見出し画像

それはまるで遊園地での1日のような―『NEEDY GIRL OVERDOSE』感想文

というわけで、『NEEDY GIRL OVERDOSE』、

とりあえず3つのメインなエンドと言えるであろう、「Do You Love Me?」と「(Un)Happy End World」、「Happy End World」に到達することができました。
で、そうして何度もプレイしている内に、最初はてなブログで書いた感想

とはまた違った思いを持つことになったので、この文ではそんな思いについて描いていきたいと思います。

繰り返しプレイすればするほど、あめちゃんが可愛くなっていく

最初プレイしているときは、正直僕はあまり鬼畜系とかが好きではない性分なので、できる限り性行為とか薬物とかを控えるようにプレイして、できるだけ精神に負荷をかけないようにプレイしていたんですね。で、まあどの配信もそれほどレベルも上がらず、なんとか100万人達成してもそんなに思いも残らないエンドに行ってしまうという、そんな感じでした。

そこで2回目以降は、もう割り切って「楽しければいいじゃーん」精神でどんどんいろんなことやってみた訳です。何度リストカットしようが配信続行したり、薬物も性行為もどんどんする、それどころか薬物を摂取して性行為をするなんてこともしたり……で、なぜかそうするとどんどん配信のレベルも上がってくるわけです(改めて鬼畜だなーこのゲームシステムは)。

で、そんな感じで何回もプレイしていくと、なんつーか、どんどん画面の向こうのあめちゃんもノってきてくれるような感じがして、プレイしているだけでどんどん楽しくなってくるんです。アメちゃんがする反応もどんどん可愛くなっていくし、コメントのノリもどんどん良くなっていく、何より、配信を続けていく中でどんどん自分たちが、世間の常識から遊離したところで自由になれている感じがして、まさしく「INTERNET OVERDOSE」という感じだったわけです。

だから、何度エンドを迎えても繰り返しやりたくなってしまうし、「何でごのゲームでの配信生活は30日間で終わってしまうんだろう。もっとこの馬鹿騒ぎを続けられたら良いのに」と、思ってしまうわけです。

「終わらない学園祭前日を生きる」というオタクの夢を叶えたインターネット

そして、多分そういう「ずっと世間なんか関係ないとこで馬鹿騒ぎしていたい」というのは、まさしく僕やあめちゃんみたいな、社会に適合できない人たち全員の夢だったりするわけですね。まさしく「終わらない学園祭前日」を何日も繰り返したあの少年少女たちのように

(そういや上記の映画でも、「トランキライザー」という精神薬が出てたな)

そして、そういった僕らにとって、「インターネット」という空間は、まさしくそんな夢を叶える場所だったわけです。ここなら、普段日常で守らされるようなつまらない大人のルールとは関係なく、エログロなんでも有りで、好きなだけ馬鹿騒ぎができるんだと。

(もちろんこれはオタク男性というある立場からのみ見た偽史であることは否めません。オタク男性にとって楽園だった昔のインターネットは、しかしそのオタク男性に差別される側だった、女性やセクシャル・マイノリティの人々にとっては地獄だったかもしれないわけで

その観点から言うと、このゲームの「Angry Otaku Needy Girl」というエンドで、あめちゃんが、所謂ネットで揶揄され戯画化されるような「ツイフェミ」になるエンドがあるというのは示唆的ではある。正直このエンドがあることによって、「現実とは関係ないんだよ」というエクスキューズの純度は下がってしまっているのだけれど、でもこのエンドは存在しなければならなかったんだと思う)

多分ぼくらがこのゲームに惹かれるのは、まさしくそんな「僕らがそこで遊んでいたかったインターネット」を描いていて、そこで配信者とその彼ピとなって遊ぶ夢を見せてくれるからだと思うんですね。

「じゃあ、僕の現実はどこ?」「それは夢の終わりよ」

でも、多分だからこそ、このゲームの配信は、30日で終わらなきゃならなかったのだと思う訳です。エンドレスモードは実装されないのだと。

僕がこのゲームを遊んでいた時、ふと、デジャブのようなものを感じたんですね。なんか前にもこれと似たような感覚があったなと。

で、思い当たった訳です。あ、これマンガ版の『NHKにようこそ!』を読んでいたときの感じだ、と。

『NHKにようこそ!』も、まさしくこのゲームと同じく、社会不適合の男女が、薬物やら宗教やらエロゲやら色々なものを経由して馬鹿騒ぎをしていく話なわけで、言ってしまえば『NEEDY GIRL OVERDOSE』は、令和という時代に合わせてチューニングされたゲーム版『NHKにようこそ!』なわけです(だからこそ、『NEEDY GIRL OVERDOSE』にはまった人には、ぜひ『NHKにようこそ!』も勧めたいなと思ったり)。

で、この『NHKにようこそ!』なんですが、マンガ版と書いているように、原作として別に小説があり

さらにアニメ版もあったりします。

ただ、ストーリーは媒体によって結構違っていて、小説版はそれこそ文庫一冊に収まるぐらいの内容であり、アニメ版も2クールに収まる程度の話なんですが、マンガ版は8巻に及ぶ物語になっています。

しかし、ぶっちゃけていうと引きこもりの物語で書くことなんてそんなに色々あるわけない訳で、その点から「小説とアニメは完成度よくまとまっていて好きだけど、マンガ版はちょっとねー」という人もいたりいます。マンガ版のシナリオも担当した原作者の滝本竜彦氏も、マンガ版最終巻のあとがきの中で、「タイトロープの上でずっと踊っていて、最終的に落っこちてしまいました」と書いていたりします。

しかしですね、ここで僕はあえて言いたいわけです。だからこそマンガ版が最も素晴らしいんだと!夢と妄想の世界に生きる引きこもりが終わりを迎えるとしたら、そんなもん現実と折り合いをつけるしかないわけですよ。事実、小説版もアニメ版も、結局引きこもりを終えて実家に帰るという話になるわけです。

ですがね、そんなの誰も望んでいないわけです!僕らが見たい物語というのは、たとえどんなに堕落していったとしても、現実の社会なんて知ったことない遊び場で、とにかくはしゃぎ続ける、そんな物語なわけです。その点からいえば、一番純度の高いのは、やっぱりマンガ版だと僕は思うわけです。

しかし、結局マンガ版も、終わりを迎えざるをえなかった。これは、僕らの望む楽園が、決して永遠のものではないということを如実に表しているわけです。そこに持続可能性なんてものがあるわけがない。

それはこのゲームでも同じことで、まともに働きもせず。クスリをやってセックスしてインターネットやって、なんて生活は、例え本人がそれを望んだとしても、本人の身体がそれに耐えられない。しかしゲーム的にその身体を完璧にコンピューター上に模倣することはできないから、便宜的に30日という終わりを設けているわけです。

「このゲームにハッピーエンドはあると思いますか?」というのがこのゲームのキャッチコピーですが、それに対する僕の答えは「どんなエンドも、終わりなのだから、それはハッピーではありえない」というものです。

しかし、どんなものにも終わりは来る。「終わりなき学園祭前日」がもしあったとしても、そこに人間は耐えられないのです。

にもかかわらず、僕らは夢見てしまうわけです。この日々が終わらないでと。

天国が もしもあるとするなら
更新されないホームページと似てるかな
ふたりで話したね 二十三時に目覚めて
夜が明けるまで夢の代わり 朝日を遠ざけて
ずっと世紀末でいて ずっと終わらないでいて
ずっと ずっと

平成死亡遊戯 - アーバンギャルド



お寄せいただいたおゼゼは手数料を除いた全額だらけるために使われます。