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自己統制不完全

突然、演劇というものに携わることになった。

演劇ユニットこえのしずくの第三回自主公演『自己統制不完全』は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、無観客による映像配信に変更された。

この作品に、いくらか参加した。大きくは音楽と映像について、細かくはいろいろと——。主宰の諏訪こばとさんから依頼を受けたのは、二月の終わりだった。観客を入れた上演の自粛が、ほぼ確定となった折のことだ。
「映像を配信するにあたり、当初予定していた楽曲の使用がむつかしくなったので、音楽を提供してほしい」
「そもそも、映像の制作をお願いしたい」

まずは、音楽からとりかかった。ひとつは、章の題と同じく「違和感」をテーマにしたもの。その場面には一層そぐわない音楽を望まれ、結果、ちょちょんがちょんの音頭のような曲になった。詩のついた、いわゆる歌モノ。内容は、まさにこの、現在の情勢について。それから、この作品に携わるぼく自身の気持ちについて書いた。もう一曲は、物語の佳境に近いところで流れる重要なBGM。演出の諏訪こばとさんと相談しつつ、次第に盛りあがっていく展開にした。楽曲のイメージは、脚本を読んで——また、稽古をのぞいて——感じた、この作品全体を包む雰囲気から広げた。

映像は、正直、まず困っていた。演劇については経験もノウハウもなく、また、機材や人員の手配も厳しい。さらにこの舞台、一段上がったステージではなく、観客は演者と同じ高さから観る想定なのだという。四角い舞台の二辺を客席が囲い、正面という正面がない。実際、珍しいものではないらしいが、演劇に慣れないぼくには想定外の形だ。撮影方法をあれこれ思索した末、たどりついたのは、「出演者とスタッフが自身で撮影する」という案だった。

いざ撮影当日、みんなのiPhoneをかき集め、さまざまな角度に置いた。撮影担当のスタッフなどいない、置きっぱなしの定点カメラばかりだ。立ち位置や体の向きを問わず、すべての演技がいずれかの画面に収まるように並べる。端末提供者への指示——設定の統一とバッテリーの十分な充電だけは、強く念を押した。小さな誤算は、撮影後の大きな動画ファイルを受け取る手段……。まあそこは、時間をかけて少しずつ、サーバーにアップしてもらうしかない。

さて、本番が終われば、あとは編集、ひたすら編集である。固定された画面が次々に切り替わるのは、繋げてみるとずいぶん味気ない。各カメラの映像を少し揺らして、手ブレを再現することにした。これが思いのほか効果的で、途端に驚くほど見やすくなった。さらに、ズームして表情に寄ったり、そのまま画角を移動させて、動きを追いかけたりした。細かな作業をくり返すたび、映像はよりよくなっていった。カット選びは、演出に大きく関わる。これも、演出家の諏訪こばとさんの確認を挟みつつ進めていった。

音声の収録にも苦労があった。一人ひとりの声を狙うマイクは用意できないため、全体の音を拾うためのものを、ぽつんと置く。しかし、狭い会場ゆえに反響が大きい。また照明機材のファンも存外に強い。これらは諦めるよりほかになかった。セリフの音量も含め、編集時にできるだけ丁寧に整えることで、なんとか聞きやすい音声に仕上げた。なお、天の声については、専用の一本を立てている。

すべての作業に、それぞれかなりの労力と時間が必要となったが、最後にはとてもよいものができたと自負している。演劇に関わるのは、映像も音楽も、まったくの未経験であったが、大変刺激的な仕事だった。また、総じて楽しくもあった。

【特に楽しかったところ】
・音頭の合いの手
・音楽と芝居が重なった瞬間
・十章の映像加工
・十二章のカット割り
・エンドロールの編集
・青春感

本編映像はこちら。このすてきな作品、より多くの人にご覧いただければと思います。クラウドファンディングも実施しているようなので、よければご協力を。


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