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子育てパニック 教える事

 道徳の指導中の厚洋さんだ。徳目は「寛容」
広い心で人を許すことができることだ。
「いい年の俺でも出来ない事が、10歳足らず
 の子どもたちに出来っこない。
 教えるんじゃなくて、沢山の擬似体験をさせ 
 て(読書・語り)、立ち止まらせて、そうなった時に“ふっと
 思い出して”
 こんな事で怒っても、自分も相手も嫌な思い 
 しか残らないと思い出してくれればいい。」
そうやって言っていた厚洋さんが「クオレ」の一場面から考えさせている時だ。
 
 最近は、道徳が教科になったと言う。
 真愛は、道徳主任をやらされた時、
「私のような嘘つきが道徳を教えるのだから、
 子どもはまともに育たない)と断った事があ
 る。
 返事は、
「そんなこと言ったら、みんなやれない。」
だった。みんな嘘つきだったのだ。
 
 そういえば、厚洋さんの看護中、亡くなってからも、真愛が死ぬほど傷つけられた相手は、道徳指導の講師様だった。
 人の気持ちを考えず、仲間から「付き合ってるの?」のからかいに「面倒臭い」の一言で誤魔化し否定しなかった話が、嫌な噂となって広がって15年も経って真愛の耳に届いた。
 病床の厚洋さんのスマホにメッセージに入った。(スマホが使えず真愛が代わりに使っていた。)
 その言葉に苛立った真愛が返信した後、無言電話が続き、真愛の精神は異常をきたした。
 厚洋さんは否定したが、猜疑心を持った真愛は、「愛しい人の最期」に対して懊悩の時を過ごした。
(結局は、真愛が厚洋さんを愛している真実。
 厚洋さんが真愛を愛してくれている真実
 を見つめて「命懸けの恋」をした。
 拙著・「白い花にそえて」に書いてある。)

 更に、もう一人、道徳の指導雑誌に特集を書いていたほどの「道徳家」が。
 厚洋さんに助言をもらっていた「道徳家」が、四十九日も経っていないのに、同じ噂を蒸し返した。
 だから、未だに「道徳指導」が信じられない。厚洋さんと同じに「道徳指導は出来ない」と思っている。
 子育ての「躾」として、
「こんな場面では、人は、このように感じるのだ。」と想像させる事はできる。
 そして「それに対して、どう行動したら良いか。」考えさせる事もできる。
 人の生き方は、「哲学」であり、全ての学問の根底にあるものだと思う。それこそが「徳たる道」であると思うのだ。
 人の噂話や人の悪口を言っている奴が道徳なんて、チャンチャラ可笑しくって!
 こう書いている真愛も同じ穴のムジナだが。

 厚洋さんは、「人の悪口や噂話」は、言わせなかった。彼の嫌な顔を見るのが嫌だったので、真愛は、絶対しなかった。
 噂を聞けば直接交渉してしまった。
 真愛の真っ直ぐな気性は、厚洋さんに育てられたようなものだ。
 真愛の師は、厚洋さんだったのだ。
 
 子育てパニックで、「親」について考えた。
子どもは、「親に愛されたい。」と思っている。
 真愛の母親は、真愛を叱る時に
「こんな子に育てた覚えはありません。
 私の子ではない。」
と捨てに行かれた。
「御免なさい。もうしません。」
とジタバタしながら、(申し訳ないより、捨てられるのが嫌だった。大好きな母に嫌われるのが嫌だった。)
 真愛の目に異物が入ったとき、必ず母は、言った。
「お母さんが死んだらと考えなさい。」
真愛は、不思議と涙が出て、ゴミが流れた。
 子どもは、親が大好きなのだ。
 子どもは、親に愛されたいのだ。
 その思いを使って、「道徳」を教えるべきだと私は思う。躾をすべきだと思う。
 家庭で躾けられなくなったから学校でやるのかな?
 無理なのに…。

 7日から、また、緊急事態宣言が出るという。学校は休校にしないと言っているが、そんな中で「生き方」なんて教えられるのだろうか。
 とても心配になってきた。
 
 そこで、真愛のように「悩み」と「不安」に振り回されない生き方について7つのことを列挙する。
 
⓵面倒臭いが生まれるのは「あっ」という間。
 生まれたら、ずっと居座る「面倒臭い」
 じゃあ、生まれる前に、良いと思った事は、
 迷わずやろう!さっさと取りかかろう。
 反省はしても後悔しない生き方をしたい。

②小さい「悪」こそ甘く見るな。
 気づかないうちに大きく育ち、蔓延り
 手がつけられなくなる。
 知らないのに「つぶやき」「悪にいいねす
 る」「真実を見極めず噂で動く」
 「私ぐらいなんの影響もないなんて思う」

⓷都合の悪い事は見えにくい。
 都合の良い事は見え易いし、耳にも優しい。
 だから、都合の悪い事を言ってくれる人に
 感謝できるような人間でいたいものだ。
 何が、本当なのか、自分で自分が見極められ 
 たらすごい事だと思う。

④ただ年をとっただけでは、空っぽな大人?
 限りある命だ。漫然と生きるのではなく
 この一瞬を、生かされている事を大切にした
 い。何か成すために生まれてきたのだ。
 ただ年を重ねるだけでも、「生きている」事
 が大切なのだ。ちゃんと世の中に貢献しる。 
 その人がいるおかげで「生きていける」人も
 いる。
 世の中にいらない人、空っぽの命なんて無 
 い。

⑤人の失敗は、自分を見つめ直すチャンス。
 人の不幸は蜜の味って、噂や悪口を言うけれ
 ど、その「悪」にならない為に、教えてく
 れたと思えば良い。
 厚洋さんが、いつも言ってた
「人の振り見て我が振り直せ!」だ。

⑥気持ちが辛くなったら、
 「これは自分のもの」
 というこだわりを一度捨ててみよう。
 子どもに対しても同じだ。私の子ではなく、
「神様が私に託した地球の子」と考えたら、
 もっと冷静に考えられる。
「真愛の厚洋さん」と思って、嫉妬に駆られた
 日もあった。厚洋さんは私だけの人じゃ無
 い。「厚洋さんが多くの人に愛されたらなん 
 と素敵なことか。」
 真愛は、その人に愛された人だもの。

⓻変わらないものなんて何も無い。
 そう思えば、「悩み」や「不安」だって、
 そういつまでも続かないものだ。

 なんだか、般若心経を読んでるようだ。
 子育てパニックで、「般若心経」の読解解説にでも挑戦するかね。

 寒ければ、教えなくてもストーブの前に来る
にゃんこだ。
 人に教えるなんて、烏滸がましいのだ。
 猫に教える事は、難しい事だ。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります