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小学生の頃わたしは川崎市で育った
最近就職してやたらと出身地を聞かれる
川崎ですと言う度に、驚かれる
おじさん達にとって川崎がどう印象か知らないけど
怖がらないで欲しい

川崎に住んでた頃は私にとってはただの住む場所で
どんな所かなんて考えたことがないくらい
私の知ってる世界は狭かった

今日本を広く見れるようになったとき
よく川崎の生活を振り返る

小学生のわたしは、団地がどういうところで
何故ともだちが髪の毛を小学生から染めているのか
そんなことを不思議に思わなかった

それは私の母親が
そんな子達と仲良くするのはやめなさいと
言うような人じゃ無かったからだろう
育った環境や多様性に自分のものさしで他人を評価する人では絶対に無かったからだろう

今となれば、面白い子達と友達だったと思うけど
子どもの頃から誰とでも仲良くして
自分と違うことに対して何とも思わない
楽しいからつるむ、面白いから遊ぶ
ただそれだけの生き方を学んだのは母からでもあり、
川崎という土地からでもある。

髪を染めツーブロックにする女の子
漫画のようなメールを送り合う私の初恋の男の子
私と親友にならなきゃ自殺すると言う女の子
自分の大きな家に毎日勝手にクラスメイトを出入りさせる子
描いた絵を持っていくと店じゅうに貼ってくれていつしか張り紙だらけになった商店街のお肉屋さんのおばさん
上履きにチョークを塗って真っ白にしてた子
公園のベンチにいつも座ってる缶を集めてお金にしてるおじさん

私にとってそれは普通で日常だった

それはおかしい、可哀想、変だと
誰も言わないし思わない

ある意味冷たく、優しいところ

いま私が住んでいるところとは真逆に感じる
おっ節介という言葉が似合う場所
ここは暖かく、冷酷

小学校の音楽会で
私の母がクラス全員分のシュシュを作った
何故母が1人で作ったのか、何故作ることになったのかは
覚えていない
母の好意で作ったような気もする
私は誇らしげにみんなに配った
みんな嬉しそうに髪につけたり
男子は手につけてくれた
全員で同じものを身につけると
みんな嬉しそうだった。

でも1人つけない子がいた
その子の髪は長く金髪に染められていて
リーダーみたいな子だった
その子は頑なにつけなかった
私は母にこの子だけ付けてないと気づかれてしまうことを恐れた
母が悲しむかもしれないと
私は集中できなかった

そんな悔しさからこの話を鮮明に覚えている訳だけど
今考えれば、この子の意志の強さを尊敬する
女の子は基本グループでの行動を好むし
1人外れたことは避けたい性質があるとその後学んだ
私もきっとできない

でもこの子は自分の意思でつけるかつけないか決めて
みんながつけていても、自分だけはつけないと
貫いている
もしかしたら欲しかったかも知れないけど
さすが川崎キッズだと
この話を振り返って思った

そんな川崎は両親の離婚を機にもう10年以上行ってない

それでもあの道や、学校、公園、ともだち
何もかも焼き付くように覚えているこの場所は
私の価値観を教えてくれた場所

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