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拝啓:夏

もうすぐ夏がきます。それはとても不安です。なぜならわたしは、夏になると落ち込んでしまうからです。夏が嫌いだからです。でもわたしが季節の中でいちばん可愛くいられるのは、夏です。可愛くいられるというのは、内側ではなく外側のはなしです。しくみはよく分かっていませんが、そうなんです。だからわたしは夏に向かって、嫌いだという感情だけを投げつけるようなことはしません。夏になったらなにを着ようとか、そういう、少し心が弾むことを考えることもできます。夏はとにかくたくさんTシャツを着たいという気持ちと、そうじゃなくって色々な種類のワンピースをひらりと着たいという気持ちと、あとは死にたいという気持ちがあります。きほんは、どれも希望にみちています。

3年前の夏に、海へ行きました。閉じ込められていると思ったからです。生きるためです。さっきまでこの海で生きていたらしい魚が、お盆に乗って出てきました。わたしはそれを食べました。海を触りました。舌で、指で、触りました。ぬるくて、気持ちが悪かったです。
外は夏で、夏だから夏なのは当たり前の完全に夏という顔をしていました。ぬるま湯に頭まで浸かっているみたいな気持ちになりました。わたしの人生かと思いましたが、ただの気候でした。例えばいまここで誰かがくさいおならをしたら、くさいのは全然消えてくれなくて、ずぅっとその人のおしりを着いていくんだろうなと思いました。粘っこくて、なにもかもを剥がせないような気候でした。さいわいおならは出ませんでしたが、その代わり、海から放たれるワカメの匂いがずぅっとわたしを包みました。わたしはみそ汁の中をぷかぷかと浮かぶワカメのことを思い出し、「みそ汁に浸かってるみたい。」と言いました。「赤?白?」と聞かれました。無視しました。

海に沿った道路を歩いているあいだ、わたしはみそ汁から脱出することはできませんでした。そのうち、だんだんと可笑しくなってきました。
世界に閉じ込められているから海に来たというのに、実はみそ汁に閉じ込められていたのだと判明したからです。すごい結果だと思いました。みんなはこのことを知っているのでしょうか。知っているんだとしたら、どうして誰もわたしにこのことを教えてくれなかったのでしょうか。でもそれは、当然のことかもしれません。だってわたしは、誰かに1度たりとも「世界に閉じ込められてる気がする。」とかいうことを言ったことがないからです。もしもわたしが誰かにそのことを打ち明けていたとしたら、それを聞いた誰かは、「え?私たちが閉じ込められてるのはみそ汁だよ。」と教えてくれたかもしれません。きっとそうだと思います。やっぱり、思ったことはなるべく口にしたほうがいいのかもしれません。けれどそれは、とてもむずかしいことだと思います。

わたしは、長いあいだ海と隣り合わせで歩きつづけました。歩きながら、そういえばわたしは生まれてから今日までに、何回海へ行ったことがあるのだろうと思い、記憶を辿りました。小さいころは、毎年夏になると隣の県の海へ出かけていた気がします。パパが車を運転して、家族みんなで海をめざしました。車の中では、サザンオールスターズの『海のYeah!!』がずぅっと流れていました。たぶん、パパが選んだのだと思います。わたしはそこに入っている曲をたくさん歌いました。聞き取れない歌詞の部分も適当に歌いました。意味がわからない歌詞もあったけれど、きっとそれはわたしがまだ小さいからとかではなく、大人になっても同じように分からないんじゃないのかなと思いました。
わたしは、夏に関する夏みたいな色々を好きになれずにいるけれど、『海のYeah!!』は大丈夫です。淡くて眩しい思い出といっしょに、わたしに染み付いているからです。それは、車の中の匂いとセットでいつでも取り出すことができます。
海に着いたら、パパとママがビニールのイカダを膨らませてくれて、わたしはそこに乗りました。ぷかぷかと浮きました。遠くまで広がる海を見て、深い深い海を思って、すこし怖くなりました。でも、イカダの上に乗っていれば安全です。わたしは、絶対に溺れたくないと思いました。ぜんぜん、死にたくないです。

次に海へ行ったのは、高校2年生の春と夏のあいだ頃だったと思います。わたしはその頃、学校に行けませんでした。行ってはいたけれど、行かない日もありました。月曜日が苦しくてしかたがありませんでした。理由はうまく説明できませんでした。プールの授業があったからかもしれないし、嫌だと思う場所で嫌だと思いながら時間をやり過ごすのがどうしても許せなかったからかもしれません。それでその日は突然、海に行くことを思いつきました。朝、ママに「今日は学校には行かなくて、海に行く。」と伝えました。そしたら紙を1枚渡されました。生協の裏紙です。ママは、「どうして学校に行けないのか、ゆっくり考えて書き出してみるといいかもね。」と言いました。わたしはその紙を受け取って、シャープペンシルと、それから下敷き代わりに古典文法のワークを持ちました。地下の真っ暗なところじゃなくて、外を走るタイプの電車に乗って、行ったことのない海へ向かいました。わたしは毎日地下鉄に乗っていたけれど、地下鉄なんかにはもう一生乗らないほうがいいのではないかと思いました。天気は晴れでした。駅から海まで少し歩く途中に、公園がありました。わたしはジャングルジムに登ってみました。青い空が見えて、ああ青空ってこのことかと知りました。

海には誰もいませんでした。ざばんざばんという音がして、海には波があることを思い出しました。裸足になって砂浜を歩きました。足の指の付け根で、砂をぎゅっぎゅっと執拗に掴みながら海の水に向かって歩きました。砂はカラカラしていて、熱かったです。海はきらきらと光っていました。いい加減に火照った足を、海の水につけました。たぶん、冷たかったです。いちばん浅いところに、じっと立ってみました。波がくると、くるぶしより下がたっぷり浸かりました。波が引くとき、わたしの足の裏の部分だけを型どるみたいに、まわりの砂がざらざらさらさらと攫われていきました。わたしはこの時の足の感覚がとても好きです。気持ちが良いし、この時だけは、わたしは地面に足をついているんだという実感を持ちます。だから、しっかりしようと思えます。でもすぐに、しっかりってなんなんだよと思いました。わたしは海から足を離して、また砂浜のほうを歩きました。ぎゅっぎゅっ、しゃりしゃり。遠くのほうまで続いている海を見て、絶対に溺れたくないなと思いました。イカダは無いので気をつけないといけません。死ぬことを少しずつ延長している気分でした。

わたしは途中で屋根のある場所を見つけて休憩をしました。朝にママが渡してくれた紙を古典文法のワークの上に敷いて、シャープペンシルを持ちました。どうして学校に行けないのか、行かない場合どうしたいか、などを短く書きました。 それでわたしは最後の〈これから何をやりたいか〉の項目に、「音楽」みたいなことを書いた気がします。
ふたたび砂浜を歩きました。青い蟹が死んでいました。裏返しになった蟹の、かすかな青色が綺麗だったので一緒に写真を撮りました。わたしはピースをしました。今この写真を見返すと、どうしてわたしは死んでいる蟹にこんなにも近づいて、ピースまでできてしまったのか不思議でしかたありません。気持ち悪いです。夕方になったので、家に帰りました。また明日から学校に行くのか、と思いました。紙はママに渡しました。その日は泣きながら眠りました。

次の日、やっぱり学校には行けそうもありませんでした。ママや先生と相談して、教室には行かずに保健室に行くのはどうかと言われました。保健室も学校の一部なので、どうして保健室なら良いことになるのかあんまり意味がわかりません。けれど、保健室でよくない理由もあまり説明できなかったので、とりあえず行ってみました。そしたらいつの間にかわたしは、学校のカウンセラーの人と話をすることになっていました。経緯はほとんど覚えていませんが、この時のわたしみたいな状態になった生徒にあたえられる成り行きとしては当然だったのかもしれません。何はともあれ、わたしはそのカウンセラーの人と対峙させられました。なんらかを優しく話してくれて、なんらかを優しく聞いてくれたような気がするけれど、知ってることしか言われませんでした。この人は、外を走る電車でもなければ、砂をさらう波でも青い蟹でもなく、だから当然脅威的な海でも無いんだと分かりました。当たり前です。絶望しました。誰かが悪いとか誰も悪くないとかではありません。とにかく絶望してしまいました。その年の夏が終わる頃に、わたしは学校をやめました。まだこの頃は、みそ汁に閉じ込められてるなんて知らなかったくせに、かなり良い選択をしたと思います。

それで、今、こんな感じです。どんな感じかと言うと、高校をやめる日にクラスのみんなからもらった寄せ書きの中で喋ったことない男子が書いてくれた『その選択を後悔するなよ!』に、「していませんよ!」と堂々と返すことができる感じです。良かったです。
今年の夏は、同居人が車を運転してくれてレインボーブリッジに連れて行ってくれるそうです。だからそれまでは誰ともレインボーブリッジに行くなよ、と同居人から釘を刺されています。そういう約束をしました。同居人が運転する車の中で、絶対にわたしは、『海のYeah!!』を流したいです。
それであとは、できれば、海かプールでクロールをしたいです。わたしは、高校2年生のころ授業のために買ったスクール水着以外に、水着を持っていません。なのでまずは、可愛い水着を買おうと思います。クロールの息継ぎはあっぷあっぷで、息継ぎというよりも、あまりに縋りの面が強い気がします。それをできるだけうまくやろうと努力できる部分が、クロールの気に入っているところです。
プールや海の水が、いつかの波のようにわたしの体ごと型どってくれるよう泳ぎます。絶対に溺れたくないです。もうイカダは無いので、だからわたしは泳ぐんだと思います。

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