奇禍に飛び込む 御徒町編 3(中編小説)



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『昨日準備したチラシ、どこに置きました?』

バイト先からの電話だった。大した用事ではない。
でもこのまま帰ってしまおうか。

「あのう、午後からやっぱり出ましょうか?」
『いいよいいよ。せっかく休み取ったんだから大丈夫』

仕方なく朋子は電話を切る。
辺りをきょろきょろ見回しながら店を探して歩き出した。

見えないふり聞こえないふりをして後ろに流そうとしても、じわじわと浮き上がり、駆り立てる焦燥があった。

わたしってなに?
生活のなかで都合よくはまっていてもらわないと困る、部品の一個が落ちたようなもの?
壊れて役に立たなくなったらいらないの?

沸き上がってきた不安、疑問、悲しみに背中を押され、こうして取り憑かれたようにさ迷いながら、この古くそっけない街の中で足をもつれさせながら彼女は探した。

かつてあったはずのもの、失ったもの。
ふわふわと浮き上がり、どこかに行ってしまって戻らない心を。


 
時計を見ると十時になるまで、わずかにあと三分だ。
 
大丈夫。位置はわかる。ここを右に曲がってまっすぐ行けばいいだけだ。
今まで考えもしなかったおそろしい考えが浮かぶ。

もし、その店がなかったらどうしよう?
あのインターネットに載っていた住所もうそで、電話番号もうそで、店自体が存在しなかったらどうしよう。
 
でも、歩くうちにそこかしこ、宝石の問屋がたくさん並んでいることに彼女は気づいた。
十時を過ぎすっかり店開きをすませている一角の狭く汚れたビルの二階を見上げると、まだシャッターを半開きにしている小さな店がある。

そこが宝石店なのかどうか、朋子は一目ですぐにはわかりかねた。
狭くて陳列棚もなく、事務所の様相を呈しているが、朋子がよく観察したところガラス戸にはJewelry…××と読めた。
文字がぐるぐる動き出す。頭の中で唱和した。
 
ストールンジュエリー
ストールンジュエリー
ストールん・ん・ん…
 
ここだ。
 
半分だけ上がったシャッターを下から覗き込み、奥に人が動いているのを見た。
白髪を肩まで伸ばして後ろで結んだ50代から60代ぐらいの男性だ。
半開きのシャッターを開ける気配がない。
心臓が肺の下でばくばく跳ねている。硝子戸をノックしようととした手が震える。

朋子はたまらずに一度ビルの外に降りた。
エレベーターなどないからもちろん階段だ。その場を少しだけ離れて、震える手でメモを取り出し電話をかけてみる。
すぐに留守電に繋がってしまった。

朋子は電話を閉じて深呼吸をすると、もう一度階段を上った。シャッターの下からもう一度覗き込む。
男性がこちらに気づく。事務所の中から店に出てくる気配がした。



*  *  *



朋子はもう落ち着いていた。

こうなると逆に腹がすわってお客向けの愛嬌のいい笑顔が出る。
会釈をしてシャッターを指差すと、店主は戸惑いながらも店を開けた。
 
「おはようございます。あの、昨日わたしネットオークションのサイトを見ていたんですけど…」
 
差し出した携帯が震えないか危ぶみながら、朋子はカウンターに直接スマホの画面を開いて置いた。
 
「この品をちょっと、直接見てみたくって」
「ああ、そうですか…」
 
店主は一瞬、断ろうか迷うそぶりを見せた。
そして朋子の笑顔にぶつかると、背中を向けてごそごそ棚の中を探りはじめる。
朋子は自分の愛想の良さが警戒をとき、無邪気で一切の悪意なく天真爛漫にうつることをよく知っていた。
彼女は周囲を見回した。
 
ここは店頭に出しても売れそうにない品をオークションに出品することで利益を出している店なのだと理解した。
急に頭がすっきりしてきた。
オークションに出せば、より確実に売れていく。
ここに事務所を構えて持ち込まれる鉱石を機械的に処分する。
 
いざとなったら事情をわかってもらうために出そうと用意してきたコピー用紙を朋子は握り締める。
こんなもの、何の役にも立たない。すぐに分かった。

男はずるそうな目を左右に動かして、朝早くからいきなり訪れたこの客が一体何の意図があってのことか探ろうとしている。
普段あまり起きないことなので混乱して理解が追い付いていないようだ。
一体何事だ?この客は一体何だ?不思議なことが起きた。
そんな顔をしている。
 
それはそうだ。わけありの品を追ってきたなら笑顔にすぎる。
道楽とも思えない。お金持ちの様子もない。
身に付けているのはユニクロやZARAの投げ売りだ。
そして何より、彼女は何の石も身に付けていなかった。結婚指輪もプラチナのシンプルなもので石は入っていない。
 
男が目の前に置いた指輪の石に手を伸ばした時、朋子の指はぶるぶる震え、その石の光の中に魂が吸い取られていく気がした。
 
(これはなに?)
(それ?メキシコオパールよ)




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