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はいからさんが駆け抜けていった夏。

私は、誰かに選ばれるのではなく、私が誰かを選ぶのよ

宝塚大劇場で『はいからさんが通る』が千秋楽を迎えました。
3月初日の予定が自粛で7月になり、再開の喜びもつかの間、2週間で休演、再開予定を度々延期し、最後、わずか3日で5公演……、自分の事情も微妙にリンクして感情移入しまくってしまい、長くて辛い夏が大劇場千秋楽と共に幕を下ろしました。

私は7月のLIVE配信で柚香光さんに沼ったのですが、千秋楽のLIVE配信は銀橋も花道も使わない仕様だったとはいえ、柚香さん含め出演者のエネルギーが凄まじくて舞台全体がエキセントリックというか、ヒステリーのような奇跡体験。二幕以降、私は始終、泣きっぱなしでした。
そして涙腺大崩壊したのはラストの環の台詞でした。

私は、誰かに選ばれるのではなく、私が誰かを選ぶのよ

はいからさん、と呼ばれているヒロインの紅緒に魅力的な男性陣は揃いも揃って首ったけ、という少女漫画の王道の原作、実は紅緒以外の女性もとても魅力的(個人的には断然ラリサが好き!)。

紅緒は周りをこてんぱんに振り回しつつも、運命を受け入れるしなやかさを持つヒロイン(そもそも少尉が色々大変なのは紅緒のせい…)。
対して環は、才色兼備なはずなのに初恋の少尉に失恋したり、鬼島さんにつれなくされながらも(何も言わずに満州帰っちゃうなんてひどい!)、彼を追いかけて満州へ転勤希望を出すのだそう!退職届ではなく転勤希望ですよ!たくましい!

原始、女性は太陽であった。
私たちは殿方に選ばれるのではなく、私たちが殿方を選ぶのです。

夢と希望に瞳を輝かせていた女学生時代の環。
紅緒と少尉が一件落着、よかったね、というラストに登場した環は
私、鬼島さんが好きよ、とさらっと言って
私は、誰かに選ばれるのではなく、私が誰かを選ぶのよ、
と、自分の選んだ道へ颯爽と駆け抜けていく姿は瞳だけではなく、
存在そのものが輝いていました。
あの瞬間、環の存在は未来への"希望"そのものでした。少尉と紅緒がめでたしめでたしのハッピーエンドを迎えたところに、環が希望という未来への扉を力いっぱい開いてくれたのです。


諸々の状況と重なり、私は感極まってしまった。
辛い、大変、と嘆いているのではなく、
希望を携えて生きていかなくちゃ、と環に励まされました。

今、エンタメは苦しい状況に立たされています。
興行ができない、やりづらい、採算面はもちろんのこと、不要不急の自粛という圧力(エンタメは不要ではありません!)、他の業界と比べると殊更厳しいように感じてしまう感染対策。携わる人だけでなく、今まで享受していた人たち(観客やファン含め)、みんな、辛いです。

政治に限らず、これから一人ひとりが、自分が大切にしているものは何なのか、守りたいものが何であるのか、一つひとつ選択して考える必要がある時代になっているとも感じる日々。

そうして2020年の夏、私は宝塚を愛しているから、微力ながら宝塚を殊更大切にしたいと思った。愛しているから、宝塚が苦しんでいると私も辛い。だから、応援するよ、ありったけの気持ちをこめて。私は宝塚を愛し続けるよ。そんな覚悟を決めた夏でした。

それは宝塚に限らず、他のジャンルも同様。
エンタメに限らず、我々は文化の中で生きている。このコロナ禍のなか私にとってなくてはならない和菓子屋、飲食店、書店、百貨店などなどその他が苦境に立たされている。失われてからでは遅いのだ。ああ、残念、と嘆くだけでは足りないのだ。「スキ」を丁寧に洗い出して、大切にしたい。
自分にできることはなんだろうと精一杯考えて、精一杯生きたい。

(そんなわけで、私はこれまで封印してきた様々なものを解禁しました。ブルーレイプレイヤーも我慢してたら、友人がプレイヤーをくれました。ブルーレイのソフトもわざわざ視聴用に貸してくれました。買うぞ!円盤!)

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