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子育てパニック 自我の芽生え

 子育てをしている誰もが、子どもので突然喧嘩や癇癪に手を焼いた経験があるはずだ。
 我が孫もやるらしい。ママが困っていた。息子は
「俺はそんなにやらなかったな。」
と言ったらしいが、ちょっとはあった。
 片付けずに遊んでいて叱られて、ベランダに出された息子が、ベランダのガラスを椅子でぶち破ったのを覚えている。
〔コイツなかなかやるなぁ。
    注意してないと怖いぞ。)
と思ったことがある。
 しかし、我が家は、真愛が一番癇癪持ちだったので、子どもも旦那様も穏やかな方だったかもしれない。
 しかし、穏やかそうな人間ほどストレスを溜め込んで、一度切れると何をするか分からない怖さがあった。
 子どもといえども、大人と同じように自我や自分の主張を持っている。
 ただし、乳幼児期の子どもは、自分の気持ちを言葉でうまく伝えられない。

咲くよ

 子どもは乳児期から幼児期の初めにかけては、保護者や保育者といったまわりの人たちに支えられて生活する。
 大人の手に依存しながら生きているのだ。
 そのため、乳幼児は「自分」以外の「他人」という存在には気付がないのだ。
 子どもは、1歳前後からは自分で歩くようになり、身の回りの世界を徐々に広げ、家族やまわりの人とかかわるようになっていき、自我の存在に気付き始める。
 自我を形成し始めた子どもは、何ごとも
「自分でやりたい」
という気持ちを抱くようになる。
 これが子どもの「自我意識の芽生え」
 発達、成長には個人差があるが、多くは1歳から2歳にかけて自我を知覚し、周囲の影響を受けながら自我を確立させ、やがて「自立」へとつながる成長を遂げていく。
 自我意識が芽生え、育っていく時期は
「第一次反抗期」や「イヤイヤ期」と呼ばれる時期とも重なり、多くの保護者や保育者は対応に手を焼くことがおおい。

 1歳から2歳くらいにかけ、子どもは歩いたり言葉を話したり、生きていくための基本動作を身に付け、その後、家庭・保育園などの生活を通して、まわりの大人やほかの子どもと
「自分と他者」の関係を作っていき、
 自我意識が芽生え「自分で」体験し、考え、行動する欲求を持って来るのだ。

 自我意識の芽生えは、人として社会とかかわって生きていくために大事な成長プロセスだが、自己主張が強くなっていく割には、言語能力の発達が追いつかず、子どもも大人もイライラしてしまう。
 子どもは自我意識の芽生えとともに、自己主張が強くなり、好き嫌いや、やりたいこととやりたくないことは、どういうわけかはっきりしてくる。
 よく言えば大人の様な狡さがないので
[嫌なものはイヤなのだ。]
 自分の思い通りにならないことに「イヤ」といって泣き叫んだり暴れたりする子どもの姿を見て、
「育児の壁にぶつかった」
という気持ちになる。
 まあ、誰しも歩んできた道なのだが…。

 激しい自己主張と反抗が特徴の自我意識が芽生える時期は、人の心の成長に非常に重要な「第一次反抗期」
[魔の2歳児」や「イヤイヤ期」
とも言われている。
 自我が芽生えるこの時期には、子どもは一人ではできないことを自分の手でやりたがるようになる。
 その過程で、癇癪を起こしたり、親や養育者に反抗するのだ。
 しかし、この反抗はなくてはならない成長で、わがままや悪意ではない。
「第一次反抗期」の子どもは自我を持ちはじめたばかりのため、ものごとへの好奇心を止められず、自分をコントロールできないと言われている。
 親には、一見するとワガママなだけに見える子どもに振り回されて疲弊してしまうかもしれないが、しつけのために子どもの欲求を押さえ込んでしまわず、時にはワガママに付き合い、子どもの自我形成を手伝ってあげるのが、成長のために必要な向き合い方だろうというが…。
   そんなにうまくは行かない。
 ワガママを聞いているとつけあがってやりたい放題。
 団地住まいの我が家では襖壁みんな落書きだらけだった。子どもがやったからだろうか、厚洋さんが先にやったのかよく覚えていないが、
「事柄の奥に言葉があり、   
      言葉の奥に心がある」
なんて文字が、相田みつをさんのような文字でデカデカと書かれていた。
 息子の落書きなんて可愛いものだった。

 一般的には、イヤイヤといって泣き叫んだり、食事のときに食べ物を投げつけたり、公共の場所で床に寝転んで暴れたりする子ども…。
 これは恥ずかしい。
 保護者の悩みの種になったり、保育者も頭を抱えてしまったりする反抗や自己主張だが、必要なこととして受容しなくてはならない。
 良いか悪いか分からず、26歳の真愛は、彼の要求が現れないところで遊んだ。
 お買い物に行って要求が出された場合は、全て飲んだ。
「ママ。あのブーブ。」
「何、どの車?赤いやつね。」
 彼は、パパにも、祖母にも真愛にも買ってもらい、段ボールに何杯ものミニカーを持っていた。
 特に働く自動車が好きで、厚洋さんは要求されなくてもお土産に買ってきて、自分だけ点をあげていた。

イヤイヤをしない


 こんな家庭だから、手本になる様なことは言えない。
 ただ、まずは、振り回されて子どもと同じように感情的になってしまわない心構えを持つことが大事だ。
 真愛が息子と喧嘩腰になっていると、
「親子喧嘩ってのは、ありえんのだぞ。
 喧嘩とは同等の立場でやるんだ。
 お前と拓は、同等じゃないだろう。
 まずお前が冷静になれ!」
と叱られた。
 確かに、子どもの反抗は理不尽なことも多いため、イライラさせられることもある。
 子どもが反抗するときは、本人自身がどうしていいかわからず、感情が不安定になってしまっているのだ。
 子どもがなぜ反抗しているのか、経験をもとに考えてあげられるのが大人。
「冷静に考える。」
 欲求は何なのか、なぜ「イヤ」なのかを考えて共感してあげると、子どもは落ち着く。
 語彙が少なく、自我が芽生えたばかりの子どもは、癇癪を起こすことでしか「イヤ」という気持ちを大人に伝えることができないということも知ってほしい。
 いや、子供だけではない。
 こんなおばあちゃんになった真愛でも、言葉が足らずどう言って良いか、気狂いすることがある。
 自分の心を自分が納得してやれないのだ。

 子どもの気持ちを紐解いてあげるつもりで接するといいだろう。
 こんがらがった紐を引っ張らないで、緩めながら糸口を探すのだ。
 縛られているところがあれば、解いてやることも大事なことだ。
 大人が冷静に受け入れてあげれば、子どもは「次からはこうすればいいのか」
と学習するはずである。
 一回やってすぐ覚える子はいない。
 何度も感度もゆっくり聞いてやろうじゃないか?
 言えるまで、待ってやろうじゃないか。
 自分だって、きっとそうされてきたのだから。
 
 自我意識の芽生えという大事な成長の過程を過ごす子どもは、自分のやりたいことを通そうとしていると思え。

 自分でやりたい、という子どもの気持ちは、最初の自己主張。
 成長を促すためにも、できる限りのことはやらせてあげるよう見守りたいものだ。
 我が家の孫達は、その点幸せだと思う。
 ママのおやつつくりを手伝っている画像が送られてくるが、この後の掃除はどうするのだというほどになっている。
 我が息子にはやらせてあげなかった気がする。
 やっぱり良くない母親だった。)
 子どもの自我形成を促す上で重要なのは、やりたい気持ちを認めてあげることである。
 そして、やれたら褒める事だ。
 逆にやるべきことを「やりたくない」と拒絶することもある。
 やりたいことはやるが、やりたくないことはやらない。
 考えてみれば、真っ直ぐに生きているのだ。
 しかし、「そんな生き方をしていたら社会で生きていけません。」なんて思う。
 まだ、20年も先の話なのだが、親としてはこのまま育つのではないかととても心配になる。

 子どもは、やるべきことを拒絶する際、
「自分の気持ちと合わない」
と感じていることがほとんどである。
 子どもの「自分の気持ち」を認めてあげるためには、例えば
「〇〇しなさい」ではなく
「〇〇したくなったら言ってね」
と待ってあげたり、
「〇〇の代わりに××してみようよ」
と選択肢を与えたりするような、代替案を用意するコミュニケーションを取るのが効果的だそうだ。
 相当、冷静に、頭に氷嚢でも乗っけて考えないと真愛にはできない。
 子どもは自分の欲求が受け入れられると満足感を得る。
「認める」「満足させる」ということによって、子どもの「やりたい」「できない」「うまくいかない」という感情が、大人への信頼や自分自身の経験につながっていくのだそうだ。
 分かるようで分からない。
 よく褒めるばあちゃんはお気楽なものだ。
 なんだって「認めてくれる」のだから…。
 そこが、親と祖父母の違い。「責任を持たなくて良い」と言われる違いで有る。
 気持ちに余裕を持つために
 子どもの成長に取って必要な第一次反抗期。
 保護者や保育者の立場としては、子どもの意思を尊重し、感情的にならないように接してあげるべきなのは理解できる。
 とはいえ、ついカッとなることは誰にでもある。
(真愛は、いつもカッとなった。
 瞬間湯沸かし器というあだ名が…。)
 誰でも「大人だから冷静に」なれるときばかりではない。子どもに対してイライラしてしまっても、それはそれで当たり前の感情だと思う。
 我が母は、自我の芽生えた真愛に向かって
「はい、分かりました。
 お母さんはあなたのお母さんではありません。
 出ていきます。」
と、スタスタ家出をしてしまう人だった。
 こんな真愛でも、ショック療法はよく効いた。泣いて取り縋って謝った。
「もう言いません。
 もうしません。良い子になります。」
 こんなことを何百回と繰り返して大きくなった。

静かに聞く
心の中では、ハァ〜ア。

 忙しいママなので、時々、休む時間や手段を使って仕事の都合をつけるなどして、子どもと
[あえて向き合わない」タイミングを作ることも有効だと思う。
 あんまり作りすぎると、真愛のように
「またか。」なんて思ったこともあるので、
要注意。

 子どもは子どもで、一生懸命に成長しているのだ。
 大人も思いつめることなく、一生懸命に見守り続けて、その家なりの冷静になる方法を考えてみてほしい。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります