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子育てパニック 家族愛 ヤングケアラー

 厚生労働省は、「ヤングケアラー」について、小学校6年生の実態調査の結果を公表した。
 なんと、6.5%が世話をする家族がいると回答したそうだ。
 家族の内容は、「きょうだい」が最多だったという。 
 平日・1日に世話に費やす時間は「1〜2時間未満」が27.4%
 7時間以上が7.1%もいる。
 世話をする家族がいる児童は、いない児童よりも欠席・遅刻早退が多く見えるそうだ。
 世話をする児童の半数以上が「とくにきつさは感じていない。」と回答。
 家族の世話による制約も6割以上が「特にない」と回答。
 支援を受ける必要を自覚していない児童も一定程度いるらしい。

 大学3年生では、世話をする家族が「いる」あるいは「過去にいた」のは10.2%
 家族の内訳は「母親」が最多。
 平日・1日に世話に費やす時間は「1時間以上3時間未満」が36.2%
 6.4%が「7時間以上」だった。

真愛3つお兄ちゃん7

 真愛の兄は四つ上。
 厚洋さんが逝って一人になった妹を心配して、年に数回、我が家に来てくれて
「ちゃんと食ってるか?
      一人で大丈夫か?」
と、東京名物をお土産に持って来てくれる。
 母が存命の時は、こちらに来た折に寄ってくれたが、母が逝ってしまうと、妹の家と言っても厚洋さんの家なのでその足も遠のいた。

 去年の今頃だっただろうか。
 新年度の仕事でこちらに来てくれた時に、一晩泊まって行ってくれた。
 兄妹でも、暫く会っていないと、何を話していいかわからない。
「二人っきりでいるなんて、初めてだね。
 真愛は、よく兄貴のマッサージをしたよね。
 腰にのれ!とか、脹脛とか、足の裏を踏め!
 なんて言ってたことしか覚えてないのね。」
「ああ、そうだな。
 バスケで疲れてたからな。
 でもな。俺だってお前の世話したんだぞ。」
「へっ?世話された?」
「そうだよ。
 母さんが忙しい時は、俺がお前を連れて
 風呂屋に行ったんだぞ。」
「えっ?覚えてない!」
「そうだなあ。3つぐらいだからな。」
「私、男風呂に入ったの?」
「そうだよ。
 ちゃんと洗ってやっぞ。」
と笑われたが、こっちは赤面である。
 兄は昔の話をしてくれた。
 母の仕事が大変な時は、小さい真愛を育ててくれたのは、兄だったらしい。
 兄はヤングケアラーだったのだ。
 真愛が、自分のことを少しできるようになった小学校一年生の時に、兄はヤングケアラーから解放されたのだ。
 その後も、小学校3年生の真愛の作文には、「お兄ちゃんと私」と題して、兄がどんなに真愛を可愛がってくれていたかが分かる作文だった。
(この作文が地方作文教育の最優秀賞をとった)
 考えてみると、優しくしてくれた兄の時間は、私のために奪われた時間なのだ。
 我が家だけではない。
 昔の子はみんな、下の兄弟の面倒を見ていたのだ。

母さん 洋子さん 俊巳さん 厚洋さん


 厚洋さんにも、妹・弟さんがいるが、あまり2人の面倒を見なかったという。ただ、帯広にいた時は、親戚が近くにいたため、同じぐらいの子供たちを連れてお風呂屋に行っていたらしい。
「厚ちゃんがみんなの面倒を見てくれたものね。
 厚ちゃんの後をみんなゾロゾロ歩いてね。
 優しかったよ。」
と、親戚周りをした時、帯広のおばさんが厚洋さんのことを褒めていた。
 妹さんも弟さんもお兄ちゃんが面倒を見ていたことを忘れてしまっているのだ。真愛と同じように…。

星のようなニラの花

 確かに、親がやらなければならないことを、子どもにやらせるのは良くないことかもしれないが、少しの時間を割いて年下の者の面倒をみることは「優しい」人間を育てることだと思う。
 我が家のように一人っ子で育った息子に対して心配なことは、
「手が足りすぎていたので、手伝う事がない。
 弟を思う事をさせられなかった。
 人に対する思いやりがなかったらどうしよう。
 兄妹弟がいる事で生まれる心を育てたい。」
と思った。
 しかし、息子はヤングケアラーになった。
 彼が高校1年生の時だ。
 真愛の実母が一人で留守番をしていた。
 身体は丈夫だったし、洗濯もやってくれた。
 ところが、洗濯物を取り込みながら、段差で転び骨折をした。
 学校から帰って来た息子が、倒れている母を見つけ、小学校1年生の時の友達のお母さんに連絡を取り病院に連れて行ってくれた。
 父親も母親も学校で忙しいと思ったのだ。
 その後も、話好きな母に付き合い、息子はいろいろな話を聞いてやっていたのだろう。
 いたらない真愛は、母〔祖母)の話し相手を息子にさせていた。
 息子は嫌な顔をせず聞いていたようだ。
 そのために学校に行かなかったことはないが、自分の時間を家族〔祖母)のために割いてくれていたのだ。
 真愛は、息子と大喧嘩をした時。
「俺は、ばあちゃんに育てられたんだ。
 あんたに育てられた覚えはない。」
と言われ、ショックを受けた。
 当然の帰結である。

 ヤングケアラーと言うと、「酷い」と思ってしまうが、ある程度の「家族の世話」は必要なことだと思う。
 学校に行けないほどの「介護」や「養育」を子どもに任せるのはぜったいにいけない。
 しかし、家族であるならば、お互いがお互いのことを思いながら、助け合って生きていく事が
「思いやり」を育ててくれる。

「俺は、ばあちゃんに育てられたんだ。
 あんたに育てられた覚えはない。」
と言った息子は、今、とても優しい。
「思いやり」のある男に成長したと思う。
兄弟がいなくても、家族を思いやれる心を持てたのは、祖母がいたからであると思う。

 思いやりのあるお嫁さんは娘のように優しい。
 彼女は、弟の世話を良くしたようだ。
 家族への世話は、
「思いやりの心」を持った人になる
と思うのは、間違った考え方なのだろうか?
 ヤングケアラー
 切ない思いをしながら頑張っている子がいる。
 どこで線をひいたら良いのか
          悩みである。


ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります