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ミルクグラスの微不思議体験

はいどうも~大柴です。
この『 #私の不思議体験 』ってやつね、面白くなってきちゃったので、調子に乗って3本目を投下します。

・1こ目 微不思議体験
・2こ目 微不思議体験其ノ弐

相変わらずミルクグラスを愛しているだけのマガジンを書いているのですが、ミルクグラスと不思議体験なんて、特につながることなんか・・・と思ってましたが、そういえばありました。
本当に「微」なんですが、私的には不思議ですねん。
まあでも、昔話だと思っていただければ。

JS、ミルクグラスに激しく反応

私がミルクグラスという存在に気付いたのは、ミルクグラスという名称や存在など知らない小学生の頃でした。

近所に住んでいた叔母の家の食器棚に、小さくて可愛らしい、乳白色のティーカップがありました。
イチゴの絵が描かれていた可愛いらしいカップを、私が目ざとく見つけて「あれでお茶飲ませて」とリクエストしたのです。

叔母にとっては「エレガントなものより、可愛らしいものを欲しがるようなトシなんだろう」という感じだったのでしょうね。
うまい事言って、2回ほど使わせてもらったのが、幼い頃のミルクグラスの思い出です。
それがミルクグラスであることも知らなかったわけですが、他のどのカップよりも特別に見えました。
(ちなみにお茶は大好きな狭山茶ですよ)

叔母は趣味が世界旅行というなかなかのお金持ちだったので、壁にはスペインの有名な絵画、棚には立派なフラワーアレンジメントが置かれているような、そんな家でした。
食器棚にもヨーロッパアンティークのカップがたくさん並んでいました。

その中ではある意味異色だったイチゴのティーカップですが、私の目にはポスカの白インクで縁取ったように、他のものとは違ってくっきり目立って映りました。
他のカップは覚えていませんが、このイチゴのカップだけは今でも覚えています。

そして、幼いのに「あーこれこれ」「懐かしいわあ」という、いかにも使い慣れたものに対するような気持ちになりました。
アメリカ国内でミルクグラスの製造が中止される直前の時代に、日本で誕生した私には、懐かしいわけないのですが。

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ガラスを見分ける

父親の趣味の影響で、小さい頃からリサイクルショップや骨董屋に行くことが多くありました。

リサイクルショップの食器売り場の棚って、箱入りの未使用品でない限り、特徴のない似たような皿が、何枚も重ねられて置かれているじゃないですか。

特にガラスの大皿って、透明だし似たものの印象ですよね。
なんですけど、私は小さい頃から、このガラスの見分けができたんですよね。

どう見分けるかっていうと、重なったものをごく普通に真横から見て、
「これとこれとこれが、特別な皿だな」
という感覚的なもの。

外してみると、その「特別な皿」は全部パイレックス系のものでした。
当時はパイレックスとかイワキガラスとかいう名前は特に知らなかったのですが、知識などなくてもなぜか見分けられていました。

何でかは分からないけど、今でもこれができるので、リサイクルショップに掘り出し物を漁りに行く時は超便利です。
(ちなみに目はすごく悪いので、さらに便利です)

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好きな感じ

アメリカンヴィンテージな世界観が好きなわたくし。
子供の頃からでした。
特にバックトゥザフューチャーの世界はまさにドンピシャで、観る時は大興奮!
コークはダイナーのカウンターを滑って届くものですよね?
そうよね?
床はチェッカーフラッグが基本よね?

そしてこれが、ミルクグラスが使われていた時代ですね。

いつだか、あの時代を「懐かしい」と思うことがありました。
懐かしいわけないんですが、そこにいたような気さえします。
音楽は50’sばかりでした。渋い10代ですね。
80年代じゃないので、ポニーテールでツイストではないほうの、懐かしい年代です。
アメリカングラフティとか、そのあたりの。

ミルクグラスが好き、というのも「犬が好き」とか「かりんとうまんじゅうが好き」とか、そういう類ではない気がします。
あの時一口食べたあの瞬間から! 私はかりんとうまんじゅうの虜になってしまったの!
みたいなアレではなく。

最初から体に、手に馴染んでいるのです。
使っているのが当たり前、のような。
だから、ミルクグラスを「ミルクガラス」と認識した最初はいつだったのか、おそらく10代後半か20代前半だった気がしますけど、それはとても自然で、他の物から際立って縁取りされたように見えて、自分にとって当たり前の必需品であると感覚で分かりました。

やっぱり変な話になりましたな。
私はスピリチュアル界隈の人間ではないのですが、機会があれば前世がどうだったのかみてもらいたいものですね。
生まれついてのご縁を感じるものなんて、ちょっとこの感覚はないものですよ。
だって知らないはずなのに「分かる」のよ?

食器棚にミルクグラスが当たり前のようにあった時代のアメリカの庶民の家に、私は暮らしていたんじゃないかしら?
あるいはガラス職人だったのでは?
この淡い夢を誰か確かめておくれやす。

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好きなのはつまるところ

ミルクグラスを愛してやまない私ですが、ミルクグラスだけではないのです。
アメリカの産業革命以降栄えたガラス産業ですが、そのおかげさまさまでガラス加工技術が飛躍的に進歩しました。
たとえば電球、実験器具などもその一つ。
ガラス=食器ではないですよね? 窓ガラスもありますし。

ガラス加工会社は技術の進歩とともに、ガラス食器の生産も始めました。
ガラス=食器だなんて思ってもみなかった時代から、
繊細で美しさを追求したガラス、あるいは強度を重視したガラス、自由な形状に加工されたガラス、つまり食器に移り変わっていったのです。

そしてミルクグラスは、クリアガラスの技術進歩あってのもの。
いかに強く傷が少なく、そして向こう側に物を置いて見ても像の歪まない透明なガラスにできるかが、クリアガラスの努力の歴史です。

それが感覚的に分かる気がするので、私の目にはクリアガラスもくっきりと際立って「視え」ますし、基本的に大好きなんですね。
たとえば学生の頃なら、化学実験室の実験器具。
フラスコやビーカーは魅力的でした。
ビーカーってメジャーカップそっくりでしょう?

ペット業界に進んだ私の目が次に捉えたのは、金魚鉢でした。
金魚鉢って日本古来のガラスだと思うでしょう?
江戸切子のような、びいどろのような、トンボ玉のようなあれ。
いえいえ、よく見るとちゃんと「Anchor Hocking」と書かれているのですよ。
ファイヤーキングを生み出したあのアンカー社です。
ガラスの鉢も作ってるんですね。

どこに行っても「あのガラス」は私の目に必ず留まって、気付かないうちから縁取りされたように特別なものだと分かるので、あとから
「ああこれ、ミルクグラスだったのね」
「あれ、パイレックス製のガラスだったのか」
と気づくわけで。

なんて便利な能力なのか。とはなりません。何にも役に立たないのでね。
なんですが、結局つまるところは、私にとって特別なのは、産業革命以降にアメリカの技術者が額に汗して磨き続けた、あのガラス自体なんです。
ポスカの白インクで縁取ったように、風景の中でそれだけが浮き上がって、私の目を捉えて離さないのです。

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#私の不思議体験

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