大きい変化はとかく地味に起きている①

こんにちは。まちこしです。
最近、なんとなく、
あれ?自分が昔と違う考え方や発言をしているなと思うときがあります。
というかここ数年ずーっともやもやもやもやしていたのですが、そんな心の霧がすこしづつ晴れていくようなそんな瞬間があります。

特に最近感じるのが、他人への余計な感情がなくなったこと。
昔はなにかとこの人ってこういう人だからこうだ、ああだと勝手に判断したり自分の中での評価みたいなことを多分無意識にしてました。
それで変に安心したり、勝手な優越感をもったりして、またそういった自分に気づいて自己嫌悪になったりしてました。
本当にお一人上手ですね〜って感じなんですけど、そういうエゴっていうのは消したい消したいと思うほど意識から離れなくなるものだと思います。そういう、ああーーーもうっ!!っていう感情を最近そういえば感じてないなって気づいたんです。

前ならば、もやもやするような出来事や人との出会いも、最近はその場で判断せず、あーこういう人なんだなー、好きかもー。以上。
あー、ここはこういう場なんだなー。自分とは合うかもー、以上。それ以上思うことはないです。ちなみに合わないなーと思ってもそれ以上の感情がなくなるのでそこまで嫌な思いもしません(笑)。

これ普通にやってる人ってたくさんいると思うんですが、私はこういったことがほんとにできなかった人間で、そもそも「好き」「嫌い」を激しくつけてはいけないという謎の聖人君子の呪縛で自分を縛っていたので、例えば「好き」「嫌い」を感じたときに「理由」をつけようとするんですね。エゴってやつは。
〜だから私この人好きなんだ、〜だからこの人嫌いなんだ、みたいな。むしろ、人をそうやって気嫌いしてはいけない、とか。表に出してはいけないとか。
でもこういうこと続けてると自分がわからなくなるんですよね。
そういう「好き」「嫌い」って理由なんてないし、どんなに条件つけても逃れられない要素だと思うしそう感じることが本当に人間らしいっていうかその人の核になってる部分だと思う。

なので最近そういうことに悩まされなくなったっていうのは、たぶん、自分の「好き」「嫌い」に前より正直に生きているんじゃないかなと。
そうすると、自分のエゴの存在自体て忘れてるんですよね。
反動で考えているうちは意識をしているから絶対的にエゴはそこにいる。
で、素直にその好き嫌いを「意識する」のではなく「感じ」ていると仮にその人が苦手でもなんとなくそのまま受け入れられる。合わないなと思っても、あーいやだいやだとかも思わなくなるしそれ以上そこに注力しなくなる。(まぁ、その前にそういう人とは結局縁うすくなるんですけど、、、。)
合わなくても、その人をその人として認められる。わかる。
「わかる」って分けるってことだから文字通り、自分と分けるってことだと思います。

ちょっと長くなったので続きは次回にまわします〜。

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