1.悪魔と鬼と天使

 気づけばおよそ10年くらい前からインターネット皆勤賞だ。好きで見ているというよりはほぼ呼吸のようなものだという認識で、家にいるときは常にpcの画面に張り付いている。SNSや匿名掲示板や動画投稿サイトなどをいつもの通り巡回し、新しい情報も見逃さない。世知辛い外界からさまざまな刺激を受けながらも自我を保つために、画面の向こうから善とか悪とかグロとかエロとかを摂取している。インターネットにはなんでもある。草原も、過疎集落も、サーフィンもままならないくらいの荒波も。
 だからといって現実世界を蔑ろにしているわけではない。大学には比較的真面目に通っているし、バイトもサボることはないし、交友関係もある。あるにはあるが、問題が多いのは考えものだ。
 スマホから着信音。画面上に見慣れた名前が浮かんでいる。

「もしもし。どうした?」
「ねええええええ聞いてよお〜〜〜もお〜!!!」
 またやかましい愚痴が始まった。
週に数回は通話を仕掛けてくるのがこの幼馴染だ。高校まで一緒だったが当時からそこそこモテるくらいには容姿も外面も良い。ただ問題なのが、それをあまりにも武器として活かし過ぎているところだ。
「また客がハズレだったとか?」
「そうそう、わかってんじゃ〜ん。なんかお手当受け取ったとき中身確認して、約束より少なかったから不足分もらったら不機嫌になって説教し出してさ、めっちゃ長いしダルいし、贅沢ばっかしてると年取ったとき困るぞとか親が知ったら泣くぞとかさ〜、」
「お前の愚痴もそこそこ長いけどな。」
「マジで風俗に来て説教する客かっての〜!」
「状況が近すぎて例えになってないぞ。」
「こちとら独り身で寂しい父親くらいのおじさんにデート気分味わせてあげてんのによくもまあ親の話なんかできるわって感じ〜。内側の札だけ千円札いにしとくのもダルいし、バレないと思ってたんかなあ。」
 彼女はいわゆるパパ活女子だ。比較的裕福な大人の男を相手に、デートなんかをして金をもらっている。本人曰く体は売っていないらしい。実家から出たい一心で始めたようだが、倫理が希薄で男受けの良い女子大生にしてみれば天職に他ならない。毎月結構な額を稼いでいる。界隈の中でも成功している方だろうが、何かと不満があると俺に電話をかけてくる。両親との関係を含め、諸々の事情を理解してやれる人間はなかなかいないものだ。幼馴染故、ある程度は仕方がないとは思うのだが。
「俺に言われても困るんだけどな。」
「だからあ〜ただ相槌打ってくれればいいんだって。信哉しんやに解決できるなんて思ってるわけないっての。」
「それはそれで傷つく言い方だな。」
 いや、実際頼られたところで困るだけだが。


「まあ今週はアタリ続きだったからいいけど〜。うちも暇じゃないんだし、しょーもないやつ相手にしてられないし。」
「それでナナさんはどうするんだよ。説教パパとは縁切るのか?」
「んまあキャパシティ的には全然いけるんだけど、そろそろ高級路線で行きたいな〜って。」
「もうすでに高級だろうが。」
「顎の骨切り代溜まったからさらに上を目指せるし。」
「また整形すんのかよ!?」
「マジでナナ本気でp活ドリーム目指してるから。パパに家も車も自分の店も買ってもらうもん!」
 絶対無理だろ、とは言い切れない世の中なのが困る。まあ適当に相槌してればいいらしいので、少し早いがバイト先に向かう。家から徒歩5分のコンビニに勤めているが、ここでの人間関係も問題だ。程なくして職場に到着し、半ば強制的に通話を切ったところで声をかけられる。

「信哉、おっつかれー!」
「ミキさんお疲れ様っす。俺はこれからですけど。」
ついでとばかりに叩かれた背中をさすりながら答える。結構痛い。
「いやー参ったよ。客が視聴者だったっぽくてさー。声でわかっちゃったみたいで。」
「身バレしたんすか?」
「流石に誤魔化したよ。マジで意味わからんって顔してナンパならやめてくださいって言ったら真っ青な顔してなんかブツブツ言いながら逃げ帰ってた。」
「うわあ……。」
 彼女はバイト先を同じくする同僚であり、大学の先輩でもある。学科が違うので大学ではほぼ会うことはないが。そして、何十万人ものファンをもつ配信者でもある。華咲ミキという名前で、バーチャルアバターを使ってゲームや雑談の配信を行い、結構な収益を得ている。ちょっと変わり者の素朴な女の子、といった感じのキャラだ。そして、ガチ恋ファンが非常に多い。まあ本人も狙ってやっているのだろうが、そのくせ自分のファンについては普通にキモがっている。裏の顔があまりにも黒すぎるのだ。
「オタクって堂々と否定すれば反論できないし、後から反論思いついてツイートするだけだからさ。」
「その辺にしといてあげてくださいよ。昨日の配信も相当投げ銭もらってたじゃないですか。」
「黙って金出しときゃいいのに私生活に突っ込もうとするからじゃーん。リアルで会えたって繋がってもらえるわけないのに身の程を知れっての。せめてビジュが合格点じゃなきゃさー。ってか思い出したけどこの前マッチした男クソイケメンだった。」
「またマッチングアプリすか。オタクにバレたら大炎上ですよ。」
 バーチャルの可愛らしくも女子力が少し抜けた親しみのあるキャラとは裏腹に、かなりの遊び人だ。リアルでのギャル然とした見た目からすれば違和感もないのだが。
「でもまあアレはないわ。まず自信満々なのに▓▓▓もなかったし体臭が強烈すぎて▓▓▓▓……」
「はいはい。」
 これ以上は聞きたくないので、さっさと仕事に入ることにした。


なな@パパ募集中♡『今日はおすしやさんに連れて行ってもらいました~おいちい♡』
華咲ミキ 毎週金曜19時配信『ちょっとだけゲーム実況しようかなー みんな何がいい?』

バイトが終わり、ドラッグストアで買い出しも済ませた帰り道、なんとなくSNSを流し見していた。日曜日のインターネットは賑やかで、情報量も多い。なんだかんだ今週も疲れたので癒やしがほしい。そんなときはこのアカウントだ。

千雪ちゆき❄女装男子が自撮り上げるだけ『今日は新しい服でお出かけ!』

 可愛らしい女の子……と見せかけて実際は男だ。いわゆる男の娘というもので、とくにこの千雪ちゃんはとにかく女装のクオリティが高い。いかにも女の子らしい服を着ているし、フォロワーも男性ばかり。でも中身は男。ギャップというべきかなんというか、逆に清純に見えるというか。正直仲のいい女子がことごとく異常なまでに性格が悪い。女性がみんなああだと思うべきではないが、もはや裏の顔を疑うのが癖になってしまっている。中身が男だと思えば、見た目が女の子でもそこまで気にならないのだ。
 別に同性愛のカテゴリには含まれないはずだ。それもこれも全部身の回りの奴らが悪い。近頃は高校の同級生との縁もところどころ切れてきて、ナナやミキさんと接する比率が高くなってしまっている。あんなネットの地獄を煮詰めたような奴らばかり見ていたら頭がおかしくなってしまう。

 信号が変わったようなので渡る。休日なのもあってか人がそれなりに多く、反対側から歩いてきた人にすれ違いざまにぶつかってしまった。すみません、と一礼して小走りに交差点を抜けていく女の子の後ろ姿。ふと見下ろすと何かが落ちていた。女性ものの財布のようだ。さっきぶつかった拍子に落としてしまったのだろう。とりあえず横断歩道を逆戻りしてさっきの女の子の姿を探す。数十メートル先の道を歩いているところを見つけた。
「すみませーーーーん!」
走りながら声をかける。女の子の走り方ははジョギングくらいの軽いものだというのに、やたら早くてなかなか距離が縮まらない。ようやくこちらに気がついたようで、立ち止まって振り返ったところで追いついた。肩で息をしながら財布を差し出す。
「はあっはあっ……。これ、落としましたよ……。」
日頃の運動不足が祟って、大した距離も走ってないのに満身創痍だ。
「私の財布!」
どうやら彼女のもので間違いないようだ。
「危なかった……。すみません、本当にありがとうございます。助かりました。」
ようやく息が落ち着き、微笑んでお礼を言ってくれる彼女の顔を見ることができた。それと同時に驚愕する。

「千雪ちゃん……!」
目の前にいたのは見慣れた女装男子だった。

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