結局家が一番落ち着く
怒涛の6日間を終え、昨日の夜久しぶりに家に帰ってきました。
最寄りの駅の見慣れた景色や、迎えてくれる家族、自分の部屋のベッド。
どれも安心感がすごく、そこでようやく「ずいぶん遠くまで行っていたんだなぁ」と実感しました。
(物理的な遠さもあるけれど、心理的な遠さの方がイメージに近い。今までの生活からかけ離れた行動、みたいな)
遠州産地のインターンといい、イベントでの演奏といい、自分にとってはなかなかの挑戦でした。
それを頑張れたのは、羽を休められる場所があるからだと、強く感じています。
ずっと頑張り続けることはできない。
かといって休み続けるのもそれはそれでしんどい。
充分に休むことで
「楽しいことがしたい!」
という欲求が自然と湧いてくるのだということを、適応障害になってみて知りました。
なにかを頑張るには、頑張らないでいられる場所や時間が必要なんだと思います。
かつての私はいつでもどこでも全力で、家の中ですら空気を読み、気を遣っていました。
「それでは長く続かないよ」と教えてくれたのが、適応障害でした。
休めるときは休むこと。
抜けるときは力を抜くこと。
自分がやらなくてもいいことはやらないこと。
そうした引き算が、私に必要なことでした。
見る人によっては「まだまだ力入ってるよ」と思うかもしれないけれど、それでも今、私史上もっとも脱力して過ごせるようになっています。
そうなれた一番の要因は、家が安心できる場所になったことだと思います。
なにもせず、無防備でいてもいいと思えた。
だから、力を抜くという感覚を知ることができました。
私も誰かにとって、無防備になれるお家のような存在になれたら。
そんな想いも、『深い雑談』をやる背景にあるのかもしれません。
お家、サイコー。
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『深い雑談』というものをやっています!
話せる機会がない、でも本当は話したい。
そんな話があれば、ぜひ聞かせてください。
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