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目的と手段の取り違え、本当にそれでいいの?

今日は久しぶりに記事を書いております。ただ、当アカウントをご覧の皆様にはピンと来ないでしょう。そりゃそうだ。毎日投稿は続いてるんだから。

多分前にも書いたと思うけど、俺は毎日記事を書いてる訳じゃない。書ける時に書く。そして筆が乗ったら書き溜める。そして投稿は1日1回を原則とする、というやり方でこれまでnoteに記事を投稿してきた。

 

以前「毎日投稿は誰にでも出来る」的な内容の記事を書いた事があるが、「毎日執筆」は出来るとは書かなかった。俺の感覚では「毎日執筆」の方が難しいと思うから。正直俺には出来ない。

書ける時にまとめて書くならみんな何とかなるんじゃないかとは思いますけど、ちょっとスパンを空けないと次が出てこないのはある意味当たり前じゃないかな。そこを無理して「毎日書いて毎日出す」って意気込むから、推敲不足のスッカスカの文章しか出せない。結果として読者も付いてこないってなるんだと思う。

 

毎日投稿と毎日執筆の違いやら、毎日投稿のデメリットなどに関しては以下の記事に書かれてる内容に共感したので、ご紹介します。俺も「無理してまでやる事じゃない」と思う。

 

俺はあくまで記事を投稿するタイミングの問題で、1日1本以上の投稿が続いちゃってるだけの話で、今はそこまで負荷がかかってないから継続してるだけの事なんです。

 

あと、話の流れは変わるけど、俺の投稿の傾向が一時期変わったきっかけとして、他所様の共同運営マガジンに参加させてもらった事が挙げられる。

それまでほとんど他人の投稿を読んでなかったのが、積極的に参加者の投稿を読むようになった結果、「noteの書き方」やら「note攻略法」みたいな記事の多さにびっくりしたんですよね。

それでおそらく、疑問を抱いたんだろうね。「noteに何を書くか」が問題のはずなのに、noteの書き方ばっかり書いて記事にしてどうすんねんとか。この人たち何をしにnoteに来たのかなって。

 

おそらくnoteを始める前に、「俺(私)は、この事柄について記事を書きたい、広めたい、読んでほしい」という明確なテーマをちゃんと用意してた人ほど、中身の詰まった記事を投稿出来てるし、noteの運用にも困ってないんだと思う。

でも、何も用意せず、ただ漠然と何か書きたいと思ってきた人は早々にネタが無くなって、読まれる記事として「noteの書き方」や「noteのつづけ方」を書き出す。1回や2回なら、その人の流儀みたいのを公表する意味で構わないと思うんだけど、noteを続けるための方法などを毎日のように、しかも同じような内容を繰り返し投稿してるとか、元の木阿弥というか、何しに来た? としか思えないんだよね、傍から見てて。

 

何か、途中で投げ出す人をバカにするような派閥もあるというか、続かない人を貶す論調もたまに見受けられるけど、個人的には続かなくてもしょうがないと思う。そもそもずっと続けるのは相当難しいから。成果が出なければ尚更。

俺は続かなくなって放置でも全然いいと思う。それよりもどっかで見たような(どっかからパクったような)、noteの続け方の記事を毎日のように投稿する奴の方がよっぽどデータ容量の無駄というか、ゴミを増やすだけというか、辞めた方がいいんじゃねえの?って思いますね。

 

ただ、おそらくそういう記事ってビュー多いんだろうな。note内だけでね。外に向いておらず、note内という狭いコミュの中だけの需要とはいえ、読んでもらえるからこんだけ関連記事が溢れてるんだと思われる。まあそうなると辞めらんないわな。

一時期そういうnote運用関連の記事を立て続けに閲覧した結果か、アカウントのトップページで表示されるオススメが未だにそういうハウツー記事ばっかり。ログアウトするとおすすめには興味深い、面白そうな記事が並ぶんだけどね。アカウントでも閲覧履歴をリセット出来ないもんかしら。

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