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子育てパニック お受験

 コロナ禍で、年度の後半を迎える10月にどっぷり浸かってしまったのに気付かなかった。中学高校は、もう次のステップのために沢山の書類を書く頃になったのだろう。
 この頃になると思い出すのは、「私の子育て失敗話」だ。
 愛しい人が亡くなった今では、愛しい人との愛の証=愚息が真愛の命を賭して守る対象になった。しかし、息子が中学校・高校の6年間が一番の子育てパニックであったし、「もう、なんで分かってくれないの?」と親子喧嘩をして、厚洋さんに叱られたし、馬鹿にされた日々だった。
 真愛は、最も良くない母親だった。
 彼の事を自分のものと思っていたのだろう。人として信じ思いやっていなかったのだ。だから、沢山の嫌な言葉で息子を傷つけた。

 父母が教師であった彼はそれなりのプレッシャーを持っていたにも関わらず、母親の教え子と同級生になった。更に、母親はやりたい放題の敵の多い先生なので彼の味方もいたが、敵(逆恨み)もいたのだ。当然、謂れの無い噂や出任せで、影で虐められた。その話は、男の子の彼には、家で愚痴ることではなかった。
 卒業時に、当時の教頭先生からの色紙に鼻向けの言葉と共に“教師を親にもったくろうもあっただろう・・・。”という一言書かれていた。沢山の切ないことがあったと知り申し訳なく思った。
 その中学校時代。彼には少しでも良い教育を(己の学歴コンプレックスの為)と思って偏差値の高い学校を受験目標にさせた。個別指導の塾にも通わせた。田舎なので、夕方から彼を塾まで送っていく。
 車の中で発した私の言葉。          「どれだけ あんたに お金をかけているか 知ってるの?ちゃんと塾の宿題やったの?  塾でやってる事分かってるの?」
 この言葉が彼の心をどんなに傷つけ、母親から心を離していた事かを知ったのは、後年であった。

 教え子のK君が大学生になった時に話してくれた一言だった。
「ねぇ、先生。拓にお金の事ぐたぐた言ってない?
 子どもってさ親の言う事、みんな分かってるんだよ。でもさ、正直になんて言えないよ。〝ありがとう〟なんて照れ臭くて。他になんて言えばいいか思いつかない。
 だから、〝わかってる!〟〝うるせぇな。〟になるんだよ。
 親ってさ、子どもの気持ち分かってないよな。絶対言うなよ。これからも絶対!」
「子どもは親の気持ちを分かっている。」
 息子に言われたら、素直に「そうか。」と言えなかったかも知れないが教え子という第三者に言われ、気づいた。
そして、「申し訳ない。」とも思った。
 こう言われる一年前、息子と言い争った時に私の言った捨て台詞は、         「私はそんな子に育てた覚えは無い!」    返って来た言葉は、              「オレは、バアちゃんに育てられた。母さんに育てられた覚えは無い!」
だった。何も返す言葉がなく、お風呂に潜って一人泣いた。そう言わせてしまった自分の愚かな事を棚に上げて…。

 この頃だろうか、子育ての全権を厚洋さんが持ってくれた。彼が高校を卒業して家を出たいと言った時も。家を借りて一人で住むと言った時も。
 心にゆとりを持って“人として信じ”“人として対等の立場”でものが言える父親が関わった。それが一番素晴らしい結果を生んだと思っている。
 凄いことに母親が彼の下宿や転居先に行ったことがない。行きたかったが、行って彼に言う言葉分かっていた。まだ、親として成長していない私は、きっと彼の立場に立てない思いやりのない言葉を吐いてしまうと分かっていた。ならば、行かぬが良い。
 彼が来るまで待った。彼が来たら、心落ち着けて話そう。

 彼は就職氷河期でとても苦労をした。その苦労話を書いただけで一冊の本が書けてしまう程だった。
 彼の苦しみ・悲しみ・悔しさ・切なさを少しでも分かり、彼の刺ごと抱きしめることができるようになったのは、彼が家から出て10年を過ぎていた。
 もう、子育てではない。彼を一人の人間として尊敬できるようになった頃だ。
 要するに、私は子育てがしっかりできなかった母親である。

 今は、息子に毎日のように「お母ん元気」とLINEを送る。父親を亡くし、一人残こされた母親を心配する優しい息子は、既に二人の子の親になっている。
 心優しく賢い嫁も娘のように私を大切にしてくれる。(女として息子より話せる)
 今思うことは、「子育て」と思わない事だ。子育てなんて痴がましい。人を育てられるほど立派な人ではないので、「一緒に育つ事なのだ。」と。(個人的な考え)
 その中で、絶対に失ってはいけないことは、
「相手を思いやること。」
「思いやる言葉を伝えること」
「相手が言われたらどう思うか考えて伝えること」
「一番の味方であり、大好きな人なのだということ」
「対等の立場でいる事」
 人が能力を発揮出来ないときは、その人に能力がないわけではなく「勇気が挫かれている状態」である。私は、彼の勇気をくじいていたのだ。
 一言でもいい。自分のことを気に掛けてくれる人の真心の言葉には一言万鈞の重みがある。
 親はその「自分のことを気に掛けてくれる人」である。だからこそ、「真心の言葉」でなくてはならない。

 愛しい人との愛の証だ。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります