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藤孝、困る(鬼と蛇 細川忠興とガラシャ夫人の物語 3)

天海 悠


※画像で、「ルビつき・縦書き・多少の加筆つき全文」をお読み頂けます。


目次 鬼と蛇 細川忠興とガラシャ夫人の物語

前回のお話 第二話「熊千代の奇妙な願い」



藤孝、困る



「明智殿なら、良いではありませぬか。あなたは何がご不満か?」
「何がよいものか」

 腐った饅頭まんじゅうを飲みこんだような顔で苦り切っている藤孝は、何のこだわりもない妻の麝香じゃこうに逆に驚いた。

 何とも不可解な縁談だった。

 藤孝は、家老の林佐渡守にこの話を固辞しつつも探った。

「十兵衛殿にてはこのこと、既にお話はついているのでございますか」
「いや、明智殿には上様みずから申し上ぐるとの仰せであった。明智はよもや断わるまいとのお言葉、それを細川殿がそのような……」

 もしや十兵衛が信長さまに頼んだのではと思ったのだが、そのような気配もなさそうだ。

 藤孝は考える。

 あとでとってつけたように『津田坊殿』の縁談もあると言っていたのも不自然だ。雰囲気からすると、どうも熊千代の話ありきで、津田坊のことはじゅうの話であるらしい。ちょうど年頃の二女の話があとで、三女の話が先であるというのはおかしくはないか。


 津田坊とは、粛清しゅくせいされた信長の弟、織田信行の助命された嫡男で、柴田勝家に育てられた。言わばいわくつきの子供なのだが、どうやらこの甥、信長にとっては実の息子たちよりも肌に合うらしい。
 はっきりした気性で武勇にもすぐれていれば、小姓として些事さじ万端ばんたんもそつなくこなす。藤孝から見ても次男三介(信雄)、三男三七(信孝)と比べると出来が頭一つぬきんでていた。

 とうに元服もすませ、相手も見繕みつくろうべき頃のはずだ。
 ここで思考は結局、同じ所に戻ってくる。

 なぜ?

 なぜ、この年まで縁が定まらなかった津田坊殿と共に、まだ岐阜に昇殿して数ヶ月の熊千代が、たかだか十の年で縁談が内定せねばならぬのだ?

 せぬ。

 藤孝の疑心暗鬼はつのるばかりだ。

 ◇

 藤孝がもうひとつ恐れていたのは、彼の妻、麝香の意向だった。

 苦労をさせた妻に頭が上がらない所は、十兵衛と変わりないのだが、しとやかな十兵衛の妻、煕子ひろことはまるで正反対で、この麝香の内助の功とは、ぐずぐずと悩む藤孝を叱り飛ばし、耳を捻り上げ、薙刀なぎなたを持ってきて振り回す所にある。

 今も、帰るなり熊千代と大喧嘩をしている麝香のことだ。
 あんな小僧に嫁などもってのほか、馬鹿かあなたは、などと言われるのが恐ろしく、事と場合によってはもう一度お断わりせねばと思っていた。

 それが思わぬ好印象だ。
 つい元気を得て藤孝は、弱音と本音を吐いてしまった。

「理由はまったく見当もつかぬが、一つ残念と思うのはな、熊千代のやつ、妙に信長様のお気に召したであろうが?」
「はあ。それで?」
「それで、(無論もっと大きゅうなってからの話ではあるが)、わしもどこかで淡~い期待を抱いておった。ほれ、蒲生がもうの息子は幼少の人質でありながら気に入られ、見所があるとて信長様の娘御を頂いたではないか」

 天を仰いで藤孝は嘆息した。

「短い夢であった」

 麝香は心底あきれはてた顔をした。

「阿呆か。もらうならば、信長様の娘御とて、明智殿の娘御とて、そのあたりを歩いておろう娘とて、すべて同じでござりましょう。遅かれ早かれ、熊千代あれの気性に付き合うこととなりまする」
「それは、それよ……」
「気を使い、顔色を伺わねばならぬような信長様の娘なんぞより、気心の知れた煕子ひろこどのの娘御ならばよほどましじゃ。あなたは明智殿に見栄を張りすぎる」
「言われんでも、わかっておるわい!別に十兵衛とわしの仲だけならば問題はない。だがなあ……あれが関わってくるとなあ……」
「やかましいわ、グチグチ、グチグチと!」

 ついに麝香はそのあたりにあったほうきをつかみ取り、薙刀のごとく振り上げて藤孝は奧屋敷から追い出されてしまった。

「どうせ嫁なぞ先の話、どうなるかなどわからぬわ!あなたはすぐにあれこれ考えたり、詮索したり、誰かの動向を探りよる。そんな暇があるならもっとあれに親として因果を言い含めなされ!それから一つでもいいから部屋をもうちょっと片付けなされ!」

 何という恐ろしい嫁ぞ。

 胸をさすりながら、表屋敷に戻ってきた藤孝は、米田や松井が怪訝けげんな顔をしているのを見て、面をあらため、咳払いを一つする。

 すぐに真面目で思慮深く、頼もしいという、普段の武将の顔に戻った。

 ◇

 明智十兵衛には、信長は直接に呼んで話をした。
 こちらには二つ、縁組を申し伝える。

 というのも、明智の長女は荒木村重の息子、村次にとついでいるのだが、まだ二女はどこにもしていない。熊千代だけに唐突に三女を目合めあわせるというのはいかにも不自然だ。
 話をするとすれば、二女を先に片付けてしまわねばならない。それも三女が格下への降嫁となるため、良い縁であることが重要だった。

「津田坊に二女、細川の熊千代に三女を目合めあわせよ」

 多少の驚きはあったものの、こちらはごく普通に聞いて真面目に受け答えをした。

「どちらのご縁も、わたくしにとって何の不足もございませぬ。特に、津田の御坊様にわが娘とは、これはまことにありがたき縁と存じまする」
「うむ、そうか。細川の方はどうだ?」

 今は、明智の力は藤孝をはるかにしのぐ。しかも、藤孝が無上のたおやと称した、それほどの器量の娘とあらば不満も出るのではないかと信長は思った。しかし、十兵衛の表情に何の陰りもない。

「かねてより思うておりましたが、熊千代君は実に将来有望な御子おこでございます」

 素直だなと見たが、その言葉を放った後の、いささか拍子抜けしたようなほうけた顔に、信長は意地悪く問うてみる。

「何ぞ他に嫁入りの当てでもあったのか」

 随分な英才教育を施している様子だ。これはかなりよい所への嫁入り先を探しているのではないか。そんな噂があったことも聞いた。それはあの熊千代も気が気ではなるまい。
 しかし戻ってきたのは真面目な答えだ。

「おたまは幼いながらも良い話し相手になりますゆえ、父として愛憐あいれんの情、耐えがたく、いらぬ親心とお笑い下され」

 信長は苦笑する。
 これはまた自分の息子に対して、短気だ乱暴だ嫁はいらぬ、などと情のないことを言う藤孝とは真逆の反応だった。明智十兵衛は、少し考えるようだったが、笑みを浮かべた。

「しかし上様、だからこそ親しうしておる細川殿に嫁入りできるは、私にとっては喜ばしき仕儀しぎにございます。上様のご配慮、この十兵衛はありがたく承りとう存じます」

 信長の中には、厳しい苛烈かれつな処断を下す信長と、家臣の妻に到るまで気遣いを見せる信長がいて、後者は気取らない人間の顔を正直に見せるこの十兵衛光秀が好きだった。

 信長は聞いた。

「熊千代とその娘は、日頃から仲良うしておるのか?」

 明智十兵衛は首をかしげた。

「はて。私はともかく、娘が熊千代どのに会うた事があったでござろうか」

 しかしそんなことを言いながらも十兵衛は、信長の口調からさすがに何となく事情を察したようだった。

「よし、事は決まった」

 信長は扇を閉じて掌に打つ。
 そして体を前に傾けると、打って変わった威圧を含んだ低い声で囁いた。

「これからおぬしらには、丹波に向こうてもらわねばならぬ。やれるか?十兵衛。あそこは難所だぞ」

 信長は、明智十兵衛光秀が、すうっと頭を水のように上げて居直り、痩身そうしんをのびやかに起こすのを見た。それは、ぬるぬるとしながら神秘的で、どこか爬虫類のような妖しげな気配をまとっている。
 気を取られる間に周囲はふと暗くなり、岐阜城のにぎやかな気配が消え、あたりは静まり返った。

 静かな声が、空間に響き渡った。

「わたくしは、この我が身を信長さまのつるぎと変じて、ただ打ち払うのみでございます」

 信長が我に返ってみれば、目の前には従順で柔らかな笑顔を浮かべる、いつもの礼儀正しい十兵衛が座っている。
 席を立ちながら、信長は心のうちにつぶやいた。

 まことにあれがおる限り、我は勝てる。
 どんな戦にも必ず勝てる。

 ◇

 藤孝は麝香に追い出されて、言われるままに書架の部屋へ入った。ここは書架の部屋とは名ばかりで、ありとあらゆる芸事の指南書、古書、古今の底本、中国から取り寄せた選書、歴史書、経典、はては縁起を書き留めたものまで、屋根まで積みあがっている。藤孝はやれやれとその真ん中に座った。

 ここが落ち着くのだ。

 ちらりと疑いがきざす。

 まさかわしは、一族郎党もろとも、明智の家中かちゅうに取り込まれるのか?

 今、十兵衛が家臣集めに苦慮しているのは知っていた。

 譜代の家臣を多く持たぬ小武将の悲しさ、同じような立場で抜擢された秀吉も必死で、人材登用をはかっている。

 今、明智の勢いに飲み込まれれば、旧幕臣がそっくりそのまま光秀の配下となる。

 だが、十兵衛光秀に対して独立を保ちうる力があると見たからこそ、米田も松井も付いて来てくれているのだ。立場は薄氷のようなものでありながら、これを強固にしようと藤孝は慎重にあがいていた。

 陽が落ち、寒くなってきて、藤孝はぶるっと体を震わせた。だが、どんなに寒くなろうとも、この書架の部屋では決して藤孝は火を焚かない。

 あれこれと思い悩んだ藤孝だったが、最終的に細川家の独立を保ちたいという心を十兵衛がわかっていないはずはないと思い直す。

「あなたは死んではならぬ方ですぞ」

 明智十兵衛光秀は不思議な男で、荒れ屋で寺子屋の教師をしていた時にも、暗がりで彼の周囲だけがぼんやりと明るく見えるようだった。

「細川殿が守るべきは、命だけではござらぬ」
「して他には」
「目に見えぬものではございませんか」

 多分に現実的なしょうの持ち主である藤孝は、信長ほど容易に神秘の気配に流されはしなかったが、心を大きく動かされたのは事実だった。

 十兵衛はわしの運命は守人もりびとであると言う。

 旧幕臣たちもそれぞれ、美しい足利幕府のありし日の記憶を抱えている。このうずたかい古書の山と、彼らの命や記憶は同じものだと十兵衛は言い、わしはその言葉に呼応して熱くなるのを感じた。

 したが、心残りは……。

 藤孝はまた、大きくため息をついた。

 彼の跡継ぎは、これらに一片の興味も持たぬ暴れ者の熊千代だ。

 落ち着かない彼に正座をして書を読ませようとするのは、麝香がどれだけ箒を振り回しても容易ではない。だましだましここまでやってきたが、熊千代の教育に関して藤孝はほとんど絶望しかけていた。

 いわんや古書のたぐいなど、藤孝が死にでもすれば、あ奴はあっという間にすべてごみの山として捨てようとするのではあるまいか。

 十兵衛の言ってくれた通り、わしは守人もりびとだとしても、とてもあやつがその役目を継いでくれるとは思えない。
 せっかく助け出したこれらの貴重な古書の山も、結局は水の泡となるのではあるまいか。

「ああ、松井のようなが我が子であったらなあ」

 コトンと音がして、藤孝ははっと振り向いた。ちらっとのぞいてすぐに消えた、しっぽのように見える刀のこじりは、確かに熊千代に違いない。




第三話終わり


次回のお話 第四話「忠興生い立ち、または喧嘩上等・石合戦」

目次 鬼と蛇 細川忠興とガラシャ夫人の物語



有料部分特徴(今回は無料公開しております)

購入して下さった方には、基本まったくおなじ内容ではありますが、以下の部分から、縦書き・ルビつきバージョンを画像ファイルでお読みいただけます。


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・縦書き文庫風表示(画像)
・ルビつき
・流血表現などに多少加筆あり
・風景表現などに多少加筆あり(基本、内容に変わりありません)
・マニア向け。細川→長岡・羽柴、光秀→日向守、など、出来る限り再現。(限度あり)


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天海 悠
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