はじ
苦手なことがあります。
はじ。
「はじ」が苦手です。
端。
気になって調べたら「はし」が標準語で、「はじ」は訛った言い方っぽいですね。恥。
日常生活の端っこ、すみっこは好きなわたしですが、物の端を探すのがとっても苦手なんです。
たとえば、サランラップ。
あれは使おうとするといつもどこから始まっているのか分からなくて困る。
流石に毎回端と格闘しているので、ラップを使うときは蓋をぎゅっとかぶせて刃を覆った状態で切ります。再びくるっとならないように気をつけて。
わたしも学習しますから。
でも次に使うとき、その刃にかぶせていたはずの端が消えているんです。
必ずまた綺麗な筒状のラップに戻っている。
どうして。
端だけに恥ずかしがり屋なのかしらね。
なんちゃって。
後はトイレットペーパーも苦手です。
これは途中で端が分からないことはないけど、始めが分からない。
どこが剥がれるのか分からなくて、くるくる回して引っ掻いてみるけど出てこず、最終的にそっと一枚剥きます。
で結局ビリビリになる。
散り散りのトイレットペーパーほど萎えるものはないです。
そういえばティッシュを出すのも下手ですね。
一枚取ろうとしたらなんか全部ズボッと出てくることないですか。
自分が使うだけの箱ならそのままズボッと押し込むんですが、家族と共用のやつは一度引きずり出したものをまた戻していいものか悩みます。
悩んだ末にテーブルを拭くのに使う。せめてもの供養です。
これは端の話じゃないや。
もう一個は毛糸。
毛糸のはじも見つけるのが難しいんです。
「毛糸玉の中の丸まっているとこにあるから引っ張り出して解そう」というアドバイスを見つけたのですが、奮闘虚しく見つけられませんでした。
そのときは長さが不要で千切れててもいいものを作っていたので、適当なところでちょん切って使うという大敗北。
きっとこういう人間もいるだろうから、企業側はたくさん努力して使えるようにしていると思うんです。
それを上回る己の不器用さなんだと自己嫌悪に陥ることもあります。
特にラップはいつだって初めからですからね。
毎回はじめましての状態は、いかに相手がモノでも悲しいです。
これまで何回も君と対峙してきただろうと問いかけたくなります。
それでも向こうが振り出しに戻るので致し方ありません。
わたしはそっと消えたはじを探すのです。
はじ。
それは同じことの繰り返しを、決してやけにならず、根気よく取り組む大切さを教えてくれるものなり。
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