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 たっくん、十歳のお誕生日、おめでとう。もう立派な、お兄ちゃんだね。
 たっくんのお誕生日を一緒にお祝いできなくて、ごめんね。
 プレゼントは、お母さんと一緒に考えて、選びました。気に入ってもらえるといいな。

 今日は、お父さんの昔のことを書きます。お父さんがちょうどたっくんくらいの年のころ。たっくんにまーくんがいるように、お父さんにもケンちゃんという親友がいた。おうちも近かったから、毎日のように遊んでいた。
 ケンちゃんは、長男だった。二歳年下の妹、さらに二歳下に弟がいたっけな。
 お父さんの小さいころの遊びといえば、野球、サッカーが多かったけど、僕らは絵を描いたり工作したりしておうちの中でよく遊んだ。
 ケンちゃんのお母さんは、近くの公民館で絵や手芸を教えたりしていたから、ケンちゃんのおうちにはいろんな道具や材料がそろっていた。
 ケンちゃんのおうちは友達がよく集まるところだった。ケンちゃんのお母さんはもてなし上手なひとだったし、何より子どもが大好きなひとだったからね。
 ひなまつり、七夕、クリスマス、バレンタインのようなイベントがあると、近所の子どもたちが、ケンちゃんのおうちでパーティーをした。一番盛り上がったのは、もちろんクリスマスだ。

 クリスマスといえば思い出すのが、ケンちゃんのお母さんが作ってくれたパウンドケーキだ。チョコレートやマーブル、ドライフルーツが入ったのもあった。お父さんが一番好きだったのは、りんごのシロップ漬けが入ったパウンドケーキだった。焼き立てのまだ温かいうちにそれをほおばるとりんごの酸味とシロップの甘みのあとからシナモンの風味がふわっときて思わずうっとりと目を閉じてしまうほどおいしかった。

 クリスマスパーティーで一番盛り上がったのは、プレゼント交換だった。みんなで各々持ち寄ったプレゼントを輪になって順繰り隣に渡していって、適当なところで止まったものが自分のプレゼントになる。自分のところにはどんなプレゼントがやってくるのか、自分の持ってきたプレゼントが誰のところへいくのかも楽しかった。
 お父さんは、自分のプレゼントが何になるのかが気になるのと同じくらい、自分の用意したプレゼントを受け取った相手が喜んでくれているかどうかが気になったもんだ。プレゼントを受け取った相手の笑顔を見るとほっとしてうれしかった。

 あれはたしか四年生のときだった。ちょうどいまのたっくんと同じころのこと。あのときのクリスマスパーティーには、全員で十人以上はいたんじゃないかな。学年もバラバラで男女も入り混じっていた。プレゼント交換のときがやって来て、みんなで大騒ぎしながら交換の輪は進んでいった。
 お父さんが用意したのは、おもちゃの拳銃だった。自分がそのとき一番ほしかったものを素直に選んだ。
 その日、お父さんのところへやってきたプレゼントはピンク色の手帳だった。バインダータイプで好きな紙を挟めるようになっていて、小さなシールがおまけに付いていた。女の子が選んだものに違いなかった。
 お父さんのプレゼントは、ケンちゃんの弟のところへいった。拳銃を上に持ち上げて喜んでいるのが見えた。
 正直、お父さんはピンクの手帳を手にとてもがっかりしていた。まさか拳銃は望めないにしても、せめて遊べるおもちゃがほしかった。
 ケンちゃんは、スポーツカーのミニカーを手にしていた。遠巻きに見ても、それはかなり精巧にできていているのが分かった。
 お父さんは、キョロキョロしてあたりを見渡した。みんな笑顔でプレゼントを見せ合っていた。
 ケンちゃんからどうしたの?と聞かれて自分が半べそをかいていることに気づいた。喉が詰まって声にならなかったから、黙っていた。するともう一度、ケンちゃんは同じことを聞いた。それでも黙っているとケンちゃんは下から心配そうにのぞきこんできた。目からはいまにも涙がこぼれ落ちそうだったが、何とかすんでのところでそれは堪えた。
 ケンちゃんのお母さんが気づいて、五色のペンやらキルトで作った巾着なんかを手渡してご機嫌を取ろうとしてくれた。子ども心に申し訳なく思ったのを憶えている。
 涙を拭いて顔を上げると女の子と目が合った。女の子は、悲しそうな顔をして、いまにも泣き出しそうだった。ピンクの手帳の贈り主にだとすぐにわかった。
 お父さんは、贈り主の女の子を見て我に返った。女の子に申し訳ないことをしてしまったことにようやく気づいた。自分の用意したプレゼントを受け取った子が泣いたら、お父さんだって悲しい。取り返しのつかないことをしてしまったと思った。みんなが楽しみにしていたクリスマス会をひとりで台無しにしてしまったような気分だった。恥ずかしくて、自分のことがすごく情けなかった。
 でも、そのとき同時にお父さんは、ものすごく大切なことを学んだんだ。そして心に誓った。これからはどんなプレゼントであれ、必ずそれを笑顔で受け取ろう。そう決めた。あの日決意したことは、いまもちゃんと守っているよ。

 お父さんは、いまこれを病院のベッドで書いている。いよいよ手術は明日になった。お父さんの病気は、手術をしたからといって必ず治るものではない。手術で病気の状態を見てみないとほとんど何も分からないのだそうだ。
 お父さんだって手術は怖い。病気が憎い。明日の朝になって、すべてが夢で病気もすっかり消えてなくなっていたらどんなに幸せなことかと思う。
 誰だって病気にならないで健康なままがいいに決まっている。病気なんてプレゼントを誰も喜ぶはずがない。けど、ずっと健康なままでいられるひとがこの世にひとりもいないのもまたたしかなことだ。みんないつか何かの病気を患って苦しむときがくる。必ずやってくる。
 ひとりで病院にいるといろんなことを考えるようになった。
 お父さんは、たっくんとお母さんと一緒におうちで過ごしていたときのことを思い出すと、とても大きな幸せを感じることができた。それまで当たり前に思っていたことのすべてが本当はすごく幸せなことだったのだと気づいた。病気がお父さんにそのことを教えてくれたんだよ。

 プレゼントを隣のひとに送っている一時、手元にあるそれはまだ自分のプレゼントではない。自分のところに止まってはじめてそれはプレゼントになるんだ。中身が何であれ、それを受け取らなくてはならない。飛び上がるほどうれしいプレゼントもあれば、正直あまりほしくないものだってあるだろう。
 でも、たっくん、これだけは知っておいてほしい。人生で受け取るプレゼントのすべてを自分で選ぶことはできない。与えられたものを受け取るしかないときがある。そして、プレゼントを笑顔で受け取るもいやな顔で受け取るも本人次第なんだよ。
 嫌なプレゼントを笑って受け取れるひとはきっとそんなに多くない。ほんのちょっとは勇気も必要だろう。でも肝心なのは、受け取ったプレゼントが不運にも望むべくものではなかったとしても、それを笑い飛ばせるのは本人にしかできないということだ。それは、むしろ特権のようなものなんだよ。だって、他人のプレゼントを笑ったりしてはいけないことだからね。
 だから、お父さんは、この病気も人生からのプレゼントだと笑顔で受け取ることにしたんだ。たっくんだったら、わかるよね。
 お父さんは、手術を受ける前にたっくんとお母さんに手紙を書いた。これはお父さんからのささやかなプレゼントだと思ってほしい。

 手術が終わったら、今度こそ、たっくんとお母さんと三人で誕生日のお祝いをしよう。それはいまお父さんが一番ほしいプレゼントです。
 それでは、たっくん、また元気に会おうね。おやすみ。

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