祓詞 その効用と意味

祓詞を(ほぼ)毎朝奏上して3年半ほどになる。

三日坊主の私がなぜ続いたのか?

それは、効果を感じたからだ。

どんな効果か?

それは・・・・

不幸な結末が観えているのに

止められない主人への「イヤミの一言」

を、言わずに済むようになったこと。(笑)


昨日読み終えた本「ホツマ縄文日本のたから」の最後に、祓詞を奏上しての効果の意味が分かったように感じた部分があったので紹介します。

それは父アマテルカミと、息子のヌカタダさんのやり取りの部分です。

「父上におかれましても、ミソギをなさるということですが、人々から称えられるアマテルカミとしても何かケガレがおありなのでしょうか?清ければ、ミソギをする必要もないのではないか、このように思えるのです。いかがでございましょうか?」

その質問に、父アマテルカミは答えます。

「ちょうどよい期会ですので、ミソギの意味合いを、ヒトの生誕についてまで遡って考えてみることにしましょう。

そもそもヒトは、心と体から成り立っています。そして心は魂から出てくるのです。さて魂を詳しく分類してみますと、大きく別けて三つのモノから成り立っていることが分かります。タマとシヰとタマノヲの三つです。

タマは、宇宙の中心のアモトから、はるばると降されてくるものです。シヰは、地球上の目に見えないモノで、生命の維持をする働きがあります。そしてタマノヲは、両親からもたらされる働きで、タマとシヰを結ぎとめてくれます。

・・・中略・・・

タマには元来ケガレなどありはしないのです。ところが地球上での生命を保つためには、どうしても我が出てしまいます。とは言ってもシヰがすべて汚いとは考えられません。タマにしてもシヰがあってこそ楽しむことができるのですから。タマとシヰとの関わり合いを良好に保つことが、ミソギの目的なのです。

シヰの働きが強くなりすぎますと、他の人の妬みやそしりを買ってしまいます。かと言って、シヰの働きを無視してしまうと、ヒトは生命を保つことができません。ヒトはともすれば、シヰに傾きがちなので、これを修正することが必要なのです。それがミソギなのです。」

私が祓詞を奏上することで、主人にイヤミを言わなくて済むようになったのは、ここで言う「ミソギ」の目的である「シヰとタマのバランスが整えられる」ことによって起こっていたのかもしれないですね。

(((ミソギは、祓(ハラエ)の一種とも言われています。)))



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