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子育てパニック 友

 以前のnoteに「男の友情」について何度も羨ましいと書いたことがあった。
「友 花の詩画展」開催主催者の思いに…。
 星野富弘氏の大学時代の友である先輩の大奮闘…準備期間の様子だった。

 その大奮闘の10日間が終了した。
 延べ人数で4000人を超えたらしい。
 もちろん、真愛も出かけた。
 3回も行ったから、3人分ということだ。
最近また太ったので、体重の延べ人数なら6人分ぐらいあの懐かしい亀山中学校の床を歩いたと思う。
 1回目に伺った日は、なんと真愛の高校の友達が三重奏をするというので、ニャンコクッキーを持って応援に行った。
 ご縁が廻る日は、いろいろな人をくっ付けてくれるらしく、教え子の幸一君が我が家に来るというので、
「今から、富弘展に行くので亀山で会おうね」
と、とんでもない要求をして奥様の恵子ちゃんと山奥まで引っ張り込んだ。
 早く着いたので、蔵玉で古民家珈琲豆工房を始めたというY先生の特設カフェ「まつば」でコーヒーを飲んだ。
 Y先生は、厚洋さんと教務研で一緒だったという。奥様はスポーツジムでお会いしているという。
「世間は狭い、悪いことなんか出来ないね。」
と、先輩と星野さんとの関係を話し、先輩と真愛とは「拙著の題字を書いて頂いた方」と話した。
「そう言えば、
 あなた達も高校の同級生だよね。
 友でありパートナーであり、良い人と一緒に
 なったね。
 こんな奴の嫁に来てくれてありがとう。」
と言うと教え子は、堰切ったように奥さんに支えられてここまで来た事を話してくれた。
「先生、僕は幸せな人間です。
 幸せ一番で幸一。
 で奥さんは、恵子さん。
 幸せを恵む子なんですよー。」
 夫婦が笑いながら、お互いに感謝し合う会話を聞けたのは、きっと星野さんの「詩画展」を鑑賞したからかもしれない。
 この教え子を担任できた事にも感謝したい時間を過ごした。
 ちょっとでも詩画展が盛況であって欲しかった事もあるのだが、ここに足を運び、ご縁で結ばれたひとときを過ごせたことへの感謝の気持ちの方が強かった。

音輪 三重奏

 真愛の友達の演奏は、我が街の中学校で唯一、木造の木肌が温かく優しい空間を持つ多目的ホールでの演奏だった。
 満開の桜が少し舞い始め、桜流しの雨の中ピアノ・ブァイオリン・箏が桜変奏曲を奏でる。
 2階フロワァに入りきれなかった真愛は、3階から見る事を辞めて、星野さんの詩画展示の中で聞いた。

4月2日 
最初の頃

 最初の頃の文字の練習や絵を描いた作品を見た。
「良い字も絵も
      かけない
 こんな日も
      いいもんだ
 柿だよーー。」
 以前にも詩画展で見たし、星野さんの本にも何度も載っているものだったのに、涙が溢れてきた。
 見る真愛の心が変化しているのだ。
 愛しい人を亡くして、私なりの絶望の淵を彷徨った。しかし、そんなことは、この絵を描いた頃の星野さんと比べたら…。
  比べられない。
 その人にとって何が絶望の淵なのか、決定するのは他人ではなく自分だからだ。
 しかし、そんな時に「柿」だ。「書き」「描き」だよー!って言ってる。
 強い人だと思ったし、その人を支えて強い人にしているのは、友であり母であり、父であり妻であると思ったのだ。

親父と息子 
悲しんでいない
コスモス

 なんと、欲しかった「風の詩」を手に入れることができた。
 JAFMatoの扉ページに掲載されていた舘内端さんと星野さんとの一言集だ。

見ーっけた❣️
コスモスについた言葉
楽しい会話

 友との会話が吹き出してしまうほど面白かった。星野さんの生き方を「壮絶」とか「悲惨」なんて思っていないのだ。本人も友達も…。
   だから、大好きだったが、連載が終わってこの本が出版されると知っていたのに、忙しい中で購入するのを忘れてしまっていたのだ。

「あるがままを受け入れる。
 悲観するでもなければ、奢る事でもなく。」
 厚洋さんが言っていた事。
 命より大切なものを見つけた時に「嬉しい」と感じる人種なのだ。
 厚洋さんもこの対話は好きだった。

※この本には、
「高校時代の友人の死という重い十字架を背負いながら、2人はそれぞれの人生に歩みを進める。」
という一文がある。
 友だからこそ負ってしまう想いなのだ。
 厚洋さんと重なって切なくなった。
 しかし、やっぱり男友達はいい。

オカリナ カナリアンズ
先輩の詩画

 大学時代の友は、富弘さんが吹いていたオカリナを吹いた。
 大学の寮から聞こえてきたオカリナ。
 インカレに出場するような音楽に無縁の先輩(あくまでも真愛の想像です)が聞いた素敵な音。
 同じ思いで同じ中学校教師になって間もなくのことだった不慮の事故。
 その後も手紙のやり取りをしている。
 先輩宛の富弘さんの葉書も展示してあった。
 凄い。
 手も足も動かせるのに、友達に葉書を書かなかった真愛。なんて勿体無いことをしていたのだろう。なんて、心がない対応をしていたのだろう。
「思われたら、ありがとうを伝えるんだ!
 手紙が来たら、内容がどうあれ、
 返事を書くのが至極、当然の事だ。」
こんな簡単なことができない真愛を叱った厚洋さんを思い出した。
 思いがあるから、たくさんの時間をかけて思いを伝えたのだ。
 渡された友の思いに応える友がいる。
 何処にも「哀れみ」がない。
 何処にも「哀れな姿」はない。
「友の笑顔」を思う想いに溢れていた。

小学校時代の友

 星野富弘美術館館長の聖生館長さんが
「友・星野富弘」を語ってくださった。
 房総の山の中で開いた「花の詩画展」の最終日だった。
 真愛が「詩画コンクール」で入賞した時に一言添えてくださった方だ。

ー さあ、虹を渡ろう
    次の花を咲かそう ー
と未来を詩うことがいいですね…と。
 楽しい方だった。
 内館さんと同じ匂いがした。
 
 星野少年の前に現れた新任の丸山先生の話
「花が好きなんかい?」
「花が嫌いな奴なんか居ないよ!」
これだけで、星野さんの心の奥にいつか咲く花の芽が出たのだろう。
 人は今ある自分の生まれた日のことを覚えていないが、素晴らしい花を咲かせる人はその芽が出た日のことを覚えている。
 素晴らしい人生を歩む人は、素晴らしい人にたくさん出会っている。
 それは本だったり、友だったり、先生だったり、隣のおばさんだったり…。
   とても素敵な話を伺ったが、しばらくメモを取る事をしていなかったので、上手くまとめられなかった。
 ただ、星野さんの根底に流れる敬虔なクリスチャンとしての考え方は、【星野富弘哲学】と思えた。
 星野さんは哲学者である。
と言うと、気難しそうな気がするが、館長さんがまとめくださった最後の話は
「彼は楽天かなんですよ。
 面白い奴です。
 人にとって、生きる力の一つとして、笑いが
 大事なんです。アウシュビッツを生き抜いた 
 精神科医ビクトール・フランクルは、
『ナチスの収容所で生き延びた人たちは、
 面白い話をして笑い合ったそうだ。』と言っ 
 ています。笑いを無くしたら「生きる力」も
 なくなります。
 星野夫妻は喧嘩なんかしません。
 100戦100敗だそうです。奥様は、上から 
 読んでも下から呼んでも
「まさこさま!」
(「風の旅」の中では、饂飩を食べる星野さん 
 とまさこさまの様子がお笑いコンビみたいで
 凄く面白い。)

 最終5分前は駄洒落のオンパレード!
 彼は言ってましたよ。
「房総の山の中で 
 暴走しなければいいがなあ〜。」
「彼奴は、人望暇無し(貧乏暇なし)だよ。」
 と。」

 星野富弘先生 
【お見事の先見の明であります。】
「友の喜寿のお祝いと応援」
「過疎化した房総の山中に人を呼び込みたい」
の大きな思いをどーんと掲げて、素晴らしい人望で運営を支える仲間たちと感動の「花の詩画展」を開催していました。

喜寿

 子育てパニックのマガジンに入れたかったのは、「友」と言う存在がその人の人生を彩る大きな大きな要因であると思ったからです。
 子育てに親は大事です。
 子どもは、心を育てるために良き友を持つことが大事です。
 その友といつ出会うかは、その人の持つ器なのでしょう。
 

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります