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私の物書き遍歴

さて、早速何から書いていこうかと考えたときに、まずは、これまでに私がどのようにして「言葉を綴る」ことをしてきたのか、というのを振り返ってみようと思います。
大きく分けると3つになりますでしょうか。

・ブログを転々としていた学生時代
・自身のHPをつくって書いていた時代
・ある日から筆を置いた時代

時代、などと大袈裟に書いておりますが、その期間は対して長いわけではありませんのであしからず。

・ブログを転々としていた学生時代
私が初めてインターネットの世界に触れたのは、学生時代のことでした。
こう書いてしまうと、ある程度世代がバレてしまいそうな気もしますが、その点は深く追求しないで頂ければ幸いです。
前置きはさておき、インターネットに触れた若かりし頃の私は、様々な物事を見聞きし、覚えていきました。
正直なところ、当時のことはあまりよく覚えておりませんが、きっと「自分の思うことを世界へ発信できるんだ!」と、感銘を受けたのだと思います。
そして、自分でも何か伝えたい、交流したいと思って始めたのがブログでした。
最初に始めたのは…NAVERブログだったでしょうか。
のちにCURURUと名称を変え、サービス終了するまで続けていたのが、私の物書きの始まりだったと記憶しております。
伝えたいこと、などと声高に言っておりますが、今で言うところの「Twitterのつぶやき」などが主な内容で、それはそれはお粗末なものでございました。
(お粗末なのは今でもさして変わりませんが)
ですが、自分が思ったこと感じたことを発信することに対しての共感を得ることができたのは、多感な時期の私にとって、大きな収穫だったのではないかと思います。
その当時、CURURUで交流していた折に、とても素晴らしい詩を書いている方がいらっしゃいまして。
その感性たるや、当時の自分はおろか今の自分でも綴ることのできない言葉が、その方のブログに散りばめられておりました。
その方の詩を読んだことがきっかけで、自分でも詩を書くようになった…気がします。
そうです、私は詩を書くのが好きなのです。
正確に言えば、好きだった、でしょうか。
(現在ほとんど書いていないので)
自分の思ったこと感じたことを、何かに喩えて書くことが好きでした。
直接的な表現ではなく、遠回しに書くのが好きなんでしょうね、きっと。
どこの誰が見ているかわからないインターネットの世界で、そのままの感情を述べるのは得策ではないと学んだのでしょう。笑い
私がCURURUで培ってきた「インターネット内でのコミュニティ」という概念は、CURURUサービス終了後、mixiへと引き継がれていきました。
先輩から招待を受け、入会したmixi。
mixiは、どちらかというと、ブログというよりはコミュニティ要素が強いですかね。
それもあってか、mixiと並行してココログなどへも投稿しておりました。
mixiについては、リアルの友人もいれば共通の趣味で知り合った、顔も名も知らぬ方もおり、現実世界と仮想空間の入り乱れた場所だったので、それこそ本当に日記をつけたりしておりましたし、趣味の話で盛り上がったりと、様々な文章を書いていたものです。
「バトン」やら「ライヴレポ」やら「つぶやき」やら。
いやあ、懐かしいですね。
そこで知り合った何人かの方とは、実際にお逢いし、現在でもお付き合い頂いていたりしています。
十数年以上続いているのですから、誠にありがたいことです。
おっと、話が少し逸れてしまいました。
話を戻しますと、mixiでは内輪話を、ココログでは詩や他愛もないことを書いていたような感じでした。
特に住み分けをする必要はなかったのですが、会員制のコミュニティとは別に、書きたいことがあったのでしょう、当時の私には。
ブログでは、名前も、mixiとは別の名前を使用しておりましたし。
そのブログも、次のことへ興味が移り、次第に投稿は減り、最終的に閉鎖と相成りました。

・自身のHPをつくって書いていた時代
はい、そうなのです、前述した「次のこと」というのは、自分のHPだったのです。
ブログでは飽き足らず、忍者ツールズというサイトを用いて、自分のHPを作り始めたのです。
そのHPは、詩とライヴレポートと好きなアーティストの曲から着想を経て書いた掌編小説が主体でした。
今読み返せば稚拙なものばかりですが、当時は、とても熱心に書いていたものです。
好きな曲を1曲リピートで延々と聴きながら、物語を膨らませてゆく。
1日に余裕があった当時の私にとって、有効な時間の使い方だったのではないでしょうか。
実際、出来上がった作品に概ね満足しておりましたし、曲やアーティストへの思い入れも深まって、充実した日々を過ごしていたように思います。
また、HTMLやCSSで、HPのデザインを構築していくのも楽しかったものです。
私は基本、悲観的思考の持ち主なので、書いた詩や掌編は切ない話が多かったような気がしますが。
それに反して、ライヴレポートついては、凄まじいテンションの盛り上がりで書いておりました。笑い
当時は遠征することが多かったため、1日の行動全てをレポートにまとめたこともありました。
はたして、どのくらいの方がそのハイテンションレポートを読んでいてくれたのか…。
今となっては分かりませんが、自分のために書いていた部分もあるので、よしとしましょう。

実を言いますと、自分のHP自体はまだ健在でして。
そちらは、文章とは異なる分野を主体としているため、別ペンネーム(と言いますかインターネット上の本体はこちら)にて活動を続けております。
もし、気になる方がおりましたら「創る屋えにし堂」にて検索頂けたら幸いです。
(以前はそのHPにも、詩や掌編を載せていたのですが、諸事情により非公開にしました)

と、別の活動の宣伝もしたところで、次の話題へと向かいましょう。

・ある日から筆を置いた時代
ここからは、少しばかり暗い話になります。
学生時代を終え、社会人となった私に待ち受けていたのは、想像を超えるものばかりでした。
つらい、とにかくつらい。
そんな毎日が続きました。
もちろん、ライヴなどのイベントごとへは行っておりましたし、楽しいこともなかったわけではありません。
環境が変わり、人が変わり、自分も変わってしまった。
そう、感じました。
変わらない部分もあると思います。
けれど、それ以上に変わってしまったものの方が多かった。
今まで感じ取れていたことが、感じられなくなってしまった。
いや、そうせざるを得なかったのかもしれません。
多感なままでは、いつか、私は壊れてしまう。
私は私を守るために、変わった。
そう、思いたい。

などと、大袈裟に語っておりますが、私が言葉を綴るうえで一番変わったのは、Twitterの存在でしょう。
私は2009年からTwitterを利用し始め、その手軽さ故、次第に物語を紡ぐことをしなくなりました。
仕事が忙しかったのもあるでしょう。
いや、忙しさを理由に辞めてしまったんだと思います。
本当は、言葉を綴りたい。
そういう気持ちは常にあって、ネタ帳を持ち歩いては、ちょっとしたことを書き留めていたこともありました。
詩的めいた言葉は、Twitterへ投稿していましたから。
(少なくとも、私はTwitterが詩を書くのに適した場所だとは思っておりません)
けれど、つぶやくこと以外に、しっかりと、言葉に向き合うことはしなくなったなと、ひしひし感じております。
ああ、私は、どこか変わってしまったんだなと。
人間、変わらず生きてゆくことの方が難しいでしょう。
でも、私は、いつしか自ら筆を置き、言葉を紡ぎ楽しんでいた時代を思い出しては、悲しんでいることに気がついたのです。


さて、ここまで長々と書いて参りましたが。
私と言葉との付き合い方はこのような感じでしょうか。
これを踏まえたうえで、今後、この場をどうしたいきたいか。
私はまた、言葉と向き合いたい。
試行錯誤しながらにはなりますが、ここではペンネームも新たにし、心機一転、言葉と向き合い、何かを形作っていければ良いなと考えております。
気まぐれなので、あまり期待せず、長い目で見て頂ければ幸いです。


天蒔 柊太郎

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