、それだけで判断しないで頂けたらいいなと思います。

私がアパートメントで大切にしたかったのは、そういった一面的でない、目先のことだけではない、今は目に見えないかもしれないけど確かにある、ようなものにも思いが及ぶ、考え方とか感じ方とかだったように思うのです。

最後に、私はアパートメントの管理人の皆さんが、私が辞めた時に運営を引き受けて下さり、私が皆さんに対してお約束を果たせなかったリニューアルを引き継いで達成してくれたこと、それだけじゃないけど…、多くのことを感謝しています。その気持はもちろん変わりません。これからも。

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追記です(3月4日)
私のアカウントはアパートメントから削除されたため、私がレビューを書かせていただいたものがご本人が書いたものとして表示されています。
アパートメントへ対応をお願いしているので、そのうちお知らせがあると思います。
みなさまにはご迷惑をおかけして申し訳ありません。

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追記です(4月30日)
【アパートメントのレビュー(紹介文)について】
アパートメントの管理人よりお便りが届いているかと思いますが、以前私が書かせていただいたレビュー(紹介文)はサイト上から全て削除されています。

書いて下さったコラムにレビュー(紹介文)を添えてSNSに発信するシステムは、コラムをできるだけ多くの方に発信するために始めました。
しかし個人的には何より、主催として、また最初の読者として、書いて下さったことへ何かを伝えたいという気持ちで始めました。
頂いた文章に対し感想、批評ともなるような文章を書くことが果たして本当に良いことなのか悩みましたが、お隣同士の住人さんを近しくするようなことにも繋がったり、時には書く方の励みにもなったり、その世界に隣り合った別の宇宙を垣間見られるようなレビューが添えられたりと、良いことが生まれる実感もたくさんありました。

自分の書いたレビューもできたらずっと書き手の方の文章の傍らにあってほしかったのですが、それは独りよがりな思いに過ぎず、アパートメントの決定に異を唱えるものではありません。
ページから急にレビューが消えることになったことも申し訳なく、私からもこのことをお伝えしようと思いました。

ブログを読んでくださって、嬉しいです!頂いたサポートはこれからも考え続けたり、つくりつづけたりする基盤となるようなことにあてさせていただきます。