もしもジョーカーがオンラインサロンをやったら上手くいくという話
「どんなに辛いことや悲しいことがあってもネタにできる。それがお笑いの力だ。」
僕がよく聴いているラジオのパーソナリティが、以前そんなことを言っていた。
生粋の“コメディアン”、ジョーカー
ジョーカーという人物は、まさしくそれを体現した存在である。
先日公開された映画『ジョーカー』では、アメコミ界屈指のヴィラン・ジョーカーがいかにして生まれたのか?という物語が描かれている。
「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。
都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィーに秘かな好意を抱いている。
笑いのある人生は素晴らしいと信じ、どん底から抜け出そうともがくアーサーはなぜ、狂気あふれる<悪のカリスマ>ジョーカーに変貌したのか?
切なくも衝撃の真実が明かされる!
― 映画『ジョーカー』オフィシャルサイト より
簡単にいえば、真っ当な青年が闇落ちしてしまう、みたいな話なのだが、そんな言葉で片付けることができないほどに、この主人公・アーサーの境遇がとにかく見ていて辛い。
冒頭では、アーサーが街頭で客引きピエロをしていると、通りがかったチンピラグループに持っていた看板を奪われてしまう。慌てて追いかけるも、人目のつかない路地裏に入りこんでしまい集団リンチを受ける始末。また、アーサーは(おそらく)トゥレット症候群を患っており、悲しいときや笑ってはいけない場面で声を上げて笑ってしまう。それが災いして周囲から怪訝な目で見られたり、コメディアンとしての演技もままならない。挙句の果てにはあることがキッカケでピエロの仕事をクビになるわ、市の政策で社会保障が打ち切られるわ、それはもう笑ってしまうくらいの不幸が立て続けに起こる。
そして、アーサーは悟ってしまう。「自分の人生は悲劇だが、これは傍から見れば喜劇である」と。
彼は狂気的な“コメディアン”・ジョーカーへと変貌し、数々の奇行に走る。その姿は、金持ち優遇政策の下でアーサーのように虐げられていた多数の群衆市民に広く知れ渡り、偉大な(ダーク)ヒーローとして英雄視されることとなった。
『ジョーカー』を引き立たせる、かつてのジョーカー達。
さて、このnoteでは「これは現代社会の不満を駆り立てる危険な映画だ!」みたいな政治性のある話や、「オマージュがふんだんに盛り込まれていて〜」みたいな映画ファン向けの話も一切省こうと思う。その類でハイクオリティなレビューが他にたくさんあるので。
僕が思ったのは、「ジョーカーの物語は、構造的に人の心を惹きつける力がある」ということだ。
これまで我々が抱いていたジョーカーに対するイメージは、「何を考えているかも何をしでかすかもわからない、とにかくイカれたヤバい奴」である。過去にもいくつかの映像作品にジョーカーが登場しているが、彼自身の過去が詳しく描かれたものはおそらくあまりないし、かの有名なヒース・レジャーがジョーカーを演じる『ダークナイト』を観た人なら、なおさらその印象が強いと思う。
そんな人物像が人々の間に創り上げられたうえで、満を持して今回の『ジョーカー』。謎に包まれていた彼の過去にまつわる、タネ明かし的な1作。
そこで観客は受けとることになる。「あの狂ったジョーカーが、こんなにも人間的だったなんて」という強烈なギャップを。しかもそこにあるのは圧倒的に辛く、それでいてこの社会の「どこか」にも存在しうる現実的な地獄。そして、その人間性こそが彼の行動を「正当化」し、狂気にさらなる説得力を与えてしまうのだ。(この体験はまさしく、スター・ウォーズのプリクエル3部作におけるダース・ベイダーのそれに通ずるものがある。)
一方では「ジョーカーは“ジョーカー”のままでいてほしかった」という感想も耳にするが、裏を返せばそれだけこれまでの“ジョーカー”とは一線を画していた、ということだろう。
「悪のカリスマ」に学ぶファンづくり
ここで、ようやく「オンラインサロン」の話が出てくる。
オンラインサロンには、いくつかのタイプがある。同じ趣味を持つ人同士が集まる「コミュニティ型」から、サロンオーナーの知識やスキルを学ぶ「勉強会型」みたいなものがあるが、もっとも持続的にうまく回るとよく言われるのが「物語型」。
何らかの目標に向かってチャレンジし続けるサロンオーナーがクローズドな空間でその過程や裏話を共有し、サロンメンバーはそれを応援する、という形式のもの。もちろんメンバーは会費を毎月払っているわけだけど、それは物語を楽しむための「鑑賞料」であり、そんなオーナーを応援するための「投げ銭」だ。オーナーは、常に自らの物語を提供しつづけることによって、自分を応援(支持)してくれるたくさんのファンを集めることができる。
これ、まさしくジョーカーでは。
大きな目標(彼の場合はただの狂人的行動)を掲げ、それを裏付けるバックグラウンドストーリーを語る。パンチが効いているし、表向きの顔とのギャップがあるし、興味を引くには上出来すぎる物語だ。そのストーリーに共感した者たちは彼のファンとなり、「次はどんな事件を起こすのか?」とヒヤヒヤしつつも見届けたくなる。そうこうする間に、彼の思想がひとつのミームとして世の中に染み渡る。
つまり映画『ジョーカー』は、いわば彼のオンラインサロンの1週間お試し入会みたいなものなのである。彼の予測不能な行動の裏にはこんな思想が体験がありますよ、とチラ見せし、もっと見たければこのサロンに入ってくださいね、と促しているのだ(もちろんそんなものはない)。
これからオンラインサロンでもやってみようか、なんて考えている方は、ぜひ『ジョーカー』を観てみてはいかがだろうか。ほとんど学びはないが、こうして膨らませることであたかも何かを得た雰囲気を醸し出すことができる。これはお笑いの力なのか。
スキをしてくれるとたまに韻を踏みます。