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明日へ向かって 76

 帰路の新幹線の中で長原も似たような感想を抱いていることが分かった。
「いいエクササイズにはなってたかもしれんけど、何となく物足りないというか、ちょっと変やなかった?」
「わたしも思いました」
 希美は即座に同意した。それから何が欠けていたのか、という話題になり、四人で話すうち、今日の議論には自分たちに対する問いかけがなかったということに思い当たった。
 旧高津製薬で展開してきたオープンディスカッションには、必ず自分たちへ問いかけるという姿勢があった。しかし、旧三河製薬で体験したミーティングには、自分たちへ向けられた問いかけはなかった。そこにあるのは、互いのリーダー論をぶつけ合う議論の場としてしか機能していなかった。
 もちろん、どちらのアプローチが正しいのかは分からない。しかし、常に自分たちの立ち位置を確認しながら進めてきた彼らにとって、旧三河製薬のミーティングは、それが何に繋がっているのかが少し不明瞭に思えた。違和感はそこにあったのだ。
 旧三河製薬では、自分たちに問いかけるような根源的議論をする段階はとうに過ぎ去ったのかもしれない。だが、必要なのはいまの自分たちにとって何が大事なのかをはっきりさせることである。
 答えは外で見つかるものではなく、常に自分の中にあるのではないだろうか。旧三河製薬のオープンディスカッション体験は、自分たちの活動を見直すよい機会になったと希美は思った。

 六甲の家の坂野医師がセミナーで講演することを知った。生と死を見つめる、と題したセミナー内でホスピスについて話題提供するという。
 榎本からその知らせを聞いて真っ先に手を挙げたのは希美だった。開催日は日曜日であるため、仕事が止まる心配もなかった。
 セミナー当日は、梅雨時期に似つかわしくないほど空は晴れ渡っていた。強い陽射しが降り注ぎ、街路樹の陰影をアスファルトに色濃く映し出していた。これで蝉の鳴き声が加われば、もう立派に夏である。
 開催三十分前に到着したにも関わらず、セミナー会場のホールはすでに満席に近かった。参加者の年齢層はやや高く、女性が多いようにみえた。
 セミナーは定刻通りに始まった。演者の多くは、看護師や医師といった医療関係者が中心であったが、他に牧師や僧侶、霊長類研究者がいた。
 どの講演も、生死観への示唆に富み、考えさせられる内容ばかりであった。中でも一番印象深かったのは、がん患者本人による講演だった。彼女のメッセージに、希美は感動のあまり涙した。
 今年に還暦を迎えたばかりの彼女は、末期のがん患者であった。そんな彼女が、今朝、赤いちゃんちゃんこを着て来ようと思ったら、息子に止められたので、せめてもと思い、赤いスカーフを胸に飾ってきました、と明るく話し始めた。
 彼女の元気に明るく語る姿は、とても闘病中の患者には見えなかった。希美は、自分の母親よりも若い彼女の話を聞くうち、何度も涙が溢れた。彼女は、がんの発症から、手術、そしていま闘病中のホスピスと在宅ケアについて話し、さらに自身の死についても語った。
 自分がいなくなった後に残される家族のこと、わが家にいる愛犬について、自分がいなくなったあとの未来について語った。それを話す彼女の心は、どれほどの数の悲しみを乗り越えてきただろうか。
 だが、彼女は涙ひとつ浮かべず、ときに笑顔さえ交えて話すのである。そのとき聴衆が演者から受け取ったのは、死を迎える悲しみではなかった。力強く生きる人間の美しさ、ひたすら前向きな生の逞しさであった。
 彼女が話し終えたとき、会場にはその日一番大きな拍手が鳴り響いた。しばらく鳴り止まない拍手の中を、彼女は付き添いの看護師に支えられるようにして壇上を後にした。
 セミナーの帰り道、希美は、自分がやるべきことについて考えた。これまでしてきたことは、やらなければならないことや誰かに言われたこと、周りに合わせてやってきたことばかりだった。
 これからは少しずつそれを変えていこう。ひとつは自分のため、もうひとつは世の中のためになることをしたい。それをこれから自分の目で見つけていかなければならない、希美はそう思った。

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