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私が『孟徳』を名乗るで②

②とあるが実質ここからが本題。
①では当時小学生だった木邑少年がガンダムオタクになったところまで。

そんな、木邑少年が新聞の番組表を見ているとテレビ愛知の欄に「SDガンダム三国伝」の文字が目に飛び込んできた。その時はまだ三国志など何も知らなかったが、とりあえず見た。内容は劉備ガンダム、曹操ガンダム、孫権ガンダムなどが張角パラスアテネや董卓ザクなどと戦うなど「ガンダム」と「三国志演義」を融合したものだった。

偶然見つけたアニメが木邑少年の心を震わせた。

さらに偶然は重なる。ちょうどその時、テレビアニメで三国志演義がやっていたのだ。それに気が付いて見始めた時には、劉備も曹操もすでに亡くなり、諸葛亮が主役となっていた。覚えているのは孔明が孟獲を7回捕らえたり、鏡を使ったトリックで敵を翻弄していたりしていたこと。孔明の声をアリキリの石井がやっていたことくらいだ。

途中から見た三国志がどんなものか気になり、さっそく地域の図書館へ行き、児童書の三国志を読み始めた。ちゃんとした記憶がないが、最後まで読んでいないのは確かだ。
なぜか。それは、ちょうどその時、BSで三国志のドラマ「三国志ThreeKingdoms」通称スリキンがやっていたのだ。『始まった』ではなく、『やっていた』という言葉遣いからもわかる通り、6話から見始めた。が、全95話なので大して影響はなかった。

このドラマで『三国志』という沼に足を取られ、塚本青史氏の小説やPHP文庫から出版された小説を読み漁り、映画『レッドクリフ』を見て腰まで沼に使った。
さらに、ドラマ『孫子≪兵法≫大伝』『項羽と劉邦kings war』で沼の広さがとてつもないこと知った。
さらにさらに、曹操のお墓が発見されていることを知り考古学。そこから邪馬台国といったところまで沼が広がっていることを知り、抜け出せないことを悟った。

もう、この頃にはガンダムの沼は干上がっていた。

私が三国志オタクになった経緯はこんな感じ。ここで気になるのは2つ。

1つ目は、いわゆる『王道』の「横山光輝のマンガ三国志」「吉川英治の小説三国志」「北方謙三の小説三国志」「KOEIのゲーム三国志」などは一切触れていない。

2つ目は、何一つ通して読んでない。見てない。

この2つの良し悪しはわからない。批判的な考えを持つ人も多いかもしれない。

ただ、小説を読み漁り、お腰に付けた黍団子が泥団子に変わるまで深く沼にはまった私は史実、本当のことを知りたくなり概説書を読むようになった。
大学で歴史を学ぶ決意をした。
大好きな曹操の墓に入る野望をもって、考古学の道に進んだ。

どんなアプローチであっても三国志に対する熱意は誰にも負けないつもりだ。

そうして、私は曹操となった。。。

。。。いや、説明になってねぇよと小石を投げられ始めたところで今回はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回はいつになるかわかりませんが、中国に行った時の話をしたいと思います。

少しでも私を気になった方はTwitter『曹孟徳』(@aman3594love)をフォローしてください!

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