及ばざるは過ぎたるよりまされり!?

今月のはじめ、我が家の金魚・金ちゃんに元気がなかった。

水換えも息子がこの直前に初めてひとりでやったばかりだから、もしも死んでしまったら、自分のせいだと悲しむかもしれない・・・

一番可愛がっているのに、それは避けたいと思って、金魚についてちゃんと調べた。

ちゃんと調べたのは初めてのことだった。
金魚は夫と息子のもの、という感じで、私はまったくタッチしていなかったのだ。

調べてそして様子を見て、いまの金ちゃんに近い原因は、食べ過ぎかなと思った。

えさをどのくらいあげているか、帰宅した息子に確認すると、問題はなさそうだった。

夫に尋ねると、近づくと寄ってくるのが可愛くてつい・・・と言う。えさのやり過ぎは、金魚には一番ダメージがあるらしいよと忠告して、えさやりはこれまで通り息子の役割、と決めたら、1週間くらいすると元通り元気になった。

嬉しそうだからと、可愛いからと、与え過ぎてはいけない。

✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨

ベランダには植木がいくつかある。

そんなたいして立派なものはないし、種類も多くないけれど、朝、珈琲のお湯を沸かしている間に、水やりをする。ほんの1分位のこと。

普段はあんまりちゃんと見てあげることはなく、ざっと水をやっちゃうんだけど、調子が良くなさそうなときに、土が乾きすぎているかなーとか葉っぱの様子とか、ちょっとよく見る。

水をやらないと元気はなくなるんだけれど、あげ過ぎるよりまし。

水をやり過ぎてしまうと根っこがダメになってしまう。

そうすると時間をかけて、再起させようとしてもなかなかうまくいかない。

少しくらい水が足りなくても、足りない分には、何日かよく見て水を足していたら、元気になる。

でも、やり過ぎてしまうと、元気に戻すのは難しい。

植物によって必要とする水の量は、とても異なる。太陽も。

✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨

人間にも、言えるかな。
過干渉、過保護、管理の行き過ぎは、その人をダメにしてしまうかもしれない。
もちろん放置も、し過ぎはいけないことではあるけれど。


孔子の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

いや

家康公の言う「及ばざるは過ぎたるよりまされり」

なのかな。。。


http://www.edu-konan.jp/ishibe-jh/ikiruhint/tokugawa.html

(上記リンクより)
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。


 この意味は、おおよそ次のようなものです。

 人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
 不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
 心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
 がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
 勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
 自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
 足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。」

(何もかも到達できないほうが、という解釈のものもあり、それだと意味は異なるかもしれません)


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