
水に似た東京
7ヶ月ぶりに実家の犬と会ったら、有り得ないデカさになっていた。元々デカかったものがさらにデカくなっていたのでそのポテンシャルに驚いたけれど、家の人たちはデカいという認識はありながらも「そうかなー?」と言うくらいで、誰もその変化には気づいていなさそうだった。たぶん、犬といっしょにずっと同じ家に住んでいる者にとっては、アハ体験の映像の中にいるようなものなんだろうと思う。
実家にいるあいだ、いつもより少しだけ呼吸を浅くして過ごした。ここの匂いを完全にかいでしまったら、またわたしは同じ場所にべったりと足をくっつけて動けなくなってしまうような気がして、そんな生活はもう嫌だった。
家のことは大好きだけれど、ここにはわたしの葛藤と焦燥と停滞の香りが染み付いていて、なんとも表せない気持ちになる。過去の自分がした選択のおかげでこの場所から外へ出られた優越を感じることでしか消化できない複雑さがあった。
油断してしまうと、お山座りで明日を待つような、死ぬには理由が浅すぎるような、そういう日々を静かに噛みちぎっていた頃の自分にいつでも戻れてしまうような感じがして、さんぽへ出かけた。
家のまわりを歩いてみたら、やっぱり東京は散らかりすぎだったんだ、と気付く。
与えられ過ぎる情報が思考の隙間に絶え間なく流れ込んできて、わたしの中を、わたしから生まれたもの以外で散漫とさせる。視線が散らばって、ものごとを忙しなく捉えてしまうような気になる。地面と足がほんとうにしっかりとくっついているのか分からなくなる。
たぶんわたしは東京にいるあいだ、常に正気ではないんだろうな、と思う。正気ではないから、わたしはわたしの活動を行うことができる。他人や他物からの無自覚な、あるいは意図的な攻撃に鈍感でいられ、それについて考えあぐねることを後回しにできる。そのまま、掴みどころのない今が続いている。
きっと正気ではないことをやめれば、わたしの周りには頑丈な膜が張られる。それは平坦に戻るということだから、たぶんまだできない。実家から感じる粘ついた穏やかさは、こういう鮮烈な感情と生暖かい日々への逃避に由来するものだった。まだまだ自分は何もかもを始めていきたいし、何もかもを半端に放ってはおけないということなんだと思う。
上京する頃に乗った東京行きの新幹線が品川付近に至ったとき、眼下に広がる家々の隙間の無さに慄いたことを思い出した。東京という漠然とした場所へ抱く憧憬を一度無くしていたわたしは、ただただ恐ろしくなった。これから自分はこういうところに放り込まれていくのか、という恐怖ばかりがあった。
新幹線の窓際に立たせたシルバニアが何度目かの転倒をしてコトンとなったのと同時に、わたしの心もポキリと鳴るような気がした。
しかし実際のところはどうかというと、東京の人は別に怖くなかった。これはわたしが当初予想していた像と異なっていたので、うれしく拍子抜けするような誤算だった。というか、怖い/怖くないというような尺度はそもそも存在していなく、そんな上面の簡単な規準では測れないような根底での蠢きが著しいのかもしれないというのが、わたしの所感だった。発露、というものが抑えられているのかもしれないと思った。
ともあれ、あの日新幹線から見た窮屈な家々とは裏腹に、東京ですれ違う他人とわたしのあいだには、想像よりも大きく明確な隙間があった。
この街の空気に触れた瞬間、誰のまわりにも平等に、薄くて透明なシールドが装着されるようになっていて、それは街で様々な他人と円滑に通り過ぎあう物差しになっている。東京の密度に各々が耐えうるには必要不可欠なものであるのかもしれないけれど、ひとまずはそれがわたしへ妙な心地よさをもたらしている。
例えば渋谷は最悪の街だけれど、この心象の一方で、スクランブル交差点にはこの街の密度に似合わない清々しさが現れたりもする。
横断歩道を渡るまで、周りとの物理的距離を保ちながらする信号待ちで干渉してくる他人はいるけれど、ひとたび横断歩道を渡り始めればそんなのは有り得ない事象だったというくらいに、誰も彼もが滑らかに通り過ぎていく。
勝手に流れていく力と、さらに平らな言い方をすれば、自分を基点にした無視力ということかもしれない。
東京は、そういう場所がほかよりも少しだけ多い。
わたしには昔、本気で「人は1人で生きていける」と思っていた時期があった。これもある意味で自分以外の他人を容易に無視できてしまう無視力に繋がっていたのかもしれなく、そしてそれは少なくとも、良くはない力だったと思う。
ただ、そのおかげで今とは別の意味で未来には不安がほとんどなかったわけだけれど、ある時、「人は1人で生きていける」ということが絶対的に不可能な仮説だったと気づきショックを受けた。
人は1人で生きていけないし、それなのに人は1人で死ぬしかないという当たり前のことが自分に落とし込まれ、衝撃的だった。つまりこれは、わたしの中で人生何度目かのアハ体験だったということになる。
けれどこんなのは世の中の原理を受けながら生きている限り当たり前のことで、この世界は、自分と他人とで何かをしたりされたりする連続になっている。
返されるものを存分に見越して何かを与えられるくらいなら一切何もいらないのに、それらを拒絶する選択すらもままならない苦しさは、至るところに散らばっている。これは、街中に広がるわけのわからないぴかぴかの広告やつるつるの紙のせいではなく、何かをしたりされたりする当たり前の作用に突き動かされ続けた結果、その過程で体験した(もしくは幻想している)感覚がむくむくと頓珍漢に膨れあがった人間の末路を、嫌に真っ当にくらっているからだと思う。
社会はあまりにも表層的で、ただ大変そうな人がただ大変じゃなさそうな人よりも評価されてしまったりする。なるべく多くの他人から同情を得られる行動や言葉を意図的に選べば、そこにいかなる悪や保身が隠蔽されていたとしても簡単にまかり通ったりする。何かをしたりされたりすることにみんな夢中で、初歩的な狡猾さには気づく余裕がないのか、諦観に慣れきってしまっているのかなんだろうと思う。
この夏は大好きな友だちと滝を見に行った。とにかくわたしはこの夏に滝を見ないといけなかった。滝見るか自分壊すか迷う、みたいな、そういう感じだった。こんな陰鬱な季節といっしょに壊れてしまうのは真っ平ごめんだったので、滝を見に行った。
すごくよかった。素晴らしかった。
水がただ流れて、流れているのに流されていなくて、流れていった先に行き着く水溜まりがあって、目をこらすと小さな魚がしゅんしゅんと泳いでいた。その光景が素晴らしかった。水は絶え間なく形を変えている、みたいな話をどこかで聞いた気がするけれど、そういう体験に没頭できる場所だった。
知らない家族が川遊び用の格好になって、川や石に隠れている生きものを探す。傍らで、わたしは手のひらに水を滑らせる。さっき訪れた食堂のおばあちゃんがくるんでくれたパンの残りを、少し齧った。夏もこうやって流れていってるんだ、とわかった。本当に素敵な1日だった。
今日も相変わらず渋谷は最悪の街で、それなのにスクランブル交差点はなぜかまた、渡り切れてしまう。
なぜかまた、夏を越せていた。
なぜかまだ、生き延びられている。