見出し画像

ペット葬儀

 凄いとは聞いていたが、ついに人間様よりペット様の方が儲かるようになったらしい。
 母の葬儀も厚洋さんの葬儀も執り行ってくれたGyo院の共済組合見たいのに入っている。
 母の葬儀のあと入会しておいたので、厚洋さんの時にもよくしてもらった。
 そういったところは、いざということがなければ入らなくても良いのだが、グループ経営のために何かと便利である。
 正しく「揺り籠から墓場まで…。」の面倒を見てくれる。
 いや、お宮参りです。
 七五三です。
 入学です卒業です。
 成人式です。
 就職祝いです。
 ご結婚おめでとうございます。
 出版記念でございます。
 還暦のお祝いです。
 古希でございます。
 お葬儀でございます。
 なんともお祝い事の多い国なんだろう。
それだけ、むかしはちゃんと「生きられる」事が珍しかったから「祝」だったのである。
 高齢者が増えて、亡くなっても直ぐに葬儀が出来ないという話を書いた。
 遺体を荼毘に伏すのに、順番待ちなのだそうだ。こういった冠婚葬祭会社に入っていても、火葬場は市営なので、そりゃ公的機関なので融通が利かない。
 しかし、待つためにドライアイスだ。冷蔵庫だ。と遺体を安置するために結構な費用がかかる。
 死んだ真愛は、どうだっていいのだが、残った息子に迷惑がかかる。
 まあ、死んだ後に迷惑がかからないくらいのことはしておきたいので、互助会みたいなのに入っている。
 その互助会誌パンフレットが届いた。

ニャンコタッチ

 表紙を見て、不思議な感じがした。
 今までの互助会だよりは、美しい風景だったり、結婚式の様子だったりと幸せな心安らぐ写真だった。
 冠婚葬祭なので、「悲しみ」だけではなく「幸福」も象徴しなければならないのだ。
 ところが、今回の表紙は、「ニャンコの手」と「人間の手」がハイタッチしているのだ。
 猫好きな真愛にとっては、「いいね👍」なのであるが、どうせ取るなら、JAFMetoの表紙のように岩合さんの完全な写真がいいなあと思った。
 なんだか釈然としないまま、開くと、
「ペット葬儀」の紹介だった。
《遂に来たね!》が感想だった。

ペット達

 ペットロス症候群が社会問題になっているという小見出しには、14年前に厚洋さんと真愛が経験しそうになった心の状況が書かれていた。
 3代目のにゃんこチャーちゃんが、交通事故で死んだ時の事だ。
 厚洋さんの退職後、真愛の教え子の家からもらって来た生まれて1週間の子猫チャーちゃんは厚洋さんご母親のように世話をして育てた。

3代目

 賢いにゃんこで厚洋さんの自慢のニャンコになった。家族の一員どころでは無い、可愛がる対象が独立した後、溺愛した息子替わり(息子に叱られる)みたいな感じだった。
 真愛は、まだ働いていたので、チャーちゃんとずっと一緒にいる時間が長いので、ニャンコへの愛情が深まっていく。
 だから、失った時の悲しみは大きく
「変だな。
 母さんが死んでも泣かなかったのに、 
 チャーちゃんが死んだら、涙が出る。」
 厚洋さんは自分の心の有り様がおかしいと思ったのだ。ペットロスである。
 2人で泣きながら、3代目チャーちゃんを埋葬した。
 その後、直ぐに開催されたペット販売イベントに「厚洋さんがペットロスになるといけないから…。」と真愛は出かけて行った。
 4代目チャーちゃんと目が合った時に、後ろから
「可愛いな!
 こいつが良いのか?」
と声をかけてくれたのは、厚洋さんだった。
 真愛が悲しみの余り「ペットロス」になるのではないかと心配して、同じ会場ににゃんこ探しに来ていたそうだ。
 4代目は、厚洋さんの気持ちを見透かしたように彼の胸元に飛びついて離れなかった。
 そして、身体の具合が悪くなった厚洋さんに寄り添うように生きてくれた。
 その4代目は、厚洋さんが逝った2年後に彼の元に逝った。

人と同じ

 ペットは、人と同じなのである。
 だから、
[人と同じ目線のペット葬儀 
   ーsoraeー ペット専門葬儀会館」
が出来たそうだ。

 2年前、知人のエスティシャンの愛犬が逝った時の葬儀の話を聞いて、びっくりした。
 可愛い小さなチワワちゃんだった。
 その子に「お別れ衣装」の白いドレスを着せたという。小さな棺に花を敷き詰め、ちゃんと火葬をし、お骨壷に納められ納骨したという。
 人のお仏壇には収められないが、手元供養の写真入りベルソーに毎日手を合わせていると言った。
 まさに、人である。
 心を通わせずっと癒してくれた愛しいわんちゃんなのである。泣きながら話す彼女に、真愛は、ワンちゃんの戒名をつけてあげた。
 自分の思い通りにならないからと殺人を犯す人間や盗みや暴力を振るう人間よりもずっと仏様になる資格があると思った。
 しかし、今日の食事も食べられずお腹をすかしているあの国の子供達を思うとやや首を傾げる不平等さも感じた。

家族の気持ちに寄り添って

 ペット葬儀に大金を掛ける気持ちもわからないでは無い。
【大事な家族だったのだから…。】

野生

 どう間違えてか、山から降りて来てしまった可愛いものたちが、人間様の道路を横断しようとして轢き殺されている。
 悲しい姿を路肩に寄せる事をすれば、まだましで、多くはそのまま無惨な姿となる。
 真愛は、出来るだけその道を通らないようにする。
 同じ小動物であり、可愛いものなのに…。
 いや、人の金儲けのために、多頭飼いをしてそのまま可愛いものを置き去りにして殺してしまうものもいる。
 あの可愛いもの達がどんな悪い事をしたのだろうか?
 戦争を起こした人間よりずっと仏様に近い存在だと思う。
 世の中の不条理が頭の中で渦を巻いている。

 ペット葬をしたい気持ちも分かる。
 それほど愛情をかけるし、愛をもらっていたからだ。
 手厚く葬る。
 埋葬について人間社会に目を向けると、巨大な権力を持ったいにしえ人は、人柱を立ててまで巨大な墳墓を作らせたと聞く。
 葬られる、それは死を迎えて自分自身では何も出来なくなった後のことを考えた故のことだろう。
 あの世とやらがあるから、その世界でも権力を持ちたかったのだろうか。
「生」に執着しもう一度蘇りたかったのだろうか。権力者ゆえの考え方なのだろう。

戦争をやめさせるための投下だという。

 今月、6日、9日と、日本に原子爆弾が落とされた日だ。
 戦争をやめさせるために投下したという原子爆弾2発で、ヒロシマ・ナガサキの遺体は21万人以上になったのだ。
 15万人以上の方が負傷し、数日の間に亡くなっていく。男の子が赤ちゃんを負ぶって立ち尽くす写真を見た事がある。あれは、背中の赤ちゃんは亡くなっていて火葬の順番を待っている写真だと聞いた。
 白骨化した遺体が山のように写っている写真も見た。当時亡くなった方々の中には、身元を特定できず穴を掘って埋めたという。
 沢山の愛しい人が含まれていたはずである。
 その葬儀をしてあげたくてもそれすらもできない戦禍の中でのことだ。
 戦争中の空襲でも沢山の人が亡くなった。
 日本だけではなく世界中で戦禍の中で、埋葬されず、今でも愛しい人の元に戻りたいと思っている魂がいるはずである。
(真愛の父も行方知れずX国で亡くなったら
 しいと聞いている。
 埋葬されたかどうかは分からない。)
 災害でも、事故でも、事件でも…。
 天寿全うした方でも「死」。
 亡くなれば「遺体」である。
  人々が生きてきた分だけ、亡くなっている。

 その魂は今でも存在すると真愛は考える。
 そう考えると、見えないだけで、亡くなった方の魂の方が生きている人間より多いわけだ。
 その魂のうちのどれほどが、手厚く葬られて、長く想いを繋げているのだろうか。
 先人がいたからこその「今」なのに…。

「死」の尊厳を考えること。
 残された者の思いを大切にすること。

 お盆が近いから、沢山の死霊がこの不思議な世の中について書けって言っているような気がした。

 変だよ。
 今の世界!

ねぇ、おかしいよね!

 ペット葬がおかしいのではなく、人の「死の尊厳」、言い換えれば「生命への思い」が軽くなってきているような気がするのだ。
 たった一握りの権力欲求者のために…。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります