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心の抽斗、記憶の欠片。 3

はじめに。
私の心の中には、大小様々な抽斗が存在している。
その大半には錠前がついており、きっかけとなる事柄 ー 鍵 ー を持ってしてその抽斗を開け、中にそっと仕舞われている「記憶」を取り出すことができる。
「記憶」の形も様々で、まばゆい光を放つものもあれば、錆びついたもの、中には、更に謎を解かねばならぬ「からくり箱」の様相を呈しているものもある。

これから綴られる文章は、本当のことかもしれないし、そうではないかもしれない。
でもそれは、この物語を読むうえで、さほど重要なことではない。
読む側の人間にとって、嘘か誠かなんてわからなくとも、「赤の他人のふとした出来事」として捉えられれば、それでよいのだから。
だからそう、事の真相を知っているのは、私だけで構わないのだ。
それを頭の片隅に置いた状態で、この先を読むかどうか、決めて欲しいと思う。
もし、読んでくれるのなら、その「ご縁」に感謝して。

天蒔 柊太郎


僕が、早め早めの行動をとる理由になったひとつの、ある出来事をお話ししましょう。

僕が学生の頃住んでいたところは、車がなければ移動ができない、電車も1時間に1本という、それはもう、「ザ・田舎」という場所でした。
趣味という趣味はあれど、移動しなければ遊べないようなところで、電車に揺られ1時間してやっと、都市部に出られる、そんなところでした。

ある日、僕は、映画を観に行くことにしました。
その映画は、僕の住んでいる県では1館のみ上映しているもので、前売り券を買い、それはもう、楽しみにしていた映画でした。
映画は上映時間が決まっています。
電車も、1時間に1本ですから、乗る電車は限られてきます。
その日、僕は電車に乗って、映画館へと向かいました。
しかし、天候不良の影響で、乗っている電車が駅と駅の間で止まってしまいました。
結局、予定時刻より30分以上遅れて終点まで辿り着きました。
僕は、すでに上映が始まってしまっている映画館へと急ぎました。
その映画は、観ることができませんでした。
上映開始に間に合わず、30分以上遅れていたため、入ることができなかったのです。
とぼとぼと歩きながら駅へ向かう僕は、泣いていました。
学生にとって、映画の代金というのは、決して安いものではありません。
しかも、その映画のために電車賃までかけて、来たのに、観ることができなかった。
遅れた理由は、自分のせいではなかった。
それが、くやしくてくやしくて。
前売り券を買いに1度劇場へ足を運んだ時に、グッズだけ先に買っていました。
でも、映画は観ることができなかった。
そのまま、電車に乗って、家まで帰りました。
それから幾年もの時が過ぎ去りました。
DVDが出ている今も、未だに観ることができていない、そんな映画になってしまいました。
タイトルを見るだけで、苦い思い出がよみがえってしまい、苦しくなるから。

その経験から数年後、僕は、交通が便利な街に引っ越して生活しています。
映画に行くことや、人との待ち合わせなど、「時間を守らなければならない」というときは、「交通機関の乱れ」を想定して、出発時間を決めています。
移動ルートも、いくつか確認しています。
だってもう、同じ思いはしたくないから。
経験は活かされる、その最たる出来事でした。


「こいつに、飲み物一本買ってやるか」。そんな心持ちでご支援いただけたら、幸甚の至りでございます。