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リュウゼツラン続報と海士村民の歌

海士町の今の様子がよ~く分かる「町の話題あっやこっや」、今回ご紹介するのは、50年を超える年月の重みを感じる2つの話題です。まずは番組をご覧ください。↓ ↓

隠岐國学習センターの竜舌蘭に秘められたドラマチックな物語

前回の放送でお伝えした、隠岐國学習センター前の巨大なリュウゼツラン(以下「竜舌蘭」と書きます)の花径(かけい)が伸びてきたというお話、あまチャンネルで放送したからかどうかは分かりませんが、町内でかなりの話題になっています。

最初はこの竜舌蘭に、こんなにドラマチックなストーリー秘められていたとは知りませんでした。

番組内でも言ってるように撮影が終わって雑談をしているとき、前回お名前が出てきた隠岐の植物研究の第一人者、丹後さんからお聴きした話として「竜舌蘭というのは、昔はお金持ちの家にしか植えられてなかったらしい」という話をしたのがきっかけで、この竜舌蘭の物語は大きく動き出しました。

その話を受けて平田さんが言った「そうですね、叔父さんはシカゴでスーパーマーケットを何軒も経営してたそうだから、たぶんお金持ちだったんでしょうね」という一言を聞いた瞬間に、私の頭の中にはシカゴ・ジャズの音楽が流れ、小さな島国日本のさらに小さな小さな離島に生まれ育った若者が、夢を追い求めてアメリカに渡り、大都会シカゴで懸命に生きやがて大成功を収めるというドラマチックなサクセスストーリーが広がりました。(↓以下の写真はイメージ)

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じゃぁ、叔父さんは若いころからずっとアメリカで生活されてたんですね、と話をつなぐと、平田さんが思い出したように言ったのが「そう、それで叔父さんはアメリカで結婚したんです。その相手の人は日本人で、知夫里島の出身だったんです」ということで、今度はロマンチックなラブストーリーへと展開しました。

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番組のナレーションで言ってるように、この放送がきっかけで隠岐國学習センターの竜舌蘭は、明屋海岸のハート岩に負けないぐらいの縁結びのパワースポットとして評判になるんじゃないかなと嬉しくなってしまった・・・・

のですが・・このあと思いもよらない展開が待っていたのです!

詳しくは次回、続報をお伝えしますのでお待ちください。

東京五輪音頭と海士村民の歌

その共通点は、番組でも言ってるように、どちらも海士町出身の宮田隆さんが作詞をしています。番組では平成29年の「広報海士」の記事を紹介していますが、海士村民の歌が発表された当時の昭和43年の「広報あま」にもその元となる記事が載っています。

広報海士 昭和43年9月号「海士村民の歌、作者のことば、宮田隆」

「海士村民の歌」は歌詞を海士村から海士町に替えて、今では「海士町民の歌」として、町の行事などで歌われます。

ちなみに、番組でBGMとして流れている「海士町民の歌」は、大江町長の町長就任式で役場職員全員で歌った時に録音したものです。

ということで、「町の話題あっやこっや」の番組ガイド、今回はここまで。

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