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「飛び降りた、その後」

『そうか、あたし、飛び降りたんだ』

目の前に横たわるのは、死んだあたし。
ベランダから飛び降りたあたしの頭はコンクリに打ち付けられ、見事に割れていた。今まさに流れ続けている真っ赤な血がたちまち地面を染め上げる。
なんだっけ、あたし何で飛び降りたんだっけ。
意識はハッキリとしているが、思考に膜がかかったような、記憶のすべてが曖昧だ。
あたしはさっきまで自分のうちにいて、あぁ、ODしたんだ。溜めてた薬、飲めるだけ飲んで。それでお酒飲んで、なんだっけ、それでどうしたんだっけ。あたしは―。
あたしは元から死にたかった、物心ついた頃から感じた緩やかな絶望が解消されることはなく、いつだって死ぬタイミングを探していた。それで、なんか、今日はすごく良い日で、死ぬなら今日だなって思ったんだったような、そんな気がする。
薬を流し込んで、最初はフワフワして、知ってる知ってるいつもの感じ。
自分で座ってるのがだるくなって、なにかにもたれ掛からないと起きていられなくなった。
それで、ベッドに寄りかかったら、視界が左右に揺れてきたんだ。あぁそうそう、地面がグラグラして、起きてられなくなった。あぁやばいなって薄っすら思って、で、携帯持ったんだ。それで、画面が全然見えなくて…あ。そうだ。智也から連絡がきてたんだ。あれ、なんて書いてあったんだっけ? なんか悲しくなったような、そんな気がする。それであたしも何か返信したんだよな、返信して、あ、返信してそのままベランダに向かったんだ。立ち上がろうとしたら、全然力が入らなくて。それでも無理やり歩いていく途中、倒れて頭ぶつけた。そうだそうだ、痛かった気がするけど、脳みそにボ~ンって響く感じがして何かよかったんだよな。どうにかこうにかたどり着いた窓を開けたら夜風が一気に吹き込んできた。少し生暖かくて、人に包まれているような、そんな安心感があったような気がする。暗い空には宇宙が広がって、最高の気分になった。はぁ、やっと終われる。怖さはない。最期の記憶は、幸せに満ちていた印象だ。
…で、今に至る。でもやっぱ飛び降りはエグいな。あぁすみませんね、ご近所さんたち。中々見れないからね、見たい人はどうぞ、こんなものでよければ。
それで、あたしはこのあとどうすれば? 誰にも姿は見えないらしい。喋ろうとすると、おそらく口から声は出ておらず、自分の声が脳内に再生される。足は裸足で、地面から少しだけ浮いてる。歩くことはできて、走ることはできない。進むスピードもすごく遅い。これは自分でどうにかできるものじゃないらしい。そして、気分は普通。嬉しくも悲しくも、なんともない。自分にとってこの夜のすべては無関係、そんな感じ。
あ、部屋に戻ってみよう。智也からなんて連絡がきたのか確認したい。智也のことを考えると、わずかに活力が湧くような感覚がある。そうと決まれば、大騒ぎになり毛布を被された自分の身体を残し、トボトボと歩みを進め、マンションのエントランスに向った。鍵がないため出入りする人を待ったが、試しに自動ドアのガラスに触れたら、幽霊になったあたしは案の定透けていた。なるほど、そうか。問題なくマンションの敷地に戻り、エレベーターの前に立つ。困ったことにボタンを押すことができない。押せないのか…仕方ない。裏にある非常階段から向かうことにした。うちは最上階。階段で上がるなんてこと、考えたこともない。初めて入った非常階段のドアの向こう側。夜空が一望できる、“すごい”空間だった。月の存在感は大きく、暗い夜空に散らばる星も見えた。それに対して“きれい”だという感覚も、まだ思い出せる。けれど、それは知っている経験を思い返すだけ。今のあたしに、感動で心を潤ませる、そんな感覚を持っていたことすら長く見ていた夢のように感じる。
永遠に続く階段を登ろうが疲れることはなく、一歩一歩登っている感覚も大してない。あたしにあるのは、階段を上がっていくという時が淡々と過ぎるだけ。気づけば最上階。疲労感も達成感も何もない。
自分の部屋に前に着いた。ドアノブをつかむことはできず、そもそもつかむ必要がない今のあたしはドアをすり抜け、自らの住まいに戻った。
入った途端、鼻腔に広がる懐かしい匂い。これが何の匂いか忘れたが、生前自分が気に入って使ったルームディフューザー、柔軟剤、香水、それらの類だろう。懐かしいものの、そこに感情はなく、戻ってきた喜びもない。少しだけ馴染みのある、かつての住まいはそんな空間だった。
部屋の中は荒れていた。瓶入りのビールは床に倒れラグに染み込み、薬のゴミは山のようにかたまっていた。大きな観葉植物はなぎ倒され、中の土がこぼれていた。目の前の惨状を他人事で眺めつつ、部屋の奥へと進んでいく。
散らかったテーブルの前、携帯が床に落ちていた。覗き込むと、液晶にヒビが入っていた。画面がつきっぱなしの状態になっており、智也とのやりとりが表示されていた。

『来週の旅行、8時に迎えに行くね。起きてよ』

旅行…? 旅行、そうか。あたし智也と旅行の計画を立ててたんだ。

『ああしあれれちと、そろほますせほへ)はひら』

智也の連絡に対するあたしの返信。
完全にパキってる。最悪だ。

『薬飲んでるね。起きてちゃだめだよ。もう次で俺たち最後なんだから、ちゃんと健康体で来てよ』

“俺たち最後なんだから”…?

あ、あぁ。
あーあーあー。
あーーーーーーーーーーーーーーー。
完全に、思い出した。
あたしの入院が決まって、こんなあたしだから、別れようって言ったんだ。
智也はそれに納得せず、『じゃあ最後に旅行行こうよ、それで諦めるから』って決まったんだ。あたしは渋々で、それでも智也が納得してくれるなら、と行くことを決めたんだ。別れる二人が最後に旅行に行くなんて、我が彼氏ながら意味のわからん男だと思った。

『???むろへち、そらあへへせ』
『返信しなくていいから』
『へへれん、ゆ、るおお』
『寝なね、外出ちゃだめだよ、おやすみ』

それが最後だった。
そうか、今やっと思い出した。
智也との別れが“とてもいい気分”で、“悲しかった”のか。
智也は彼女のあたしが気の毒になるほどいいやつだった。
付き合い始めたのは五年前。最近は恋とか愛とかそんなんじゃなくて、たぶん責任感であたしの側にいてくれてたんだと思う。入退院を繰り返し、希死念慮から抜け出せないあたしを見捨てられない。智也のせいじゃないのに。すごくいいやつだから、背負わせてしまった。
だから別れられてよかった。智也はもっとまともな女と、良い恋愛をしてほしい。それがあたしの願いだ。“悲しかった”のは、智也と最後の旅行に行き、それであたしたちはお別れが決まっているから。矛盾している。矛盾するよ、あたしの感情なんていつだって矛盾だらけだよ。あーあ、言われてたのに、外出ちゃったよ。しかもベランダから。智也びっくりするだろうな。自分の責任だなんて思わないで欲しいな。伝えときたいことがあるけど、この身体ではもう何も伝えられない。遺書とか残すべきだった。あーでも遺書なんて残したらあたしのこと余計忘れにくくなるかも。捨てにくいしね。まぁいいか。仕方ないか。

荒れた部屋の中、あたしは独り、ぼんやりと浮かぶ。
窓から見える夜景はキラキラと光り、見慣れた景色に“きれい”を教えられているようだ。

お腹は減らない。眠くもならない。労働をする必要もない。行きたいところも、したいこともない。誰にも気づかれない。何にも触れられない。

幽霊は実に無力だ。

何もない。
途方にくれ、絶望することもできない。

それなのに、
心の隅のどこかが切ないような、そんな気がする。

これからどうしよう。
智也の姿を見たいような、見たくないような。
会いたいような、そうでもないような。

旅行行ってからにすればよかったかもな。
あーキャンセル料発生するじゃん、部屋の現金置いてるところ教えとけばよかった。

智也の家、なんだか思い出せないんだよな。
あんなに何度も行ってたのに。
自分の死体の傍にいれば、智也に会えるかな。

泣くだろうな、智也。


死んだんだな、私。


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