生まれ育った地で心震わす日々を過ごす
子供の頃、地域の人々の淡路島を卑下している言葉を幾度となく聞いた。何もない所だから云々。その言葉に必要以上に傷つき悔しさを覚えた。
自分が生まれた地を自虐するのは勝手だが、その自虐には地域の人、私までけなされている気がした。そんな時期を長く過ごしたことで、地域の人も好きになれず、自分までもが淡路島のことが嫌いになった。おそらくこれが第一の原点だろう。
明石海峡大橋が開通し、20年前に淡路島に帰ってきた時もそんな人はまだ一定数おり、今だに耳にすることもある。
7年間、淡路島を離れて仕事で各地をまわったが、日本全国の地方都市やその周辺市はみな金太郎飴のような街並みで全く面白みがなかったし、淡路島ほど立地も気候もほどほどよいうえに可能性(まだまだ余白がある)を秘めた島はなかなかないことに気づく。
ここには都会にない空気、高い空、季節の幸に加えて海の幸まである。買い物なんかネットで済ませられる時代だし、神戸まで1時間ちょっとで行けるのだからちょっと足を伸ばせば何でもそろう。
今、淡路島は観光客だけでなく、移住者が増え、徐々にではあるが企業も参入している。人口減少が止まらない淡路島にとって願ってもないことである。
そしてこれまで何もないことを憂いていた人たちに変わって今度は「変なのが来るのはゴメンだ」と言う人まで増えてきた。
私はこの淡路島の大変革期の今を生きているだけでラッキーな人生だと思っている。生まれ育った地でスリルも感じつつ、ワクワクできることが何よりありがたい。
そして、めちゃくちゃカッコつけたことを言うと、これから淡路島で若い人たちが頑張れる空気感を作りたい。私はその突破口を開くため、遅まきながら40歳で地元にこだわって開業した。だから事業所の名前にも地名を入れた。
実のところは家業を継ぐ気がなくなったので結果的に開業しただけだが、意味なんて後付けで何とでもなるものだ。
おそらくここから5年が淡路島の大転換期、地元で心震わせながら過ごしていきたい。
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