自分の中の〝面倒くさい〟に降参する
新年明けて、いつもの日常に戻ると、新たにした気持ちはどこへやら。これまで身についた習慣の力は大きくて、あっという間に、いつもの一日になる。
仕方ない。
これまでの習慣があるからこそ、日々がスムーズに回っているのだから。
少しずつ小さな習慣を積み重ねていくしかない。いずれ大きな変化につながるように。
そう思って、今年は気負わず小さな習慣を身につけられたらいい、と考えた。
それでも、この習慣続くだろうか?途中でやっぱり面倒くさいってならないだろうか?と変な心配が時折頭をよぎる…
やっぱり少々気負っている(苦笑)?
自分を責める〝なぜ?〟
自分が変えたい、成長したいと思って行動化する。それに対して、なぜ時に面倒くさいと思うのだろう?なぜ面倒くさくなって結局行動出来ないということがあるんだろう?
本当に自分がやりたいと願っているのに…
私はここにずっと〝気になるスイッチ〟が入りっぱなしだった。なぜ?なぜ?
そして気づいた。それは…
なぜ?という問いは、理由を知りたいというよりは、なぜ面倒くさがる?なぜ出来ない?と暗に自分責めパターンにつながる問いだということに。
親が子どもに、先生が生徒に、なぜあなたは◯◯が出来ないの?!と言ってしまうことがあるかもしれない。
この、なぜに近い。
このなぜを使うときは実際のところ出来ない理由なんて聞いてなくて、出来るのが当然なのに出来ないということを責めていることが大半な気がする。
私の、なぜ面倒くさいと思うのだろう?という問いも、一見自分で自分を叱っている感じはないけど、根っこでやっていることは同じだった。
そう言って自ら思うように出来ない自分を責めていただけだった。
理由をあえて探さない
それでもやっぱり、なぜ面倒くさい?という問いが出てきたから、その理由を自分なりに明確にしよう。理由がはっきりすると、少し改善されるだろうし。
…と、いつもの、ある意味自分らしい解決法。
そう思ったけど…
今回やめた。
理由が明確になったところで、自分を責める気持ちがなくなるわけではないような気がしたからだ。
思えば、これまでいつもそうして私は、なぜ?と思考し続けてきた。
時には情報をかき集め、専門的理解や解釈を求めることばかりに時間を使ってきた気がする。私の中の答えというより、世の中の正解をここでも求めていたかもしれない。
その結果として、自分に気持ちに向き合うという、私にとって意味のある、大切な道から外れることが多かった。
時に、専門職としても明確な答えを求める立場にある私にとって、こういうときの専門的知識は甘い蜜のようなところがある気すらする。
私はどこかで、面倒くさい、という自分の中から湧いてきたどうにもならない気持ちを、思考や理性で打ち負かそうとしていたかもしれない。
自分の中での闘争
自分自身が、自分の感情や感覚を受け止めてほしい。
そうどこかで願っていたのに、思考だけで受け止めていた。いや、もしかしたら思考や理性で押さえつけてただけかもしれない。
勝ち負けの勝負を自分の中に持ち込んでしまっていただろうか?
なぜ面倒くさいってなる?その理由は?
これまで、こういう問いをして、自分の中を深掘りしていった。最もそれらしい理由を見つけられたら、それまで見えてない自分が見えてきて、次の一手を考えることも出来た。
別に深掘り自体が悪いわけではない。ただ私の場合、最もらしい理由を見つけたとき、それは同時に思考で感情を打ち負かすための深掘りになっていた。ほら、だからダメなんじゃん、そんな怠け者じゃだめでしょ、と。
どうしても自分の中で勝負事になってしまうらしい。それなら一度自分の中の闘いをやめてみよう。いや、一度は、いつも面倒くさいと思うどうにもならない気持ちのほうに降参してみよう。
面倒くさい気持ちの粘り勝ち(笑)。とにかく一度降参する。
それでもなおいつも自分の中にある思いなら、それを自分の初期設定にしてしまえばいい。面倒くさい気持ちが自分の中にあるのは当たり前、と設定して、それでも、やりたいと思うことがあるなら少しでもやってみる。
それでどうだろうか?
思考と感情の距離感
今回ここまで書き綴ってきたこと。正直なところ、これもすでに思考レベルではわかっていたことだった。途中で気づいた。
もはや、またかぁという感じ…
しかもすでに仕事の場面では活用したことすらあった。自分の中に答えがあるどころか、他の人のための支援のためのスキルとしてすでに使っていたなんて…
ひたすら思考して仕事として扱えることと、自分事として捉えて扱うことは.どうやら私がこれまで考えてきた以上に距離があるらしい。
私は私の初期設定となってるものをようやく条件なく受け入れようとし始めている気がする。元々自分の中に持っているものをマイナスでもプラスでもない、ゼロ地点に全て置くという感じかもしれない。
この一年の始まりに、自分の中のもの全部ゼロ地点に並べようという試み。
なんだかちょっと嬉しいスタートになった。
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